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【後編】とあるコスモポリタン

<前編のあらすじ>
ある夜。主人公はニューヨークのカフェで、初めて会うE・ラシュモア・コグラン氏と相席することになった。彼は「真のコスモポリタン」と言える人物だった。コグラン氏が見て回った世界の話を聞いているとき、南部出身者らしき若い男も同席してきた。主人公が自分の推測があっているか確かめたくて出身地を尋ねようとしたら、コグラン氏はバンとテーブルをたたいた。

「失礼」と彼は言った。
「その質問を聞くのが大嫌いでしてね。出身がどこかなんて、意味があるのでしょうか?住所で人間を判断するのはアンフェアじゃないですか?
私は、ウィスキーが嫌いなケンタッキー人や、ポカホンタスと血縁のないバージニア人、小説など書いたことのないインディアナ人、縫い目に銀糸の飾り刺繍の施されたヴェルヴェットのズボンを穿いていないメキシコ人、おもしろいイギリス人、金遣いの荒い北部出身者、冷血漢の南部出身者、視野の狭い西部出身者、青果店の店員が片腕でクランベリーを紙袋に詰めるのを待つことすらできない多忙なニューヨーク人も見てきました。
その人個人を見てあげましょうよ、レッテルを勝手に貼り付けて、色眼鏡で見るのではなくて」

「失礼しました。ただ、私が無意味に詮索したわけではないことをどうかご理解ください。
私は南部がどんなところか知っているので、バンドが「ディキシー」を演奏しだしたら気になってしまうのです。観察を続けた結果、「ディキシー」に熱狂的な拍手喝采と、ぱっと見ただけでも局所集中的な執着を示す人間は、ニュージャージー州のセコーカスか、このニューヨークのマリー・ヒル劇場とハーレム川の間のエリアの出身者であるという持説を信じるに至りました。こちらの方に尋ねて、持説を試そうとしていたのです、あなたの立派な説を聞かされるまでは」

 若い男はここでようやく私に向かって話し出したが、彼もまた独特なグルーヴの持ち主であるようで、「私は蔓日日草のようにありたい。丘の上に咲いて、トゥラルーラルーと歌っていたい」とミステリアスな台詞を吐いた。

 あまりにも意味不明なので、私はまたコグラン氏のほうを見た。

「私は世界を十二周した」と彼は言う。
「グリーンランドのウペルナビク在住のエスキモーがシンシナティからネクタイを取り寄せていたり、ウルグアイのヤギ飼いがバトルクリーク市の朝食パズル大会で入賞するのも見ました。
私はエジプトのカイロ市と、横浜にも部屋を借りて毎月家賃を支払っています。上海の茶室には私専用の室内履きが常備されていますし、リオデジャネイロやシアトルの定宿はなにも言わなくても私の好みの固さで卵料理を出してくれます。
世界は広いですが、ちっぽけで古臭いものでもあります。
やれ北部出身だの、南部出身だの、どこぞの谷の古い屋敷を持っているだのと語る意味はなんなのでしょう?
クリーヴランド市ユークリッド通りだか、パイクス・ピークだか、バージニア州フェアファックス郡だか、フーリガン家の屋敷だか、どこの出身でもいいではないですか?
生まれ故郷だからって、古臭い街やら十エーカーほどの湿原にみながバカみたいにこだわるのを止めたら、世の中もっとよくなると思いますよ」

「あなたは真のコスモポリタンのようですね」と私は好意的に言ったあと、
「でも愛国心を貶しているとも取られかねないですよ」と言った。

「そんなものは石器時代の遺産です」とコグラン氏は朗らかに言った。
「私たち――中国人も、イギリス人も、ズールー人も、パタゴニア人も、カンザス川沿いに暮らす先住民族も――みな兄弟なのです。いつの日か、市や州や地域や国へのちっぽけな誇りなど消え去って、私たちはみな地球人となるのです。それがあるべき姿です」

私はしつこく食い下がった。「でも外国の地を歩いているときに、郷愁の念に駆られたり――」

「特定の地だけを懐かしく思うことなどないですよ」とE・ラシュモア・コグラン氏はぶった切った。
「南北の両極端は多少凹凸が少ない、丸い地球と呼ばれる惑星の世界全体が私の住処なんです。
この国から離れても、物に縛られたアメリカ人の同胞を多く見てきました。
シカゴ出身の男たちが、夜の月光の下、ヴェネツィアのゴンドラに揺られながらシカゴ市の下水道のほうが立派だなどとほざいているのを見ました。
南部出身者がイングランド国王に、奴隷市場で栄えているチャールストン市のパーキンス家に母方の大おばが嫁いだので血縁関係にある、と平然と自己紹介しているのも見ました。
アフガニスタンの賊に人質として誘拐されたニューヨーク人にも会ったことがあります。身内がお金を出したおかげで、仲介人と一緒にカブールに戻ることができたそうです。「アフガニスタン?アフガニスタンでの移動はそんなに時間がかからなかったのか?」と地元民に通訳を介して聞かれた彼は、「よくわからない」と答えてから、ニューヨーク六番通りとブロードウェイの乗合馬車の御者の話をしていました。
こういう態度には、どうも共感できないです。私は直径8,000マイル以下のなにものにも縛られないのです。地球市民、E・ラシュモア・コグランという肩書だけで充分です」

 我らがコスモポリタンは、雑踏と煙の向こうに知り合いが見えた気がすると言い、大仰なアデューの挨拶を残して去っていった。そうして私は蔓日日草になりたいと話していた若い男と取り残された。彼はもはやヴュルツブルガーと一体になったかのように押し黙り、丘の頂上から見下ろし歌っていたいという望みはもう失ったかのようだった。

 コスモポリタンであることを証明してみせた男のことを思い出し、かの詩人キプリングがあのようなコスモポリタンを見逃すなどということはありうるのだろうか、と物思いに耽っていた。あのコスモポリタンは私の新発見だと、私は彼の発言を信じきっていた。あの詩はどう言っていたか?「南北へと散っても、母親のガウンにすがりつく子どものように、生まれた街の片鱗に縋りつく」のではなかったか?

でもE・ラシュモア・ コグランはちがう。全世界は彼の――

私の瞑想は、カフェ内のどこかから聞こえてきた騒々しい物音と争う声に遮られた。椅子に座っている客たちの頭越しに、E・ラシュモア・コグラン氏が知らない人と大喧嘩しているのが見えた。テーブル席の間で取っ組み合う二人の喧嘩ぶりはギリシャ神話のタイタンの争いさながらの激しさで、グラスは砕け散り、喧嘩をおさめに入ろうと二人の帽子を掴んだ男たちは殴り倒され、ブルネットの髪の女性は叫び、ブロンドの女性は「からかっただけ」を歌い出した。

 我らがコスモポリタンは地球の誇りと名声を堅守していたようで、ウェイターたちが争う二人をラグビーの有名なフライングウェッジフォーメーションで取り囲み外に追い出す間も、抵抗を続けていた。

 給仕ガルソンの一人であるマッカーシーを呼びつけ、なんの喧嘩だったのか尋ねた。

「赤いタイの男が」(我らがコスモポリタンのことだ)とマッカーシーは話しだした。「出身地の歩道がおそまつだとか水道が整っていないとか相手の男に言われて、かっとなったみたいですよ」

「え、そんな」と私はうろたえた。「彼は地球市民で、コスモポリタンで、彼は――」

「メイン州のマタワムキアグというところの出身だって言ってましたよ」とマッカーシーは続けた。
「出身地を貶されるのは我慢ならないのだそうで。」


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