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人生のトリセツ


はじめに


 本書を手に取っていただきましたこと、心より深く御礼申し上げます。
 まず、最初に申し上げておきますが、本書は一般的なビジネス書の類ではありませんので、本書を読んだからと言って、必ずしもお金持ちになれるわけではありません。
 しかし、最後まで読まれれば、きっとあなたも人間関係の問題を含む、人生のあらゆる「問題」の解決策を手に入れることができるでしょう。
 ですので、本書を読むことで、決してビジネスの世界で「成功」してお金持ちになれるわけではありませんが、人生全般において「本当の成功」を手に入れることができます。

 最初は、人生そのものに関することだけを書こうと思いましたが、人生の大半の時間を費やす仕事という側面から、幸せとは何なのかについて書かせていただくことにしました。
 例えば、会社で遭遇するさまざまな問題、特に人間関係の問題に対してどう取り組めば良いかの指針を多く提案させていただきました。

 こういった人間関係の問題を取り扱った本はこれまでも数多く出版されておりますし、インターネットなどからそれらの情報は簡単に入手することができます。
 しかしながら、いまだに多くの人が職場の人間関係で悩み、どこの職場に行っても人間関係の問題が無くならないのはなぜでしょうか?
 これは、小手先のテクニックばかりで、何ら根本的な解決策が示されていないことが大きな要因ではないか、と推測しています。

 人間関係の問題というのは、一見非常に複雑そうに感じられますが、実は、とてもシンプルなことに起因しています。

 それには、まず自分自身について知ることが第一優先になります。 
 別の言い方をすれば、自分自身のことについて知れば、人間関係の問題は自然と消え去るようになっています。

 本書では、この極めて根本的かつ普遍的な問題解決法について議論しています。
 さて、私は本書を過去の自分に語りかけるように書きました。 
 過去の私は、あまりにも「病んで」いました。 
 病んだ心で見える世界は、当然のように「病んだ世界」でした。 
 本来、最初に救われるべきは私自身であったにもかかわらず、当時の私は、この病んだ世界を何とかしなければならない、と本気で思っていました。
 この病んだ世界を何とかして幸せな場所にすることで、自分自身も幸せになれるはずだ、と心から信じ込んでいたわけです。 
 つまり、当時の私にとって、私が不幸であることの原因は明らかに外側の世界にあるはずだと信じていました。
 外側に見える世界は私の理想から大きくかけ離れていましたから、私は外側の世界に対して激しい怒りを抱えていました。
 そして、外側の世界の住人はみんな病んでいて、何も分かっていないと思っていました。
 ここで、私が「外側」の世界と言っているということは、その逆の「内側」の世界があるということを意味しています。

 では、内側の世界とは何でしょうか?

 それは、分かりやすく言うと、「私たちの心」です。

 人類が創り上げてきたこの現代社会は、あまりにも内側の世界を軽視しています。
 内側の世界を軽視すると同時に、外側の見える世界を良くしていこうと努力しています。 
 特に、私たち日本人はこの傾向が強く、いかに外側の世界を良く見せるかということに多大な労力とお金、時間を割いています。
 街中にはごみ箱が設置されていないにも関わらず、道路にはごみ一つ落ちておらず、道は常にきれいに保たれています。
 犯罪に遭う確率も小さく、女性が夜一人で歩いていてもそれほど危険ではありません(もちろん例外的な場所はいくつかありますが)。
 外で財布やスマートフォンを落としたとき、警察署に行けばかなり高い確率でそれらはあなたの元に戻ってきます。
 普通に生きていれば、食べ物に困って餓死するようなことはまずないでしょう。
 もちろん、良い意味ですが、これは世界から見るとかなりまれで恵まれた環境です。
 このような素晴らしい環境に住んでいる私たち日本人はさぞかし幸福であるに違いない、と世界中のだれもが考えるのは当然です。
 しかし、一体どれだけの日本人が、自分は幸福であると感じているでしょうか?

 世界には、幸福度という指標があり、その名の通り、幸福の度合いがどれくらいであるかについてさまざまなパラメータをもとに毎年計測されています。
 幸福度と言っても、幸福であるかどうかは人それぞれの内面のことなので定量的に測定するのは基本的に不可能ではありますが、その国のGDPや教育システム、人生における選択の自由度など、いくつかのパラメータを設定して、その国がどれだけそれらのパラメータを満たしているか、その度合いによって測る幸福度もあれば、何種類かの質問をその国の一定数の人数に対して行うことで得られる主観的幸福度と呼ばれるものもあります。

 興味深いのは、両方の幸福度調査の結果において、日本人の幸福度は毎年かなり低いところに位置しているということです。
 少なくとも、先進諸国と呼ばれる国々の中で、日本人の幸福度は毎年最下位を維持しています。

 これは一体どうしたことでしょうか?

 もちろん、真面目で勤勉な日本人が持つ遺伝的な特性も大きく起因しているでしょう。
 この遺伝的な特性は、日本のお店に入った時のサービスの素晴らしさにも表れています。
 日本のサービスは世界一と言って良いほど素晴らしく、生活する上での利便性はこれ以上に無いぐらい高いと感じます。
 これはこれで非常に良いことですが、幸福でないと感じている人が多いことはやはり同じ日本人として気になります。
 
 さて、話がだいぶ逸れてしまったのですが、本書では、いかにして私たちがより幸せに生きることができるか、ということに焦点を当てて議論しています。
 また、本書では、極めて多くの人にとって、人生の時間、特に若い頃の人生の時間の大部分を占める仕事においていかに幸せを感じることができるかが、幸せな人生を生きる重要なポイントであるため、最初の方では主に仕事や働き方について書いてみました。

 是非、この本を手に取ったみなさんに参考にしていただき、幸せな人生を歩んでもらいたいと願っています。

第一章 会社で起きるさまざまな問題

何のために働くのか?

