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6.堂道、ファミリー!②

若いことと初婚であることは、気づかないうちに糸に胡坐をかかせていたらしい。
 周りの反応が糸にその意識を助長させたこともあるが、見定められる立場にあることを忘れるくらいには、堂道との婚約は糸にとってまだ夢の出来事だった。

「すみません、ほんとに、私なんかで……」

爽やかなマリンルックに身を包みながら糸は、暗い顔で言った。
 クルージングには絶好の晴れやかな青い空が広がる。
 堂道の両親と対面することがだんだん憂鬱になってきて、実は今日雨が降ればいいのにと少しだけ思っていた。

「ワタシなんかとか言うなって。誰が見たって俺の方が大金星だろ。心配することなんてねえよ」

「そうは言っても、私の時もそう思ってました。けど……蓋を開けたらってことも……」

「しつけえな! 絶対ねえから! 反対されたとしてもそれは違う意味」

「違う意味?」

「そ、俺の方が『俺なんか』の扱いだから」

船が停泊している港に着いて、一番にまみえたのは堂道の両親だった。

数年前に冬至に医院を譲った父親は、今はその診療をたまに手伝うくらいに仕事をしているだけで、あとは自由気ままに暮らしているらしい。

「は、はじめまして、玉響糸と申します。今日はお招き頂きましてありがとうございます」

「あらあら、かわいらしいお嬢さんだこと」

「いやいや、どうも。夏至が世話になっとるみたいで」

二人とも笑い皺が目じりに滲む、白髪の上品なおじいちゃん先生と上品な奥さんといった風だ。

それにしても、なんとも言えず二人の周りに流れている空気が緩い。
 母親の方は、想像していたような『お義母様』ではないようだ。

「夏至、あなた早く来てくれたんなら、これ積み込んでちょうだい。重くて」

明らかにその辺のふつうのおじいさんとおばあさんではない、ハイカラでリゾートな格好をした二人は、ずいぶん早くから着いて、車から荷物を下ろしたり、積み込んだりしようとしていたようだ。

しかし、ここまでの言動を見るかぎり、二人ともどうにもおっとりとしていて、作業はいっこうに進んでないようだった。

「手伝います!」

「あら、ありがとう。じゃあ、これをお願い。あなた、あれはどこです? あれがないと」

「おい、夏至、あれどこだ」

「あれってなんだよ」

「糸さんは船は平気? お帽子は持ってる? 日焼けするから」

「はい! 持ってます!」

とても独特な空気を持つ二人だ。
 糸はまずそんな感想を持った。

その次に現れたのは、草太と小夜で、二人揃ったところを糸は久しぶりに見た。
 草太は以前より少し痩せていて、結婚式に向けてダイエットしているらしい。

小夜の家も一般的なサラリーマン家庭らしいが、環境は人をそれなりにするのか、プライベートな小夜はどことなくセレブな香りが漂って、すっかりお医者様の妻っぽくなっている。

一通りの挨拶から、作業もそこそこに世間話をしているところに、姉夫婦が到着した。
 日本で一番有名なドイツ車が目の前で止まる。

「……お姉さまもお医者様に嫁がれているんでしたよね?」

隣にいた堂道に尋ねると、
「産婦人科医」

「さんふじんか……!」

「糸がもし妊娠したら、絶対姉ちゃんとこの病院で産めって言われるだろうけど、俺としてはそれだけはカンベンしてほしいと思ってる。糸もやだろ!? 俺は嫌だ」

「なんか……想像したこともないハードルの高さです……」

リアルなことを一つも想像できない世界だが、ごくりと生唾を飲み込まずにいられない。
 車のドアが開き、ド派手な、非常にクルージングが似合う、見るからにセレブな女性が駆け寄ってくる。

「あらあら、ハジメマシテー! ようこそ堂道家へ! 夏至の姉の春子はるこです」

「はじめまして! 玉響糸です」

「うそー! かわいい! 若い! 夏至、あんたの年で糸ちゃんゲットするとかやるじゃーん! あんた、気をつけないと刺されるわよ、通り魔とかに。人生はプラスマイナスゼロなんだから」

