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何もない街の「春の風物詩」。知らなかった世界の端っこを見て思うこと


朝5時半、携帯のアラームを止めて家を出る。
まだ顔を出したばかりの朝日に向かって自転車のペダルを漕ぐ。目指すは、近くの竹林。シーズン真っ只中の筍掘りを手伝うためだ。

先月体調を崩した時、医師から「朝、短い時間でいいから外出して太陽の光を浴びる」様に指導を受けた。元々、過眠でひきこもり傾向がある私にとって拷問に近い。案の定、眠気に抗えずに眠り続けていた。
この時期は毎週末、父が友人の筍の収穫を手伝っている。徐々に復調してきた今、それならばと私も行くことにした。多分、医師の言った”朝”は5時ではないと思うけど。

のんびりとした景色を見ながら、愛読している塩谷舞さんの著書『ここではないどこかへ行きたかった』の一節を寝ぼけた頭でぼんやり思い出す。

(略)はじめてその景色を目の当たりにしたとき、地元民である私は心の底から驚いた。そして、集まる人たちの静かな熱狂を見ていると、「何もない街なんて、ひとつもないんだ」と考えを改めざるを得なかったのだ
(『ここではないどこかへ行きたかった』より一部抜粋)

東京を経てアメリカで暮らす塩谷さんが、生まれ育った千里の今に触れ、こう綴っている。
……いやいや、そうはいっても。「本当に何もない街がここにあるんですよ」と失礼ながら思っていた。

私の地元は「何もない」場所。西日本で面積が一番小さい市らしい。30分番組の特集では「京都市民も知らない?隣の市」という不名誉なタイトルをつけられていた。もちろん、これは誇張ではなく実際によくある。場所を説明する際には「嵐山や伏見稲荷の近く」と濁している(きっと嘘はついていない……)

ずっとこの街が嫌いだった。小さくて、自慢できるものがなくて、価値観が古い。「ずっとこの街から出たい。新しい価値観に触れたい」と願い続けた。数年前、東京転勤が決まったときは嬉しかったものだ。



先日読んだ雑誌に「地域の経済をまわす」「伝統を受け継ぐ」など地域に根ざした特集が組まれていた。移住を決めた人たちも含め、その地域の産業を守る、育てる、新しく生み出す……と腹を決めて取り組む若い人たちの声がたくさん掲載されていた。読み進めるうちに、単純にとてもかっこいいと思った。

「自らの人生を過ごしたいと思える街を見つけた」人たちと「生きやすいどこかへ行ってしまいたい」と考えていた私は正反対。私もどこかで関係人口の1人としてでも貢献できれば、なんて地元を見ようともせずにいた。
小学校の社会科で習った地域の特産物、竹林の景色と筍に向き合うまでは。

朝6時前の竹林。朝日の光が竹の隙間から顔をのぞかせる。
この瞬間が一番好き。

まだ寒さが残る早朝から収穫作業が始まる。
夜から朝にかけて成長する筍。まだ地表にでる前の、空気にも光にも触れていない朝一に収穫した筍は特に「朝どれ筍」として地域の特産品になっている。
柔らかくて香りがよく、何よりおいしい。(苦みやえぐみ、かたさは全くといっていいほどない)

筍を見つけたら、掘る、集める、運ぶ……の繰り返し。
掘る、といっても「お芋掘り」などとは一味違う。テレビで見かける庭の草刈用の小さい鍬で行う「タケノコ掘り体験」は、おそらくほとんどが見事なお膳立てがされている。
可愛らしく”竹の子”と表記されても、相手は竹。地中に張り巡らせている根っこと格闘しながら、鍬で3~40センチぐらい掘っていく。大きいと1mぐらいの穴が必要になる。重い鍬を駆使しながらひたすら掘っていく様はさながら建設現場での作業だ。

”いい筍”を見つけ出すのも、表面を傷つけない様に慎重に掘るのも、長年の経験によるプロの技。
竹やぶの中を歩き回り、掘りだした筍を集めて出荷用のコンテナまで運ぶ。それからざっくり仕分ける。それが私のメインのお仕事。

泥だらけになりながら山道を何度も何度も往復するのは疲れるけど、不思議と心地が良い。
どうやらいろんな方向から指示がとんでくることなく、急かされることなく目の前にある作業に集中できれば、体はしんどくても元気でいられるらしい。カゴいっぱいの重い荷物を運んでも、パソコンの前にいた頃より気分は幾分か軽い。

