盛岡ハートフルカウンセリング セラフィ

2006年「心理カウンセリングルーム」として開業しました。 ●オンラインでの傾聴・活動…

盛岡ハートフルカウンセリング セラフィ

2006年「心理カウンセリングルーム」として開業しました。 ●オンラインでの傾聴・活動中 ●記事内容/カウンセリングルーム運営/カウンセリング技術/不安の対処法+α

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公務員を辞めて開業カウンセラーになったその後とこれから何をするか

公務員として、5か所の勤務地を経験しました。それで、18年。 そして、私は公務員を辞め、心理カウンセリングルームを開業しました。 それから、20年弱が過ぎました。30代半ばだった自分は50代半ばに。 経営は今もしています。確定申告も毎年しています。 ただ、事業として成功しているか、と言われると全くしていません。 なぜ、生活と、この事業主という立場を続けられているかというと、ひとえに、夫のおかげです。 それはもう、隠しようのない事実です。 そもそも、夫に相談してゴーサインがでな

    • 私は他人を救えない、だけど隣人が倒れるのは見過ごせない(カウンセリングルームを開業した個人的な話15)

      ※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。 ※この記事は目次に沿って書いています。 これは、当時も今も変わらない自分の性格なのかな、と思っているのですが、見知らぬ人でも困っているようだったら、できる範囲で助けたい、と思うのです。 小さい頃は、母に「お前はお人好しだ」と言われていました。 大人になって、ある冬に、私の好きな仲間3人で外に立っていた時、近くの歩道を通りかかったご高齢の女性が転んでしまいました。 幸い大事にはなりませんでし

      • 友人が大変!(カウンセリングルームを開業した個人的な話14)

        ※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。 ※この記事は目次に沿って書いています。 前回は、個人的な薬との向き合い方についてお話しました。 今回は、私自身の不調と前後して、同じく精神的な不調に陥った友人について書かせていただこうと思います。 彼女は、私とは薬への考え方が違いました。 薬を飲むことが好きだったようです。 また、病名や症状も違いました。 最初、私は「わかりあえる仲間ができた」と思っていたのですが、少しずつ道は分かれてい

        • 薬は飲みたくないけれど。(カウンセリングルームを開業した個人的な話13)

          ※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。 ※この記事は目次に沿って書いています。 前回までに、職場の上司からのセクハラやパワハラ、また土壌として過労があり、キャパオーバーになったことを書きました。 周囲の人たちには概ね温かく接してもらい、初めての心療内科へ行き、薬を処方されたところまでお話を進めました。(約25年前の話です) 今思うと、私にとって殺人的な残業は3カ月くらい(それまでも月20時間以上は当たり前でしたが)、そこで病院に行

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        公務員を辞めて開業カウンセラーになったその後とこれから何をするか

          箸休め(noteを始めて2ヶ月目)

          note、快適です。 もっと早く始めていればよかった……かというと、そう単純な話でもなく、仕事としてのタイミングがあったので、それはよいとして。 使ってみて、こんなに快適だと思いませんでした。 痒いところに手が届くし、最近、HPのソフトと悪戦苦闘することが多かったので、何にも調べなくてもできることが多いのは本当にストレスフリー。 あと、相互の繋がりを作りやすいシステムと、創作の対象の幅の広さ。 収益化は、自分にはどうにかできるのかはわかりませんが、システムがあるのは安心で

          箸休め(noteを始めて2ヶ月目)

          病院はカウンセリングを受けるところではなかった(カウンセリングルームを開業した個人的な話12)

          ※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。 ※この記事は目次に沿って書いています。 約25年前の話です。 私は、「心療内科」に駆け込みました。その数年前まで、「心療内科」を標榜している病院を見かけた記憶はありません(2000年前後の話)。 今は普通に感じられるかもしれませんが、精神科の他に、うつなどの薬を出す病院はなかったのではないでしょうか? 私がその病院に行ったのは、通勤の経路に新しくできた病院があるな、と認識していたからです。な

          病院はカウンセリングを受けるところではなかった(カウンセリングルームを開業した個人的な話12)

          仕事を休んだ時の周囲の人たち(カウンセリングルームを開業した個人的な話11)

          ※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。 ※この記事は目次に沿って書いています。 前回は、いよいよ病院へ行こうと決意したところまで書きました。 病院での詳しいことは、次回書こうと思います。 結果的には、「抑うつ神経症のようなもの」と言われ(はっきりしない言い方は精神科領域ではよくありますね)、不安が強いと見立てたのか、様子見だったのか「抗不安薬」というお薬をもらいました。 あのどうしようもない焦燥感や、恐怖感のようなものには適していた

          仕事を休んだ時の周囲の人たち(カウンセリングルームを開業した個人的な話11)

          変な感じ(カウンセリングルームを開業した個人的な話10)

