人生で最高の食事、弱った編
子供が生まれるちょっと前、冬休みに日本に里帰りしたついでに、夫と初めてベトナムを訪れた。
カリフォルニアの天候に慣れきった体は案の定、暖房の行き届かない真冬の日本の家で風邪をひき、出発前に発熱。ギリギリまで寝込んでしまった。
見知らぬ環境、見知らぬ土地で病気が悪化したらどうしよう、とパニックになったが、有難いことに、弱った体に1月でも暖かいベトナムの空気は優しかった。あれだけの量のオートバイが路上を走り回っているにも関わらず、不思議と排気ガスで空気が汚れた感じもそれほどはしなかった。
それでも止まらない咳と、弱ってグラグラになった体だったので、旦那だけ外に出てもらってホテルで半日は休んだり、街歩きも休み休み。
あれも食べたいこれも食べたいと思っていたのにそれも叶わず、いつになくゆっくりとしたペースでの旅となった。
旅の中盤はホーチミンから飛行機に乗り、ベトナムの古都・フエに飛んだ。1945年まで存在していた阮朝の首都だった場所。ベトナムの京都、とでもいったところだろうか。
冬のフエは雨が降ったり止んだり。しかし降るのは冷たい雨ではなく、寒くもなく暖かくもない、とても優しい雨。心地よい湿気と暖かさに包まれると、なんだか気持ちのよい布団にくるまれているようである。
自分という存在がその空気の中に溶けてふわふわしているような心地よい感覚に陥っていく。
そんな気分の中、少し前まではそこに皇帝が住み、役人がウロウロしていたのであろう、苔むした王宮の中を歩くのは、何かとても不思議な気分であった。
なぜかこの場所で頭の中に流れていた音楽は、ドビュッシーのピアノ曲。
しかしフエでも体調はあまりよろしくはなかった。滞在最終日には、疲労と喘息のような咳が止まらず朝起きあがることもままならなくなってしまった。チェックアウトの時間が迫っていることに焦る。
フエで泊まっていたホテルは街の中心からは離れているものの、新しくて大盛況。チェックアウトを延長できないか聞いてみたが、もう次の予約が入っているとのこと。
このホテルの支配人は、トミーズ雅とオードリーの春日を足して2で割ったような、三つ揃いのスーツをきっちりきた若者だった。彼は私の体調が悪いと知ると、自分のガールフレンドが経営しているという別のホテルの部屋をさっと押さえ、自分も一緒にタクシーに乗り込んで連れて行ってくれた。
しばらく横になれる場所が確保できた安心感もあり、暫く休んだらお陰でだいぶ元気になり、お腹も空いてきた。
ロビーに降りていくと、春日支配人はガールフレンドに会いたかったのもあるのだろう、のんびりロビーでくつろぎお喋りに興じている。
お腹が空いたよ、美味しいフォーが食べたいよ、どこか知っているかと聞くと、ではついておいでとホテルから歩いてすぐの所にある店に連れて行ってくれた上に、お店の人に注文までしておいてくれた。
言葉が通じにくい異国の地では、こんな親切がものすごく身にしみる。春日ありがとう。
店の向かい側はビアホイで、昼から親父達がワイワイとビールを飲んで騒いでいる。店の中ではテレビからベトナム歌謡曲がガンガン流れてくる。バイクや自転車が行き交う店の前の道路では、行商のおばさんが果物を売り始め、バイクで通りがかった客が長い時間かけてそれを吟味して買っていく。
そんな様子を、まるで布団の中で夢でも見ているかのようなほわーっとした感覚で眺めていた。
この時食べたフォーの味は今だに忘れられない。ただそれはフォーそのものの味というよりは、異国で受けた親切や、古都の優しい空気や、色んなことが混じった感覚と合わせて覚えているのだと思う。
もしまた元気な体で同じ場所に行ったとしても、あの時と同じ味はもう味わえないんだろう。
※カバー写真は、フエの街から少し離れたところにある皇帝のお墓。お墓といっても小さな王宮のような作りになっており、皇帝が埋葬された後、残された奥さんたちがそこに移り住んだそう。その静寂や佇まい、空気や風、自然の配置など、お墓であるにも関わらず、そこにいるだけで妙に癒された、とても気持ちの良い場所であった。今でもあの感覚は不思議。やっぱり風水がすごく良いとかなんだろうか。あそこにまた行って、ハンモックをかけて眠ってみたいと今でも思う。
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