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ゆるいようで、仏教の核心が描かれている~『マイ仏教』(みうらじゅん)~

みうらじゅん月間は、まだ続きます。他の本でも触れられているエピソードも出てきますが、みうらじゅん流の仏教の解説もあり、笑ったり考えさせられたりするうちに、あっという間に読了できます。ゆるいようでいて、仏教の核心が描かれている気がします。

↑kindle版


以下、五月雨式に感想や心に残った言葉。


邪鬼目線については『見仏記』シリーズでも触れられていますが、小学生の段階で、すでに「僕も結局、邪鬼なんだ」と「仏像スクラップ」に書いていたとは!


家に遊びに来たクラス一のいじめられっ子に、ベッドの脇にある通信空手の証書を見られ、「通信空手って、やっていない奴より弱そうやな」と言われた。

これ、笑いました。通信空手に入会しちゃうみうら少年もおかしいし、真実を言い当てるいじめられっ子もおかしいです。


ちなみに、横尾忠則経由で仏教を再発見した話が出てきますが、偶然のことながら私が以前感想をアップした『お経 浄土真宗』の装幀は、横尾忠則さんです。



母校の東山中学校・高等学校の「聖日」の描写は圧巻です。ヤンキーの方々も含め、全校生徒全員で、手拍子足拍子での「法然コール」ですか。ヤンキー系の方々の多い、とあるキリスト教系の学校に通った人から聞いた、「いかに『アーメン』を野太く力強い声で言うかに、命を懸けていた」という話を思い出しました。そしてホームルーム委員を決める際の選挙でも、法然さんがトップ当選とは……。


「あきらめる」という言葉はもともと仏教用語で、真理を明らかにするというのが語源。

本来の意味での「あきらめ」ができるようになりたいものです。


ヨーロッパでは「我思う。故に我あり」という有名なフレーズがありますが、仏教では「そう思う我も無い」と考える。

我も無いとなったら、ヨーロッパ人は足元が崩れたような感覚になるかもしれませんね。


「自分なくし」というのは、自分を変えるためにリセットするという考え方でもあります。ついつい煩悩が積み重なり、自分らしくなってくると、変化を拒むようになってしまいます。

うーん、耳が痛いです。煩悩に押しつぶされないようにしなければ。


日本人だけが、少ない投資で大きな利益を得ようと、虫のいいことを考えています。たとえ宗教であっても、ギブ・アンド・テイクの関係はゼロではありません。

これ、本当に同感です。沢木耕太郎の『旅のつばくろ』で、お寺が拝観料をとることへの抵抗感が描かれているのですが、沢木さんはみうらさんの言葉を借りれば、「仏教をタダだと思っている」状態なのだと思います。もちろん沢木さんの意見の方を支持する人も少なからずいるとは思いますが、私はみうらさんの意見に賛成です。



相手の機嫌をちゃんと取って、「ご機嫌」になってもらえば、回り回ってこちらの「機嫌」も良くなります。(中略)トラブルが起きるのは、相手の機嫌を取ることを怠ったときばかりです。

「何で俺が」をやめて、相手の機嫌を取ることを考えた方が、人間関係がスムーズにいくことは明らかです。しかしこれは大変な「修行」です。けれど、人に喜ばれることは間違いありません。

本当にそうですよね。体調の悪さとかを言い訳にして、「ご機嫌」になってもらう努力を怠ると、途端にトラブります。でも、分かっちゃいるけど……です。まさに修行(別の場所では「僕滅運動」と呼ばれています)が足りません。


人間はみんな「接客行」。

はい、心します。


「そこがいいんじゃない!」と発声する訓練をしておくと、そう発言した瞬間から、脳が「そうなんだ」と思い始めてくれます。人間はいつも脳主導で動いているように見えますが、このように言葉を無理矢理にでも発することで、その〇・一秒後に脳がついてくる、ということに気づきました。

なるほど。じゃあ、腹立たしい人々のことも、「そこがいいんじゃない!」と言ってみましょうか。……いや、良くないな(-_-;)


どんなに辛い状況にあっても、「でも、やるんだよ!」と唱えることで、腹の底に力が入り、ことに臨むことができる。脳を「やるんだよ!」という言葉でもって洗脳していくのです。

確かにね。理不尽でも、やるしかないことは「でも、やるんだよ!」という念仏と共に、こなすしかない。


自分をしつけ直すのもまた自分なのです。自分に説法をする「マイ住職」を、みなさんも心に住まわせてみてはどうでしょうか。

はい、住まわせてみまーす。


見出し画像は、浜松の龍雲寺にある、死者が受ける裁判の模様を描いた掛け軸です。本書で、裁判の様子が出てくるので。


↑新書版




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