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ANSWERを頂きました・noteの素敵な出会い(カウンセリングルームを開業した個人的な話/番外編2)

3つ前の記事「中小企業診断士の意見」で、物件を借りることを(勢いもあって)決めてしまったけれど、不安になって中小企業診断士の意見を求めた、という内容を書きました。

そして、文末に「これを読んでいただいた専門家の方の意見をお聞きしてみたい」という旨を、心の中で図々しいかなと思いつつ書き添えました。
専門家の意見がほしいなんて、その方の仕事の時間をただでくださいと言っているようなものですものね。

でも、専門家の方なら、この記事をざっと読んだだけで「基本中の基本」くらいのレベルで答えがでるのかな?と思ってしまったのです。
こちらの記事です。

3日後、コメントと合わせて、「あなたの記事が紹介されました」との通知が届きました。
ちょうど寝る前にチェックしたので、布団に潜り込みながら気になってその記事を読ませていただいたのですが……

正直、涙しました。
私は確かに感動しやすいほうですけれども、単純に感情にまかせて出た涙というわけではないのですよ。いや、そうかな?
何故歯切れがよくないかというと、まずはその記事を書いてくださった方が、私の記事へのAnswerを書くために、全部の記事を読んでくださったということでした。
きっとより的を射た記事にするために私の状況を把握するためだったのかと想像しますが、そこまで時間と労力をかけくださるなんて恐縮以外の何物でもありません。

そして、それらの記事の「経営」と「私情」が入り混じった経緯をしっかりインプットした上で、その方なりの結論を、わかりやすく、細かく、理論的に説明し、当時の中小企業診断士の判断をどのように捉えればよいか、私に示唆してくださいました。

また、随分前の話なのに、よく理解できていないために、モヤモヤしていた感情を解きほぐす補足的な説明も加えてくださいました。

泣きましたよ。
さすがに嗚咽ではなく、すーっと涙がこぼれた……という感じですが、多分、これはカウンセリングの時にクライエントさんが流す涙と同じ質のものではないかな、と思います。

話を自分の方に持っていって申し訳ないのですが、私は、カウンセリングもそうですし、その他の「相談業」を請け負う場合には、「感情」と「理論」の両輪が必要だと考えています。
相手の「感情」が理解できなければ、相手の問題の本質も理解できない、関係性もうまくいかない。それよりは、「感情」に寄り添い、心を開いてもらった上で、相手の持っているカードを全部机の上に広げてもらう。
そうすると、今度は、こちらが相手が知らない部分の知識なりを使って、理論的に整理し、選択肢を提示し、そしてボールを相手に返すことができる。
そのやりとりの中で、相手は自分の答えを出していけますし、選択肢もより広がっていくからです。

その「感情」の部分のフォローの言葉が、随所に溢れ、それから、私が納得できるような説明、そして、結論はこちらに委ねてくださる、その文章の流れに感動しました。

ただ、涙が出たのは、やはり感情の部分ですね。
理解が及ばなかったことが理解できた喜びもありますし、自分がしてきたこと、そして現在を肯定してもらった、これは、実際の中小企業診断士の相談では起こらないことだと思います。
クライエントさんが「理解してもらえた」時に流す涙が、リアルにわかるような気がしました。

書いてくださったのは、こちらの記事です。

最初はコメントに書こうとしたそうですが、長すぎてはじかれたとのこと。
私のこの記事も、長すぎるお礼のコメントなので、読んでいる方には抽象的なことしかわからないと思います。

ただ、私の問いと今回頂いた回答には、「生の事例」としてこれから起業を考えている方にも学ぶところがあるのではないかと思うのですが、どうなのでしょう。

私は、後々自分と同じようにカウンセリングルームを開業しようとしている方へ普遍的な記事を書きたいと思っています。
カウンセリングルームではなくても、類似する業態の女性起業家の方もいらっしゃるかもしれません。

その時には、このやりとりを踏まえて、再び記事を紹介させていただくかもしれません。

今回、読んでくださっている皆さまへは、noteでの優しい世界のやりとりのご紹介をさせていただきたく、記事にしました。

そして、記事を書いてくださった世開塾さま。
今回は本当にありがとうございました。
積年の想いが晴れるとともに、自分のしてきた仕事と、これからすべきことについて、新しい視点での興味が生まれました。
心から感謝申し上げます。

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