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6.堂道、ファミリー!④

 日暮れとともにマリーナに帰港し、みんなで荷物を下ろしていると、堂道母に声をかけられた。

「今から食事に行くのよ。糸さんも是非いかがかしら」

陽は落ちたのにつばの広い帽子をかぶり、コーディネートの良し悪しはさておき、一目で高級ブランドとわかる柄のリゾートワンピースに着替えている。

聞きつけた姉春子が、糸の腕に自らの腕をからめて、
「糸ちゃん、ステーキよー! 行きましょうよ」

そこへ堂道がやってきて、話に割って入った。

糸の手から持っていた荷物をさらいながら、
「今日は帰る。疲れた」

「あら、Yホテルの鉄板焼きなんだから、そのまま泊まればいいじゃない」

「明日用事あるし」

「えー。糸ちゃん、そうなの!?」

「えっと、すみません。今日はこれで失礼させていただきます」

「結婚の相談をしたかったのに、残念だわ。仕方ないわ、後日改めてさせて頂戴」

母は、まったく残念そうに見えない様子で言ったが、言った傍から「春子、車のキーは……」と違う言動に移っていて、もしかしたら常に、自分のことでいっぱいいっぱいな人なのかもしれない。

小夜や冬至たちもステーキに誘われていたが、二組ともそれぞれもう帰るということなり、結局そこで一旦お開きとなった。

「糸ちゃん、またね」

堂道に似た冬至の笑顔と軽さにはまだ違和感がぬぐえない。

「はい、今日はありがとうございました」

美麗は「うちに遊びにいらしてね。ランチにも行きましょうね」と手まで握って言われ、やはり、嫌な人ではないのだと思う。他人と足並みを揃えられないお嬢様なのだ。

小夜と「また会社でね」と別れ、別々の車に乗り込むと、狭い車内の密室の距離感に感覚が追い付かない。
 一日中、すぎるくらいの解放的な環境にあったので、閉塞感に安心さえあった。

エンジンをかける前に、堂道が糸を見て、
「反対されるかもなんて心配は杞憂だっただろ」

「あ、確かに」

「あの家で、俺の扱いなんてそんなモンだ」

「愛情の裏返しと思いましたよ?」

堂道は少し笑って、ようやく車を発進させる。
 堂道も息苦しさを感じたのか、エアコンを切って窓を開けた。
 
「冬至、どうだった?」

「想像してた感じと違いました。なまじ顔が似てるだけに、違和感が半端ないって言うか。私は夏至派だなって、つくづく思いました」

「夏至派はマイノリティだぞ」

「ゲシちゃん見慣れてるからか、冬至さんの笑顔は嘘っぽくって。失礼な話ですが」

すぐ隣の、好きな方の横顔を、少し見上げる角度で眺めた。

「……最初は似てると思ったけど、今はもう全然似てなく見えます。私にかかれば、冬至さんは夏至さんの引き立て役でしかない」

「ついに糸チャンは目までイかれたか」

糸はすべてに満たされていて、自然と笑顔になってしまう。

身体の向きを変えて、助手席側の海岸線を眺めた。
 今は、すっかり別人のような夜の海がある。

「なんだか……今日は、新婚旅行に来たみたいでしたね」

「新婚旅行、ショボすぎんだろ。おまけに親小姑付きとか」

「海のリゾートっていいですね。次長、意外と海似合ってましたよ」

「意外とってなんだ。……海ねぇ。カンクンとかどうだ」

「カンクン? どこですか」

「メキシコ」

一日中、風に吹かれていたせいか風が恋しい。
 窓だけでは物足りなくて、サンルーフを開けると、一気になまぬるい陸の風が車内を巡った。
 爽快な海岸線と、夜風が気分を高揚させる。

糸はシートベルトを外し、運転席の堂道に抱き着いた。
 そして、キスとは言えない乱暴さで、頬にかじりつく。

「おいおい、なんだどうした」

「次長、好きです」

少し、なまめかしく堂道の身体を触ってみる。
 そんな誘うような真似をしなくても二人の間を阻むものなど何もないのに、もう堪えられなかった。

「糸! ちょ、待て。危ねぇ!」

「次長、もう食べちゃいたい……」

「あー! やめろってば! あ! お前、服の下に水着着てきたとかマジかよ!」

「え? ああ、だっていつ泳ぐってなるかわかんないし、緊急避難的にも」

「それはライフジャケットだろうが!」

糸は胸元の服を引っ張って、その中の水着を見おろした。

船から海に降りて泳げると知った時、春子が「泳ぐなら水着を貸すわよ」と言ったのだ。
 朝から着こんできたと言ったら、冬至に「小学生か」と大笑いされた。

「……お母さんも着てたじゃないですか」

「ババアはいつもなんだよ。他に水着のやつなんかいなかっただろ!」

「泳ぎたかったなー」

「それはもっと夏に! つーか、まずどんな水着か俺が見てからだ!」

「ふはー、スッキリしたー」
 
「一日潮風に晒されてたからな」
 
 バスルームから出ると、先にシャワーを終えていた堂道が台所に立っていた。
 茹でた麺に粉チーズをかけただけのパスタは堂道の得意料理の一つでもある。具はないのに、なぜか最高においしい。