 あなたは何のために働いているのでしょうか?
 多くの人は生活するのに必要なお金を稼ぐため、と答えるでしょう。
 中には、社会貢献することで自分の可能性を高めたい、と答えるかもしれません。
 働く目的は人それぞれですが、やはり一番多いのがお金を稼ぐためです。                  
 生活するためにはお金が必要ですから、お金を稼ぐために仕事をするというのは至極真っ当な理由です。
 では、「あなたは今の仕事を楽しんでいますか?」という質問に対して、一体どれだけの人が心からYesと答えられるでしょうか? 
 これも人それぞれ考え方次第で、仕事自体は大変だと感じていても、働くことができるという幸せそのものに対して感謝の気持ちを抱いている人もいるでしょう。
 また、仕事は正直好きではないけれども、愛する家族を守ることが自分にとって一番の生きがいであるから、仕事がどんなに苦しくても家族の幸せのために働きたい、と答える人もいるでしょう。
 逆に、ただお金を稼ぐために会社の言いなりになって馬車馬のように月曜日から金曜日の朝から晩まで働くことにどうしても意義が見いだせない、という人も結構いるでしょう。
 別に、こういう考えは素晴らしいけれども、ああいう考えはけしからん、などと偉そうに言うつもりは全くありません。
 つまるところ、どんな考えであっても良いと思うのですが、できることなら人生の大半の時間を仕事に捧げるのであれば、少なくとも楽しむべきではないでしょうか。
 しかしながら、今の日本という国で、楽しんで仕事をしている人は一体どれくらいいるでしょうか?
 
 私は20年間サラリーマンとして働いた経験があり、東京で働いていた時は、毎朝ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に揺られて会社に通い、帰りも同じくぎゅうぎゅう詰めの満員電車に揺られて帰宅していました。
 そのため、毎日かなり多くのエネルギーを満員電車で消費していました。
 職場が品川駅の港南口から歩いて15分ぐらいのところにあった時は、毎朝物凄い人数の行列に並んで歩かなければならなかったので、急ぎたいからといっても人と人の間を走り抜けるスペースが無く、行列に並んで歩いていくしかできませんでした。
 それはまだ我慢できたのですが、一つだけどうしても気になって仕方がないことがありませいた。
 それは、満員電車に乗っている人たちがみんな死んだ魚のような目をしていることでした。
 もしかしたら、自分自身がそうなっていたから、それが周囲の世界に投影されて見えていただけなのかもしれない、と思っていたのですが、色々な人にこのことについて聞いてみると、すべての人が朝の満員電車の中では全く同じように感じていたということが分かりました。
 つまり、東京の朝の満員電車に乗っているサラリーマンの多くが死んだ魚のような目をしている、というのはどうも事実らしいということが分かってきたのです。(もちろん当時の私も含めてですが・・)

 死んだ魚のような目をしているということは、朝だから元気が無いということも大きな理由の一つだと思いますが、あれだけ多くのサラリーマンが不幸せそうな顔をしているのには何か原因があるはずだと思っていました。
 当時の自分自身に当てはめて見ると、一つ明らかだったのは、「仕事が楽しくなかった」ということです。
 ただ、21世紀になったばかりの当時の時代背景や、自分の中に「仕事は辛いのが当たり前だ」という固定観念もあり、それが異常なことだとは感じず、あまり気にしてはいませんでした。
 しかし、今になって感じるのは、当時の自分は「お金の奴隷」だった、ということです。
 つまり、「お金を稼がなければ人生が大変なことになるに違いない。」という、どこで習ったか分からない思い込みによって、月曜日の朝から金曜日の夜まで毎日不安と恐怖、将来に対する絶望に襲われながら生きていました。
 ほっと一息つけるのは、仕事が終わった金曜日の夜と土曜日だけで、日曜日になるとすでに月曜日からの仕事のことで頭が不安と恐怖でいっぱいになり、心はまったく幸せとは言えない状態でした。
 しかし、そういう状態ですら当たり前のこととして疑わず、選択肢は他にはないと信じ切っていましたので、自分からその悲惨な状態を変えようとすることはなく、毎日を絶望の中で生きるだけでした。
 不思議と当時の自分には分からなかったのですが、今になって思い返すと、明らかに当時の私は病んでいました。
 しかし、当時は自分が病んでいるという自覚すらありませんでした。
 今思い出すと、当時の自分は完全に「お金の奴隷」と化してしまっており、人生そのものに対して絶望しながら生きていました。
 誰かが私にお金の奴隷になるように強要したわけではなく、自分の意志で勝手に奴隷と化してしまっていたのです。
 当時は気付きもしませんでしたが、その根底にあったのは、「恐れ」でした。
 つまり、「お金が無くなると大変なことになる」という根拠の無い「恐れ」です。
 実際、お金が無くなることで本当に大変なことになるかどうかはどうでも良く、私にとっては、「恐れ」が働くことの原動力となっていたのです。
 今この本を読んでいるあなたはどうですか?
 今あなたは仕事を楽しんでいますか?
 もしかして、かつての私のように「お金の奴隷」になってはいませんでしょうか?

 もし、あなたが「お金の奴隷」となっているのでしたら、働くことの意味について今一度考え直してみることが大切です。

 本当にあなたは自分の人生を楽しんでいると言えるでしょうか?

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