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壇珠さん毎日投稿振り返り1076-20

20日目。

今日という日は、ようやく半年前に決定した退職日でした。

長かった6カ月。みんなと何とか私が抜けた技術の穴を埋められるかと、頑張った6カ月でした。

私がお客様になっても、このサービスを受けたい!って思えるような技術になっているよ!と励まして会社員生活を終えました。

さて!明日から新しいスタートです!

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さて、本題の毎日投稿の振り返りです。今回は自分の命より大切なものはあるか?ないか?

という質問です…

壇珠さんの答えは、

あなたが人生を愛して生きるのに、ご自分の命を何よりも大切だと考えるのも良いですし、この先どこかで、それを投げうってでも守りたいと思うものが現れても良いのだと思います。

どちらでもいい。

まさにその一言に尽きますよね。

自分自身が決めることだし、そういったことは自分自身の持つ信念を大切にすればよいと思いますが、たぶん質問者さんは、人のために命をささげることはきれいなこと、自分の命のことばかりを考えていることは、少しやましいこと、のように思う節がありませんか?

…っ実は私がそう思ったりするから、少し疑問符で書いてみました。

だってこの世の中(メディア)は特に、命をなげうってでも的美談が大好きです。

事実もあるかもしれませんが、メディアが少し誇張した場合だってあります。美しく仕上げたというか…

取り上げるから、命をなげうつことがかっこいいしほめたたえられる、という概念を植え付けられたにすぎないと思います。

私は質問者さんと同様に、自分の命が一番大事、自分のことを大切にするってそういうことでしょ?と思ったことがあります。

でも私は壇珠さんの投稿をずっと見てきて、自分自身をどうやって大切にしていくかを学んできました。

それは、死にまつわることでも、性のことでも、なんでも自分の心地いい方を、心から喜びを感じるほうを選ぶこと。それが自分のことを愛して、いつくしむことであると知ったのです。

そして、そうすることによって、私を愛する者たちも同時に心地よく生きられると知ったのです。

生と死は、反面に見えて私は同一であると感じています。

自分の心地よい生は、自分の心地よい死だと思っています。

自分が心地よく生きれば、おのずと心地よい死を自分で選ぶことになる。それが自分の人生を生きるということだと思っています。

どちらも正解不正解はない。人の死生観については介入できない。

本当にそう思います。

皆さん、自分の身の回りで、死にたい…という方がいたら、どうしますか?

何か声をかけたくなりますか?ほおっておいたら死んでしまいそうですか?助けなければ冷たい人だと思いますか?

私は、人がそこに存在する意味は、生きたいと思うからこそ生きているだけでよくて、死にたいと思うのならば、その死にも意味があるのだと思っています。

自分の生き方を自分の思うようにしていけるように日々心を整えていくことは、結果自分の納得いく死を迎えられるコツではないかと私はおもって生きています。

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さて、今日は自分の死生観を少し書かせていただきました。

ひととは意見が違うところがあります。でも、これが私なのです。

なので、数日後にはまた意見が変わったりしているかもしれませんが、この投稿を読んだ20日前と、振り返っている今現在も全く考えが変わっていません。

また過去の記事を読んだ時にはどう思うのでしょうか?

楽しみでもあります。

では今日はこの辺で。

また、明日。


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