「冷蔵庫、なんもねえ」

「ありがとうございます。私、これ好きです」

堂道が取り急ぎ借りた賃貸マンションは、以前よりは会社にも糸の家にも近くなった。
 平日に行き来することが多くなったとはいえ、一応はまだ別に暮らしている。
 堂道が東京に戻ってふた月ほど経っていたが、相変わらず荷解きは途中で、食器棚もがらがらだった。

「行儀悪いがもうこれでいいだろ。めんどくせ」

大盛りの皿一つとフォーク二本だけを手に、堂道がテーブルに着く。
 堂道も疲れていて、すべてが面倒なのか、続きのリビングは真っ暗なままで、ダイニングテーブルを照らすペンダントライトだけが点いている。
 昼間は眩しすぎて、目が《《太陽あたり》》していたところもあったので、今は部屋の暗さにほっとした。

「堂道家の食卓は、なんかすごそうですね。毎食、テーブルコーディネート完璧そう」

堂道は缶のビール開けながら、
「ああ、母親にはマイルールがあってこだわり強ぇのに、マイペースだから時間かかるんだよ。晩メシ、いつも遅い時間だったわ。しっかし、あいつらまだ肉食うのか。すげえ胃してんな」

「お母さん、結婚の話っておっしゃってましたね。私、正式に挨拶もしてないのに」

「俺だって、付き合ってる人できたから連れて行くって言っただけだぞ。あの人、めちゃくちゃ思い込み激しいから。そんで、全然話聞かねーから。挙句捏造するし。不思議ちゃんだし、相当ヤバい」

「まあ、うちの母親も我が道行ってるトコありますけど、次長のお母さんは上を行きますね。楽しいです」

ほんのりと塩味のパスタをフォークでくるくるする。
 堂道は食事よりビールらしく、フォークすら手にしていない。一人で全部食べてしまいそうだ。

「もう糸の部屋解約して、一緒に住むかぁ?」

「いいですよ」

「そうなると、親父さんに一言断りいれとかなきゃなぁ」

「えー、別にわざわざいいですよ。三十前の娘ですよ。この前の挨拶の時に、次長が、近々一緒に住みたいと思ってるって言ってくれたじゃないですか。あれでもういいでしょ」

「そうもいくか。オッサンだからこそその辺はしっかりしとかねえと」

結婚の進捗は、順調なようでそうでもない。
 深刻ではないにしても、糸の実家の許しがもらえていないことは事実だ。

「しかし、ここに越してもまた動くとなると面倒だな。来週末でも分譲マンション見に行くか。俺もそろそろローン審査ヤバい年だし。家、用意しましたっつったら、覚悟の一つとしてアピールんなるだろうし。あ、どした?」

糸はすっくと立ちあがって、向かいに回ると椅子に座る堂道の後ろから抱き着いた。

「おいおい。聞いてます? 今、真面目な話してんスけど」

返事もせず、堂道の耳にかじりつく。

「おーい、メシ途中だぞ」

幸せで楽しい気持ちと、現実的な不安と憂鬱な気持ちで、なんだかその先の話を進めたくなくなったのだ。
 酒を飲んで嫌なことを忘れるように、今、考えたくないことから逃れたい。
 
「あとで食べる。……したいです。もう、我慢できない」

「お前は、堪え性のない男かよ」と言いながら堂道は缶ビールを置いて、キスで応えてくれる。

「ソファか? ベッド?」

「もうここでも。わたしが、乗って……」

「アホか」

堂道は笑って席を立つと、糸を横抱きに抱え上げた。

「こんな椅子、やりにくいだろうが」

すぐ後ろにあったソファに下ろされる。
 風呂上がりの装いは、かぎりなく簡素で、堂道の手はすぐに素肌を滑った。

キスを受けながら、どんどん脱がされていく。
 あっという間に裸になったとき、身体の中心は相当に潤んでいたが、今夜の堂道はそれを冷やかしたりはしなかった。

「ちょっとだけ待てよ」

熱に浮かされた糸の額を撫でてから、寝室へ行く。
 避妊具を箱ごと持ってきて、中から一つだけ取り出すと、あとはローテーブルに投げ置いた。

たいした前戯もなく、すぐに挿入される。
 おそらく、糸の不安を埋めるためだけのセックスだとわかっているのだろう。

「あ……ああ……」

「いと……」

しかし、抽挿が始まったとき、しんとした部屋にスマホの振動する音が聞こえた。
 どこかでどちらかの携帯電話が鳴っている。

二、三度抜き差しをしたが、あまりに床に響いているので、
「あー、ちょっと、タンマ」

「えー……あっ」

ずるりと抜かれると、喪失感でいっぱいだ。

「誰だよ? つーか、どっちのだ? どこだ」

「わたしのは、かばんの、なかかも……」

テーブルに置いてあった自分のスマホをまず見て、
「俺じゃねえわ。糸、カバン、見んぞ」

「……はい」

裸で、糸のバッグを漁っている姿を面白いなど思えたのは一瞬だった。

「おい、お義母さんだぞ!」

「ええ!? 後でいいです! 後でかけなおしますから!」

「いや、出ろよ!」

「ええーっ!?」

ご丁寧に通話ボタンをタップされてから、渡される。
 なんとなく脱ぎ捨てたTシャツで身体を隠した。

「も、もしもし! お母さん? なに!?」

『あー、糸? お父さんとお母さん、来週末、東京に行くわ』


Next 堂道、最終章①に続く


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