          ※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。 ※この記事は目次に沿って書いています。 前回は、仕事でいよいよキャパオーバー気味になり、上司の一言で心の糸がプツンと切れたところまで書きました。 そう、それまでは、一応頑張れていたのです。頑張ろうと思う自分がいたのです。 でも、その日から世界は一変しました。 自分の中にあった、「できる」という感覚が無くなっていきました(自己効力感というものらしいです)。 ある休みの日、シャワーを浴びて休

          変な感じ(カウンセリングルームを開業した個人的な話10)

          過労とパワハラとセクハラとキャパオーバー(カウンセリングルームを開業した個人的な話9)

          ※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。 ※この記事は目次に沿って書いています。 今日から新しい章に入ります。 元気でちょっと勘違いしていた20代を過ぎて、またちょっと暗い時代に入ります。 目次でいうと、この後はこんな感じで続きます。 第3章 自分が病んだ、そしてカウンセリングに救われた ・過労とパワハラとセクハラとキャパオーバー ・変な感じ ・周囲の人たち ・病院はカウンセリングを受けるところではなかった ・薬は飲みたくないなあ

          過労とパワハラとセクハラとキャパオーバー(カウンセリングルームを開業した個人的な話9)

          人と深く関わることが普通だと思っていた(カウンセリングルームを開業した個人的な話8)

          ※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。 ※この記事は目次に沿って書いています。 引き続き、20代の頃の話です。 もともとの私は、少し(は)神経質だったり不安症だったりという気質があったのですが、それがかなり前面に出ていたのが小学生。中学生で少しやわらぎ、高校生では開き直って図太さという武器を得ました。 そして、社会人、最初の10年……。 今思うと、恥ずかしくなるような偉そうな考えを心の中に秘めていました。 直属の、上の、更に上の上司

          人と深く関わることが普通だと思っていた(カウンセリングルームを開業した個人的な話8)

          むさぼるように人の本心を知りたがって飲み歩いた20代(カウンセリングルームを開業した個人的な話7)

          ※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。 目次に沿って書いています。 今日は、社会人になって、自分としては「脂ののった」時期だった頃のことを書きたいと思います。 約30年前の話です(驚き!)。 20代の前半から後半に差し掛かる年代だったのですが、好きな業務内容だったこともあり仕事は充実していたし、体力もあったので、プライベートでも趣味や交友関係で楽しく生活していたと思います。 職場は、公務員という性質上か、いろいろなことがきちん

          むさぼるように人の本心を知りたがって飲み歩いた20代(カウンセリングルームを開業した個人的な話7)

          「聴く」ということに気づいた瞬間(カウンセリングルームを開業した個人的な話6)

          ※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。 目次に沿って書いています。 今回から、「第2章 意識していないけれども『聴いて』いた時代」に入ります。 社会人になってから、交友関係が広くなりました。 若い時って、ちょっとしたきっかけで友達になれるのでしょうかね。 今(50代)は、友達というよりも、たとえば買い物をしていて、たまたま隣にいた知らないオバサン同士、突然知り合いのように会話をして(食品の品定めなど)、ふいに会話が終わるとそれきり

          「聴く」ということに気づいた瞬間(カウンセリングルームを開業した個人的な話6)

          親とは何か(カウンセリングルームを開業した個人的な話・番外編)

          ※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。 「第1章 カウンセラーになるまでの土壌が作られた時代」をざっくりとですが書き終わって、これは補足したいな、という気持ちになったので、少し思ったことを。 ここまで、自分の子供時代、主に母親から受けた影響について書きました。 文章を書くことが好きだった私が、昔、感銘を受けた言葉に「誰か一人でも傷つくならそれは書かないほうがいい」というものがありました。 ある程度、広い意味で社会的な内容を書けば

          親とは何か(カウンセリングルームを開業した個人的な話・番外編)

          小学生の私は母親のカウンセラーだった(カウンセリングルームを開業した個人的な話5)

          ※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。 ここまで目次に沿って書いてきました。 今日は、「第1章 カウンセラーになるまでの土壌が作られた時代」の最後の項目になります。 プロローグと、最初の項で、幼少期から母の話をよく聴いてきたということには触れていました。 そのことについて、少し詳しく書こうと思います。 家族に起きたこと 「それ」が始まったのは、父母が購入した新しい家に住み始めた小学2年生の頃からでした。 「それ」というのは、父と

          小学生の私は母親のカウンセラーだった(カウンセリングルームを開業した個人的な話5)

          ナチュラルネグレクト(カウンセリングルームを開業した個人的な話4)

          ※カウンセリングルームの経営に役立つ普遍的な話は、個人的な話の後に書く予定です。 本日は、以前作った目次に沿ってのテーマです。 カウンセラーになる、特に生業にする場合は、もし自分自身に未解決の心の問題があるならば、きちんと整理、解決してからなるべきだといわれています。 そうでないと、クライエントさんが、カウンセラー自身の経験とリンクする問題を抱えていた時に、一緒に悩んでしまうことになるからです。 自分は、開業当時は、解決できていると思っていました。 なんといっても開業す

          ¥300

          ナチュラルネグレクト(カウンセリングルームを開業した個人的な話4)

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