見出し画像

【読書】アメリカは1つになどなれない~『11の国のアメリカ史 分断と相克の400年 上』 (コリン・ウッダード著、肥後本芳男ほか訳)(その①)

「日本語版への序文」にある以下の言葉が、この著作のエッセンスを表わしています。

本書では、決して一つのアメリカがあったのではなく、いくつかのアメリカがあり、そのそれぞれが何世紀も前から独自の価値観を持ってきたのだと論じている。これらの「アメリカの諸ネイション(American nations)」は、アメリカ植民地と合衆国の歴史の中であらゆる重要な政治問題をめぐって対立してきたのであり、実際いくつかのネイションの間では戦争にまで発展したことがあった。

p.vii


なお、この本を読み解いていく上で重要なのが、「凡例」にある以下の文章。

原著ではネイション(nation)、ステイト(state)、カントリー(country)などの言葉が多用されているが、多義的な言葉であることを勘案して文脈に即して訳し分けた。とくに本書の鍵概念であるネイションは、主権を持たないものの、特有の歴史・民族・文化を共有する地域的な文化圏という意味で用いられている。混乱を避けて「ネイション」とそのままの形で訳出したが、近代的な国民国家が創生される以前の「国」に近いものと考えてよかろう。本書書名を「一一の国のアメリカ史」とした所以である。形容詞のNationalも「ネイションの」「国家的な」「国民的な」「全国的な」などのように文脈に応じて訳し分けた。

p.xi


そしていよいよ本題に入っていきます。

アメリカ人はジェームズタウンやプリマスの時代から深く分裂してきたのだ。(中略)植民地時代を通して、彼らはお互いを土地や入植希望者や資本を競い合う相手とみなしていたし、時には敵とみなすこともあった。(中略)ロンドンのイギリス政府がそれらの植民地を単一の集団として扱い始め、ほとんどすべてに脅威を与える政策を実行したとき、これらの異なった社会のいくつかは、独立革命を勝ち抜き共同の政府を創造するためにようやく一時的に協力するようになったのである。(中略)一つのアメリカなどないし、かつて存在したこともなかった。それどころか、いくつかのアメリカがあるのだ。

pp.2-3


われわれの分裂は、合衆国が一一の地域的なネイションの全体または一部で構成されている連邦であり、それらのいくつかはお互いを本当には理解していないというこの事実によるのである。これらのネイションは州境も国境もお構いなしで、カリフォルニア、テキサス、イリノイ、ペンシルヴェニア内を分断したかと思えば、合衆国のフロンティアを越えてカナダやメキシコへと拡がっているのである。

p.4


ステイトとは、イギリス(中略)のような主権を持つ政治的実体であり、国連の加盟資格をもち、(中略)ネイションとは、共通の文化、民族的起源、言語、歴史的経験(中略)を共有しているか、あるいは共有すると信じている人びとの集団である。

p.5


大陸を三つの連邦、つまりカナダの十州と三準州、メキシコの三一州、アメリカの五十州にきれいに分割して描く北米の従来の地図を無視しよう。これらの境界線のほとんどはヨーロッパの植民地列強がアフリカ大陸を分割したのと同じくらい恣意的なものなのだ。地図上の線は、一貫した文化を切り裂き、(中略)住民はお互いよりも、他州の近隣の人々とより多くの共通項をもっているとしばしば感じて、州内に深い文化的亀裂を生み出している。われわれが全国政治を分析しようとして用いる無意味な「地域」――「北東部」「西部」「中西部」「南部」を払拭してほしい。

p.7

このように、冒頭からほぼ毎ページごとに引用してしまうことが、私が受けた衝撃の大きさを物語っています。さすがにこの後は、しばし飛びます。


最もアメリカを象徴するあの牛の放牧業がエル・ノルテに由来し、スペイン人の先例に基づくということは、ほとんど知られていない事実である。乾燥した平原や、高地の砂漠、そして地中海沿岸地帯などを併せもつスペインは、エル・ノルテとの地勢上の類似点があった。本国南部に住むスペイン人は、広大かつ囲いのない放牧場で、膨大な数の牛を寄せ集め、焼き印を押し、駆り立てるのに馬に乗ったバケーロ(カウボーイ)を使う、といった技術を開発し、後にその技術をスペインのアメリカ植民地で活用することになった。スペイン人は、馬や牛、羊に山羊を、それらの放牧に必要な服装や器具や技術と共に新世界に持ち込み、チリのワソ(牧童)からアメリカ西部のカウボーイに至るまで綿々と続く伝説的カウボーイ文化の共通の基盤を築いた。

p.52

ちょっとこれ、面白いです。


ニューフランスはアメリカ先住民の諸部族と友好的かつ敬意に満ちた同盟関係の下で共存すべきだ、と信じていた。(スペイン人のやってきたように)インディアンを征服したり奴隷化したりせず、(イギリス人がやがてするように)排斥したりもしないで、ニューフランス人たちは彼らと親交を深めてゆこうとした。フランス人は意図的にインディアンの近くに入植し、彼らの習慣を学び、誠実さ、公正な取引、相互の敬意に基づいた同盟や通商関係を築こうとしていた。

p.57

フランス人は平和裡にインディアンを自分たちの文化、宗教、封建主義的な生活様式に同化させることを望んでいたが、結局のところフランス人自身が、先住民部族のミクマク、パサマクォディやモンタネーの生活様式、技術、そして価値観に染まってしまった。実際、フランス的であるのと同程度に先住民的社会になったニューフランスのおかげで、最終的にこの特質を、現在のカナダ全体にまで伝えることになった。

p.63

これらも同じ西欧人でもフランス人とイギリス人の違いが感じられ、内容自体は興味深いのですが、ここに見られるように、この本では「インディアン」という表現を使っているのが気になります。原作が”Indian”という表現を使っているのか、"Native American"を日本の読書の読みやすさを考慮してインディアンとあえて言い換えているのかは不明ですが、どちらにしろ「アメリカ先住民」という表現で統一すべきではないでしょうか。