それに、ひたすら拾ってコンテナに詰めるだけで「ありがとう」と言ってもらえるのだから、もしや役に立ってる……?とじんわり自己肯定感が高まっている気がする。これはもうマインドフルネスの一つなんじゃないだろうか。

下を向いて作業を続けていると不意に風が強く吹き、葉を揺らす音がする。顔を上げて手を止める。ひんやりとした竹にもたれかかってゆっくり伸びをすれば、笹の隙間から光が降りそそぐのが見え、とても気持ちがいい。マイナスイオンでも出てるのかな。



手伝い始めて、「動きすぎること」を注意されたことがある。
良かれと思ってあちこち歩き回ると、土を踏み固めて筍の成長を妨げてしまったり、踏んでしまったりする。なによりも筍ファーストの精神で臨むのだ。
それに、動きすぎるとすぐに疲れてしまう。斜面を歩いている最中に転んで怪我をする危険も高まる。

周りを見ながら効率的な動きを考えることは必要だけど、それ以上に急がず、疲れすぎない様に気をつけながら着実に進めることが大切だという。
数日で終わる作業なら必死に働けばいいけれど、シーズンは毎日収穫作業が続く。

また、収穫と並行して来年以降を見据えた土壌づくりも行う。手入れが行き届かず荒れ果て、朽ちた竹ばかりの場所に筍なんて生えない。収穫し、新しいスペースができるからこそ子孫を残そうと筍が生まれる。今あるものをすべて収穫せず、いくつか選別して竹林を育てていく。

収穫のシーズンが終われば、来年の準備。天候や環境に左右される、とても繊細なもの。自然相手にどれだけ時間と手間をかけても来年の豊作が保証されるわけではないけれど、人ができることを手間を惜しまず黙々と続けるだけ。

結局、繁閑はあれど1年を通じてやることはたくさんある。「今の作業だけを見て必死になっていたら農業を続けていられない。よりよく続けるために、無理をしない」という言葉は胸に刻んでおきたい。



万全の状態で毎年の春を迎えるために、将来いい筍を作り続けるために、瞬発力よりも持久力の方がずっと大事。でも、どうしても筍づくりの行く末を危惧してしまう。

この地域のほとんどが家族経営。好きか嫌いかは関係なく、土地を受け継いだそれぞれの家の努力によって、今がある。筍づくりは熟練した経験や技術なしに成り立たない。「地道で疲れるし腰も痛いし、機械化ができたらいいのに」なんて言いながら、本音では「神経を使うこの作業は機械には無理だ」という職人の矜持が含まれている様に聞こえた。

じゃあ、その農家の体力はいつまで続くのだろう。
父の友人は60代だし、隣の竹林で作業をしていた方は80歳を超えているらしい。とても元気な方だったけど、100年後も現役な訳ではないし……。もちろん協同組合なども介入するだろうけれど、どうなってるんだろう……?

膨大な作業の端っこをちらりと覗いて、知ったようなことを言っても「余計なお世話だ」と言われそうだけれど。今だって「これまで農作業をしたことがなかった人が手伝いにくる」と“お客様”の様に迎えてもらっているはずで。

それでも。少しでも触れてしまったからには。「地域の特産品はいつまで特産品でいられるだろう」と憂いてしまう。私にできることはないか、と余計なお世話ついでにこっそり調べ始めている。

インターネットが、水道管以上に張り巡らされたいまの時代。大都市とそれ以外の場所の性質は、随分と変わってきている。もっとも、大都市のほうが暮らしていくのはずっと簡単で、どんな個性でも受け入れられるようにインフラは整備されている。一方、大都市から離れた場所でうまくやるには、確たる信念や人間力が必要なのだ。人間をちゃんとやっていく。それは本当に高度な営みで、大都市の利便性にすっかり甘やかされた私には、なかなか難易度が高いことだ。
(『ここではないどこかへ行きたかった』より一部抜粋)

「どこの地域に、何を見出すのか」が直近のトレンドだった。だけど、一番近い場所を知ろうとしてこなかったし、むしろ避けてきた。でも、細々と、脈々と何かを守り続ける暮らしは、ここでだってずっと続いてきたはずだ。
憧れていた東京から、疲れて地元に帰ってきた私に「せっかくならここで暮らすことを楽しんでみれば?」と小さな声が聞こえてきた気がした。

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