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比喩の使い方が、やや過剰であざとい~『私が語りはじめた彼は』(三浦しをん)~

*この記事は、2020年6月のブログの記事を再構成したものです。


大学教授の村川融の周囲にいる人々が村川自身について、あるいは村川と直接の接点がない人々が村川の周囲の人について語るという、短編集形式の長編です。主人公であるはずの村川は、実は一度も登場しません。


古代の中国の皇帝による拷問シーンから始まり、決して明るくはない物語です。ちょっと読むのが辛くなり始めた3本目の「予言」から、がぜん引き付けられました。「予言」は村川の息子の呼人よひとのですが、不倫の末に離婚して出ていった父に対する愛憎が濃厚に描かれます。呼人は自分に降りかかった災難を「世界の終わり」ととらえ、絶望による自暴自棄の日々が語られます。そう書くと救いのない物語ですが、呼人のキャラもあり、どこか風が抜けている話なんですよね。


解説の金原瑞人は『私が語りはじめた彼は』に直木賞をあげてほしかったと書くほど絶賛していますが、私としては比喩の過剰さがやや気になります。村上春樹的な比喩の使い方を狙っているように思えるのですが、ちょっとあざとい。


とはいえ、このようなスタイルの小説を思いつき、それを書ききった構成力・文章力はすごいです。




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