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■当たり屋、体当たりで伝えたかった気持ち



💖熱量高めで
あなたを真反対の世界へお連れする💖

お手伝い心理カウンセラー・
マリチャンヌです。


わたしは現在、
心理カウンセリングを通して
心のボタンの掛け違いをゆるめてほぐし


未来を思い出すお手伝いという
お仕事をさせていただいています。


お客様からご相談を受けるなかで

「真意が伝わらず、疎外感を感じる」という
悩みがある方は
意外といらっしゃいます。


都度都度、大人の対応で
まあいいやって、流してきてはいるけど


うっすらとした寂しさが
積み重なっているようにお見受けすることが
多いです。


ちなみに5年くらい前までのわたしは
筋金入りの「わかってちゃん」でした。


わたしは誤解されるのを
極端に嫌がるところがありました。



伝わっていないなと思うと
言葉を尽くして伝えるため


肝心なことが
余計伝わらないということもあったかも?


今日は
「当たり屋、体当たりで伝えたかった気持ち」
について書いてみようと思います。

よろしければ最後までお付き合いください。



中学の部活動の時のこと。(球技系)


先生が来ていないので
プラプラと練習をしていました。


部活にあまりこないけど
実力のあるヤンキー女子が珍しく来ていて


内容は忘れたんですが、
わたしは、この場とは関係ないことで
ふと思ったことを何か言ったんです。


するといきなり!

「(今あなたが言ったその言葉は)
それって、〇〇って意味でしょ?」

と言って来たんです。



そんな意図、微塵もなく
第一、なぜ?いま?キミが絡んでくるんだ?
という疑問で一杯でした。


マリチャンヌ)
「そんなこと、一個も思ってないよ」


ヤンキー女子)
「そんなことあるわけがない!絶対〇〇に決まってる!」


マリチャンヌ)
「いや・・わたし本人がそんなこと思ってないって言ってんだから」


ヤンキー女子)
「そんなことあるはずがない」

・・・


わたしの感情は、わたしのもの。
しかも、的も外れている・・

この人、どっか、おかしいのかしら???



それでも『わたしは絶対正しい』と彼女は
仁王立ちしてたので


話にならん・・と、
わたしは場所を後にしました。



それからも年に数度
『友人でもない、面識の薄い
思い込みの激しい当たり屋のようなひと』に

いきなり絡まれることがありました。



言葉を尽くして誤解を解こうと
必死で伝えても
聞く耳を持ってもらえないケースばかり。


なぜかどの人も
物事の一面を見ただけで

「あなたはこんな人」と断定した
前提で話をしてきます。



『わたしは正しい』『認めろ!』


相手の言い分=言い訳、という
謎の辞書を持っているようで、

会話が一方通行というのも共通していました。



言葉と気持ちが伝わらないまま
モヤモヤしたまま、
フラストレーションが溜まりました。



聞く耳を持たないのに
しつこい感情面をねちねちぶつけてくるのも共通項で

わたしは、鬱陶しくて切り上げたくて

あなたがいう通りですね、と


わたしは渋々、
謎の「ごめんなさい」を言って
折れることもありました。



時を経て、心理講座の塾で、


これは、親とわたしとの関係がそのまま

現実の中で起こっているじゃないか!と気がつきました。


そして、
「誤解されたらそのままにしておけ」という斬新な付き合い方が

あることも知りました。



もちろんケースバイケースです。

ただ、わたしの場合該当するなと思いました。



ある日、例によって
説明しても伝わらないという状況に
またぶち当たりました。


慣れないことなのでそわそわしましたが
思い切ってやってみました。


誤解されたまま、宙ぶらりんのまま
日常をこなす。


「話も聞かずに決めつけるひと」


もともと、親しい間柄のひとで
こういうひとはいません。



言うべきことを言った上でのこと。

取り合わなくてもいいや~



決めてしまうと気が楽になりました。



その頃、男女性のワークを地道にやっていて


自分が自分のこと見捨てなかったことが
自分とつながるということにもなり

わたし自身を助けてくれていたんです。



のちにおもいました。


あの頃、もしかしたら
『自分の正しさ以外のもの』
=『言い訳』と切り捨てていた人の中には


わたしと同じように、共感はおろか
「理解される」ということが叶わず


カラカラに乾いた寂しさや、
悲しい気持ちがある人も、
いたのかもしれない・・


個別で事情は違うと思うので
すり合わせは必須ですが、


ひとそれぞれ、出来事以前に
何か事情はあったのかもしれない、と思いました。



彼らは極端な形で
現れる人たちではあったけど


わたし自身もその頃は

自分の正しさ以外のもの=ありえない、という
随分偏った考え方で生きていたのも事実です。



引き寄せながら、自分に気づけという
サインだったのかもしれません。

出来事に無駄はナシ!


生きていると、拾うところだらけですね。


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