学者たちの推定によると、年季奉公人たちは、一七世紀にタイドウォーターに移住したヨーロッパ人一五万人の、八〇~九〇パーセントに達した。しかしこの隷属期間を生き抜いた者は、ほとんどいなかった。死亡率は年間三〇パーセントと高かった。他方生き抜いた者には、独立自営農民になるチャンスが十分にあり、非常に裕福になった者もいた。
最初からこの社会は、少数の持てる者と、圧倒的多数の持たざる者とから成り立っていた。社会の頂点には、ますます裕福になっていく一握りのプランテーション所有者の小グループがおり、彼らが植民地の経済的、政治的な面を速やかに支配するようになっていった。社会の底辺には大勢の束縛された労働者がおり、彼らは実際上政治的権利を持たなかった。彼らは言われるがままに従うものとされ、逆らった場合には身体的罰を受ける恐れがあった。この慣行は、二〇世紀に入ってもかなり長い間続けられていった。
底辺での生活は過酷であった。年季奉公人たち――彼らの一部はイングランドで誘拐されたのだが――は、売買され、家畜のように扱われた。

p.78

今のアメリカ社会の原型が、独立以前からあったことに驚きます。また、この「年季奉公人」がいわゆるプアホワイトの原型かと思いますが、彼らが黒人奴隷と同じような扱いを受けていたことも衝撃でした。


裁判記録は一つの明らかな傾向を示している。すなわち、主人や男性には寛大で、奉公人や女性には厳しい判決が下されていた。本格的な奴隷制が拡大する以前でさえすでに、タイドウォーターの階層社会は、暴力の威嚇によって維持されていたのである。
このような専制的社会が、どうしてトマス・ジェファソン、ジョージ・ワシントン、ジェームズ・マディソンといった共和主義の最大の支持者を生み出し得たのか、という疑問が出るかも知れない。それに対する解答は、タイドウォーターの紳士階層が採用したのが、古代ギリシャやローマに範をとった「古典的」共和主義であったからである。彼らは博学で奴隷保有者であった古代アテネのエリートを模倣し、、自らの開明的政治思想の根拠をリベルタス(libertas)という古典古代ローマの概念に求めた。これはヤンキーダムやミッドランドの政治思想の特徴をなすゲルマン的フライハイト(Freiheit)、すなわちフリーダム(freedom)の概念とは根本的に異なっていた。この相違を理解することは、一方のタイドウォーター、深南部、ニュースペインと他方のヤンキーダム、ミッドランドとの間の関係を困難なものとしている根本的相違点を了解するのに今日なお必要不可欠である。
(中略)ゲルマン諸部族にとって、「フリーダム(freedom)」とは、彼ら自身そうだと自負している自由民の生得権であった。個人によって地位や財産の違いはあるかもしれないが、しかしすべての人は「生まれながらに自由」なのであった。すべての人は、法律の前に平等であり、侵害すれば追放という恐れの下で互いに尊重すべき「権利」を盛って、この世に生まれてきたのであった。(中略)
タイドウォーターの紳士階層が採用したギリシャ・ローマの政治哲学は、上記とは対極的立場に立ち、ほとんどの人間は隷属状態に生まれつくとするものだった。自由(liberty)とは与えられるもので、従って特権であり、権利ではなかった。一部の人間には多くの自由が許されたが、他の人々にはほんの僅かな自由しかなく、多くの人には全く自由がなかった。(中略)自由はほとんどの人が持っていないからこそ貴重であったし、社会の階層秩序があって初めて意味があった。ギリシャ人やローマ人にとって、共和主義と奴隷制、自由と束縛の間には全く矛盾がなかった。これがタイドウォーターの指導者たちが採用し、用心深く守った政治哲学であり、リーダーたる高貴な家系の者たちは自分たちを、平民のアングロサクソンではなく、ノルマン征服者たち貴族の子孫だと考えていた。以上は人種差別的な含みのある思想的な分断で、後にそれがアメリカのネイションを互い同士の全面戦争へと駆り立てていくことになるのである。

pp.88-90

長すぎる引用となりましたが、ものすごく興味深い指摘です。改めて、アメリカ合衆国は1つではないし、1つになどなれないというのが、よく分かります。


この本は数ヶ月がかりで読んでいるのですが、第3章の終わり(p.92)までの段階で、備忘録代わりのこの記事が4,000字を突破しました。よって、続きはまた別の記事にいたします。


見出し画像は、この本の分類では深南部にあたるフロリダのケネディ宇宙センターです。




この記事が参加している募集

記事の内容が、お役に立てれば幸いです。頂いたサポートは、記事を書くための書籍の購入代や映画のチケット代などの軍資金として、ありがたく使わせていただきます。