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【読書】日本人はまだ文化的国民の名に値しない~『食味歳時記』(獅子文六)~

水上勉の『土を喰らう日々』の近くにあった本です。

↑kindle版


キントンとは、どういう字を書くのか。辞典には、”金団”と出てるが、正しいか、どうか。

p.11

冒頭の文章ですが、読んでガクッときました。「い抜き言葉」だよ……。私は嫌いですが、1893年生まれの獅子文六が「ら抜き言葉」と共に多用しているところからすると、最近の言葉の乱れとは言えず、もはや許容しないといけないのかなぁ。


口取り:海、山、里のものを少量ずつ盛りつけたもの。
↑口取りという言葉を知らなかったので、備忘録代わりに。


人工着色のどこが、食欲をそそるというのか。切り昆布に限らず、タクワンでも、鱈子でも、ひどい着色を行うが、私は商人の奸策を責めるより、買う人の罪だと考える。食物にあんな色を喜ぶのは、幼児か野蛮人のセンスである。また、着色して、工程を省けば、味が落ちるのである。その上、有害な色素が、多いのである。そういうことも、頭に浮ばないとすれば、ものを食う資格がないともいえる。

p.22

明治生まれの方の言葉遣いはきついですが、内容には同感です。


薩摩の酒鮨、本当に美味しそうです。一応まだ消えていないようで、農林水産省のサイトに郷土料理として載っていました。


大佛次郎、火野葦平両君の如く、十五本もビールを飲むことは、とうてい不可能のようである。

p.93

……十五本?


季節のものがウマいのは、人間が季節の中にいるからである。人間の諸条件が、体も、心も、季節の中にあるからである。

p.94

シンプルですが、良い言葉です。


大きな邸宅は別として、普通の家だったら、夏の来客に、茶を出すよりも、氷水屋の出前を頼むのが、例だった。下町では、ことに、この風があった。

p.95

氷水、つまりかき氷の出前とは! 近年の猛暑では、とうてい不可能ですね。


氷イチゴという、紅いシロップ入りのが、人気があり、さもなければ、氷アズキだった。氷じるこというのもあったが、まず、氷アズキだった。
そういうタネモノを、最小、二杯食べるのを、例とした。暑さを凌ぐというよりも、冷たい菓子を食う気持ちだった。氷水のみならず、汁粉でも、ソバでも、昔はお代りをするものと、きまってた。昨今は、ソバ屋へ行っても、一杯だけで帰る人が、多いようだ。それは、今の人が少食になったというよりも、明治の世の中は、まだユトリがあったからだろう。お代りをしないで、出てくるなんて、見っともないと考える、心理もあった。

p.97

かき氷やお汁粉、ソバを二杯? お代りなしでは見っともない? うーん、それはユトリなのかいな。


カニでも、ドジョウでも、下賤の食物として庶民しか食べず、彼等のみが、そのウマさを知ってた。(中略)江戸から明治にかけて、そういう社会的な公平な、美味の分配があったのを、私は面白いことに思う。金のある人だけが、ウマいものを占領する世の中は、面白くも、おかしくもない。安くて、ウマいものを、庶民のために残すことは、ほんとに革命を怖れる人の切に考えるべき問題である。

p.106

面白い指摘です。


キューリも、ナスも、お盆の時が、初物ということになってた。明治期のわが家では、その時までは、キューリも、ナスも食べなかった。だから、キューリの緑、ナスの紫が、とても新鮮に、眼に映った。

p.107

なるほど。


キューリなんてものは、水分が多く、色や匂いの点からも、夏の食物なのに、それを冬食べて、悪いとはいわないが、自分勝手をするのだから、それだけの代償を払うべきだと思う。勿論、時季に食うよりマズいにきまってるが、それだけでは足りない。一本千円ぐらいのペナルティを、課したらいい。促成栽培が進歩して、割合い安価に手に入るから、食味の乱脈が起るのである。

p.107

これ、同感です。


季節の味というものは、ほんの少し魁けるところに、詩情も食欲もそそるのであって、ただ早く食ったって、何の意味もない。それにしても、”走り”に拘泥して、シュンを忘れたら、ものを食う人の態度ではあるまい。

pp.126-127


親は、有毒な色素や防腐剤から、子供を護ってやるだけでは、足りない。自然の味のウマさを、子供に教えるために、それを損うものを、遠ざけねばならない。子どもの時から、もののほんとの味を知れば、正しい食いしん坊ができあがり、生涯を愉しむ幸福を、獲得するだろう。

p.138

本当に!


フランスあたりでもそうだが、戦後、パンもブドー酒もマズくなった。戦争は、美味の伝統を、痩せさせ、元へもどるには、大変、時間がかかる。

p.154

そういう意味でも、戦争はしてはいけません。


白菜というものは、昔の日本になかった。私がその味を知ったのは、大正年間に、韓国の平壌で、名物の牛肉と共に、スキヤキの鍋に用いられた時だった。(中略)私は異国味を感じたのだが、爾来五十年、日本で最もありふれた野菜に、なってしまった。

p.163

白菜に異国味を感じた時代があったとは……。


フグなんて、下賤の食べものにして置きたかった。縄のれんの食べものを、金持ちが手を出して、高い値段にしてしまったのである。

p.169

新潟出身の恩師が、子どもの頃はカニはおやつで、「またカニ~?」と言うくらいだったと言っていたのを思い出しました。


連載の最後の言葉が、ある意味強烈です。

さて、一年間、長々と書き連ねたが、なにが好きだの、かにがウマいのと、人に語ることがあまり、意味のあることとは、思ってない。
一人で、自由に食ってれば、いいのである。

p.178


やはり、海の近くに住む者だけが、海の幸に浴すことができる。それでいいのではないか。(中略)
誰も彼も、東京に集まる世の中だけれど、海浜に住む人が、魚の真味を味わう幸福を考えて、東京移住を見合せるという世の中になったら、面白いと思う。四面環海の日本では、東京への人口集中がよほど避けられると思う。
味覚の幸福を、それだけ尊重するようになったら、日本人も文化的国民の名に値すると思われる。

pp.198-199

令和の時代になっても、日本人は文化的国民の名には値しないようです。


見出し画像は、獅子文六が半分騙されるようにして食べさせられ、憤慨したナマズのお刺身です。正確には獅子文六の場合は、ナマズのアライでしたが。
獅子文六もウマかったと書いていますが、実際美味しかったです。2度目に鹿島神宮に行った時に、コースで食べました。



↑kindle版



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