「夏至くん、ホントによかったねぇ」

産婦人科医とやらの義兄は、ギラギラした見た目だが爽やかな笑顔が印象的だ。歯が白く、この男もクルージングがとてもよく似合う。

賢成けんせいは?」

「予備校よー。勉強、勉強でこっちが嫌んなっちゃうわ」

堂道が糸に説明を加えた。

「賢成ってのは姉ちゃんとこの一人息子。高三」

「受験生……。もちろん医学部?」

「そうだろうな。出来の悪いやつじゃなかったし」

「はああ、上流階級……」

「心配すんな。俺と結婚しても、こっちの仲間入りはできねーから」

「……助かります」

マリーナの駐車場に、また一台の車が入って来た。

「あ、あれ、来たわ。冬至」

「待ってました! 冬至さん!」

この時ばかりは、緊張よりも興味が勝つ。

「糸」と堂道に見下ろされた。

「……本気で心配はしてねえけど、頼むぞ?」

「そんなわけないじゃないですかぁ!」

ご多分に漏れず外車から降りてきた男に、糸はあやうく倒れそうになる。

「きゃん」

「おま、変な声出すなって……」

「次長……、やばいです。あれは、次長のコスプレですか?」

「コスプレって普通の服だろ」

確かに、白衣を着てるわけでもなく、堂道と大した差のないただのTシャツに短パンだ。
 もっとも白衣姿などなら、好きになってしまうかもしれない。医者のコスプレをした堂道夏至を、だが。

「何のサービスですか拷問ですか……! 堂道次長なのに堂道次長じゃない堂道次長とか……!」

まずいかもしれない。今、間違いなく糸の目は輝いているはずだ。
 傍から見れば、ただ冬至に対して熱を上げる女子でしかない。

「お、夏至。久しぶりー」

顔はそっくりだ。髪形が違うのと、冬至の方が少し肉付きがいい。

「あ、こちらが彼女?」

「はじめまして! 玉響糸と申します」

「糸チャンかぁ。よろしく。弟でーす」

人当たりは確かにいい。
 が、軽い。チャラい。

「こっちはオレの奥さんの美麗みれい

「はじめましてぇ」

一方、近い将来、糸の義妹になるだろう人は、ハイソな雑誌に読者モデルとして載っていそうな線の細い、たおやかな女性だった。
 クルージングにそれで大丈夫なんだろうかと思わずにはいられないような、ひらひらの長いスカートを履いている。こちらもその柄、その色、その形といった見るからに高級そうな、インポートのリゾートワンピースだ。

富は人を美しくするのか、美しいから富に恵まれるのか。
 図らずも糸は、そのテーマについてしばらく考えることになった。


 
 男女五組、総勢十名。
 船はそれだけの人数が乗っても十分な広さがあった。

前後の甲板に、階段を登って行く展望デッキ、その他にも船室、とスペースはたくさんあって、みんなで一箇所に集まらずとも、好きな場所で自由に寛ぐことができる。
 
 昼のバーベキューのほとんどの準備は堂道と草太がし、その間、参加の女性陣がきゃぴきゃぴと野菜を切ったり洗ったり、というのが糸は世の常だと思っていたが、違った。

することといえば、それは開封。
 積み込む際、とても幅を利かせていた荷物の多くはバーベキュー用のケータリング食材だった。

いくつもの揃いのクーラーバッグを次々に開けていく。
 まるでホテルのバーベキューかと思う盛り付けでパッケージングされている。
 プラスチックとは思えないようなお洒落なカップに入った小さなアミューズが、何種類も詰められてあり、肉や海鮮のメイン食材からオードブルはもちろん、焼き野菜までがゴージャスに盛られている。

