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「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」展(横須賀美術館)に行ってきた

昨日は横須賀美術館まで、「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」展(2022年9月4日まで)に行ってきました。


失礼ながら、アクセスもあまり良くないし、それほど混んでいないだろうと高を括っていました。そうしたら、入場制限するほどの盛況ぶり。正確には覚えていませんが、館外・館内合わせて30分弱待ったのではないでしょうか。もちろん感染症対策で混雑を避けるためなので、会場内は比較的ゆったり観ることができて良かったですが。

ちなみに私は8月9日に放送された「ぶらぶら美術・博物館」でこの展覧会を取り上げていたのを観て、行くことにしました。


なお展示の中で、運慶が鎌倉に招聘されたのは、東寺での瑞兆がきっかけかも、というようなことが書かれていたのですが、その瑞兆については具体的に書かれていませんでした。調べたところ、どうやら東寺の講堂の仏像の修理を運慶が担当した際の、以下のエピソードを指しているようです。

その際に偶然、仏像の頭部から舎利(釈迦の骨もしくはそれを模した玉など)や梵字の真言(陀羅尼。密教で本尊を讃嘆、祈願する句など)を記した紙などが発見されるという大事件がありました。

https://news.kodansha.co.jp/7702


以下、印象に残った展示について書いていきます。なお仏像の写真はいずれも、ロビーの写真パネルを撮ったものです。

・衣笠城跡経塚出土遺物(東京国立博物館蔵)

青白磁の蓋物で、景徳鎮産と推測されているそうです。日宋貿易で伝来したものが、当時の感覚だと東国の片田舎であったであろう横須賀の地にまで来ていたとは、と思ったのですが、上記の「ぶらぶら」のサイトによれば、「三浦半島には飛鳥・奈良時代から海上交通によって受け継がれてきた仏教文化があり……」とのことでした。


・天王立像(大善寺蔵)
大善寺は衣笠城跡のふもとにある、三浦氏ゆかりのお寺です。平泉の中尊寺金色堂の増長天像に似ているとか。うーむ、三浦氏と奥州藤原氏との関連ですか……。これ、お顔が割れてしまっているのが残念です。


左から、天王立像、巳神像、観音菩薩立像


・十二神将立像(曹源寺蔵)
これ、国指定重要文化財で、運慶工房または運慶周辺仏師が製作した可能性が高い貴重なものなのですが、表現の見事さより目が行ってしまう点があります。江戸時代の修復の際、それぞれの頭に干支を表す動物がつけられたのですが、12体中9体を間違えているのです。子神像にヒツジ、卯神像にネズミという具合に、もはやどうしてそうなったと言いたいくらいの間違いぶり。上の写真の巳神像は、確かサルだったかな。合っているのは午神像、辰神像、亥神像だったかと思います。


・観音菩薩立像/地蔵菩薩立像(満願寺像)
これも国指定重要文化財で、運慶工房製作とみられています。上記の写真の右に写っているのが観音菩薩立像ですが、私としては地蔵菩薩の方が印象的でした。前に立つと、ばっちり目が合うのです。結構厳しいまなざしのお地蔵様で、お地蔵さんというと優しいイメージですが、このお地蔵様にはこれまでの、そしてこれからの生き方を問われている気がしました。なおお地蔵様のお姿は、上記の横須賀美術館のページで拝見出来ます。


・不動明王立像及び両脇侍立像(常福寺蔵)
これ、もとは浦賀の叶神社(西叶神社)の別当・西栄寺に安置されていたのが、明治の神仏分離で浦賀の常福寺に移されたそうです。主従揃って(?)ちょっと子どものような顔をした仏様たちでした。特に向かって右の脇侍は完全に子どもです。子どものような顔の不動明王というのは、初めてでした。

左から、不動明王立像及び両脇侍立像、三浦義明坐像、天王立像


なお西叶神社を訪れた時の記録は、以下の記事をご覧ください。


・毘沙門天立像(浄楽寺蔵)
運慶作です。国指定重要文化財。下の写真の左側。ガタイの良い毘沙門天でした。ちなみにこの毘沙門天立像、内部から仏の魂にあたる木の板が見つかり、和田義盛と夫人の小野氏が作らせたものだと分かったということで、その木の板が別に展示されています。「ぶらぶら」を観た時から気になっていたのですが、魂を抜いてしまって良いのかな……。


・不動明王立像(浄楽寺)
運慶作。上記の横須賀美術館のページでお姿を拝見出来ます。炎の表現がすごかったです。


左から、毘沙門天立像(浄楽寺蔵)、毘沙門天立像(清雲寺蔵)、聖観音菩薩坐像


・毘沙門天立像(清雲寺蔵)
上記の写真の真ん中。この毘沙門天、和田合戦の際に、和田義盛に代わって矢を受けたり拾ったりして義盛を助けたという伝説があるそうです。毘沙門天なのに、容姿は完全に子ども。かつ兜は脱着可だそうです。「ぶらぶら」によれば、フル装備なのに裸足なのは不自然なので、脱着可能な靴が付いていたのかもしれないとのこと。顔を中心に残っている、白い塗料が印象的でした。顔が白いだけではなく、もちろんフルカラーに塗られていた名残かと思われます。


なかなか満足し、この後地下の所蔵品展に向かうのですが、そちらは以下の記事をどうぞ。


<追記>
後日開催された、神奈川県立金沢文庫での「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」展については、以下の記事をご覧ください。


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