ナフキンからカトラリーまでも入っていて、どうやらこれは『バーベキューセットテーブルコーディネートプラン』に違いないと糸は思った。そんなサービスが存在するのかは知らないが。
 当然、紙皿なんてものはないし、糸が普段参加するような「買い出し班が近所のスーパーに行ってきました!」という雰囲気は全くない。

「お金ってあるとこにはあるんだね……」

糸が呟くと、小夜も羨望のまなざしでため息をつく。

「そして、世の中のたいていのことはお金で解決できるんだよ」

いざバーベキューが始まっても、当然肉争奪戦なんてことにはならない。
 アミューズとお喋りを楽しむ雰囲気で、グリルの周りに人が寄ることもない。
 堂道と草太だけが焼けたそばから肉を食べているが、肉を焼くのは雰囲気を楽しむ賑やかしにすぎないようだ。

「美麗さん、お肉焼けましたがいかがですか」

「ありがとう。でもいいわ。だってそのお肉、固いでしょう」

「そうですね……」

糸はすごすごと下がる。

美麗は少し離れたところで、シャンパンを片手に、デッキからつながる船室のリクライニングチェアでわずかに入ってくる風に吹かれている。
 終始スカートが気になって仕方ない糸だが、デッキに出ない分にはそこまで風は強くなかった。
 つばの広い帽子にサングラス、長袖に手袋姿。絶対に日焼けしたくないらしい。

両親はきちんとテーブルに向かい合って座って、フォークとナイフを持っている。
 堂道から焼いた肉の提供を受けては、それなりに「固い肉」を楽しんでいるようだった。

「夏至ちゃん、もう少しレアがいいわ、私」

「こんな肉、半生で食って中ってもしらねえぞ」

「大丈夫よ、ホテルのだもの。新鮮よ」

すぐ側に糸と小夜がいたが、息子の嫁になるかもしれない若い女性に、特に気を遣うよう様子もなく、気になるふうでもない。
 ただ洋上のランチを楽しんでいるどこか浮世離れした二人だ。
 ちやほやされないにしても、色々聞かれたりするだろうとは覚悟していたのだが。

しかし、その次の世代はそれなりに興味があるらしい。
 
「ねえねえ、糸ちゃん! なんで夏至なの!? 夏至のどこがいいの?」

「ホント、よく夏至と結婚しようと思ったよね。弱味でも握られてるとか」

「でも、こんなかわいい彼女が結婚してくれるなんて、夏至君、本当によかったねぇ」

「夏至なんて全然かっこよくないし、ガラは悪いし! 第一、医者じゃないのよ!? サラリーマンよ!? 定年したらお給料なくなるのよ!?」

「一緒に働いてる年上の男って、カッコよく見えるもんだよねぇ」

「ま、嫌になったら別れればいいじゃん。さすがに夏至も次はないだろうけど」

義兄はさすがにフォローに回っているが、姉弟は容赦がない。
 堂道は反論もせず、黙って言わせている。放っておくスタンスらしい。

「私が夏至さんとずっと一緒にいたいんです。夏至さんじゃないと嫌なんです。夏至さんがいいんです!」

「糸、相手しねえでいいから、そいつら」

「えー、なにこの健気な生き物は! きゅんとしちゃう!」

「今だけ今だけ」

「夏至君、よかったわねぇ」

ふらりと美麗がやってきた。
 風に吹かれて、薄いスカートがひらひらしている。細いので、船が揺れると転びそうだ。

トングを片手に、グリルの周りで汗だくになっている夏至に、
「夏至くん、固くないお肉ちょうだい」

「肉の種類、全部一緒」

「固くないお肉がいいわ」

「だから全部同じだって」

「じゃあ、ホタテがいいわ」

「もうすぐ焼けるから」

美麗の、サングラスで隠れているはずの目と合って、糸は会釈する。
 口元は笑っているので好意的なのだろう。

「……私、今度の人とは仲良くできそうだわぁ。年も下だし」


Next 6.堂道、ファミリー!③に続く

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