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【読書】少女小説だが、価値はある~『アンの娘リラ』(モンゴメリ作、松本侑子訳)(その②)~

『アンの娘リラ』の感想その②です。

↑kindle版


読みながらメモを取り、同時中継的に(?)感想を書く方式の記事なので、読みにくい点は、ご容赦ください。


孤児のジムスを育て、青少年赤十字の活動に携わり、リラは急速に成長していきます。友だちだったアイリーンとは違って。

アイリーンは一年前のままだった――これからもそのままだろう。一方でリラ・ブライスの性格は、この一年に変化し、成熟し、深みを増したのだ。

p.219

ちなみに育てるうち、ジムスへの愛情もどんどん出てくる描き方も見事です。


「この大勝利で、息子や、夫や、恋人を亡くした女の人は、いいニュースだと言うでしょうか。自分の家族が、その方面の前線にいないというだけで、私たちは喜んでいるのですよ、まるでこの勝利で、犠牲になった人が一人もいないみたいに」

p.269

連合国が西部戦線で大勝利をおさめたというニュースを受けて喜ぶ家政婦のスーザンに、ミス・オリヴァーが言うセリフです。さすが先生、鋭い洞察です。

それに即座にスーザンは反論しますが、このくだりに限らず、表面的な見方しかできない、自分の考えを疑わないスーザンの長々としたお喋りを読むのが、だんだん苦痛になってきました。リラとケンの面会を、勝手な思い込みで邪魔するし。ひょっとしたら、悲観的なものの見方しかできない陰気な「いとこのソフィア」よりも、嫌かもしれません。

そもそも、いちいち「いとこのソフィア」と言うのも、神経に障ります。もちろん原文がそうなんでしょうけど、松本さんも、それをその都度訳さないでも良いのに。


英国は、ベルギーの運命はベルギーにまかせておけばよかったのです――カナダは、一人の兵士も送らなければよかったのです――われわれの息子たちは、エプロンの紐に結びつけておいて、一人も行かせなければよかったのです。

p.277

決して、「英国は、ベルギーの運命はベルギーにまかせておけばよかった」という意味ではありませんが、なぜ奔流に巻き込まれるかのように、サラエボ事件が世界大戦にまで発展し、カナダの青年たちが大勢死なねばならなかったのかは、考える必要があります。「訳者によるノート」によれば、カナダの「出征兵士は約六十三万人、戦死者は五万三千人から六万「七千人とされる」(p.609)そうです。カナダの参戦の理由については、同じく「訳者によるノート」で「カナダは一八六七年にイギリスの植民地から連邦国家となりましたが、自治領であり、外交権はイギリスにありました。そのため英国がドイツに宣戦すると、カナダも大英帝国の一員として参戦することになったのです」(p.623)とあります。


以前のスーザンは、新聞はグレン・セント・メアリ通信を読むだけだった。「前の私は」とスーザンは悲しげに言った。「プリンス・エドワード島の外で何が起きても、お構いなしでした。ところが今じゃ、ロシアや中国の王さまが歯痛にでもなれば、心配するんですから。ブライス先生が言いなさるように、知識は広がるかもしれません。だけど、たいした気苦労ですよ」

p.280

ロシアにいるのは皇帝だし、この段階で中国はもはや中華民国になっているというツッコミはともかく、ヨーロッパの地図だけではなく、メソポタミアの地図も調べだしたスーザンの知識欲が、印象的でした。関心さえあれば、学び始めるということですね。


私は本当に思いやり深くなっただろうか……私は、自分がわがままで、考えなしの娘だったとわかっている。どんなにわがままで、思慮に欠けていたか、今思い返すと恥ずかしくなる。ということは、今の私は、前ほどは悪くないのだろう。

p.288

リラ、間違いなく成長しています。


それにしても、アンに白髪が出るとは!

「でも白髪なんて、気にしないわ。赤毛が好きじゃなかったもの」

p.292

この後、『赤毛のアン』で描かれた、髪の毛が緑色に染まってしまうエピソードが出てくるのですが、そういう風に所々昔のエピソードが出てくるところが、にくいです。


リラがミランダに結婚式を準備してあげたのに、その結婚式がぐだぐだになるところは笑えました。前線に出た家族を心配する緊張ばかりが続くと、だれてしまうので、こういうシーンも必要ですね。まぁ私なら、ぐずぐず言うミランダをどついてしまいそうですが。

リラは小さな白い歯を、かちりと食いしばった。「天よ、私に忍耐をお与えください」とつぶやくと、「じゃあ、私がかけるわ」と大きな声で言った。

p.298

リラ、本当に成長しましたね。


「とにかく、私の国王陛下とお国が、今の私に、裏庭に植えるじゃが芋の種芋を切るよう、望んでおいでなんだから、あんたもナイフをもってきて手伝いなさい、ソフィア・クローフォード。そうすれば、あんたも気がまぎれて、指揮をしろと頼まれてもいない作戦のことで、悩まなくなりますよ」

p.324

上記の通り、イライラさせる面もあるスーザンですが、こういうところは良いです。


プライアー氏は祈った。この罪深い戦争が終わりますように――だまされて西部戦線で大量殺人をさせられている愚かしい軍隊が、みずからの非道に目をひらき、まだ間に合ううちに悔い改めますように――人殺しと軍国主義の道へ追いたてられた、ここにご列席の軍服姿の哀れなる若い青年たちを、今のうちに救わねばなりません――。

p.330

月に頬髯ことプライアー氏の平和主義者としての祈り、実は真っ当ですよね。もちろんこの祈りに限らず、プライアー氏の言動は「ドイツ贔屓」あるいはもっと率直に「ドイツのスパイ」として、近隣の人々の顰蹙をかっているわけですが……。


「私たちは、自分が成長する手段や方法を、自分で選ぶことができないのです。学ぶ教訓にどんな価値があっても、つらい授業はやめたくなりますから」

p.351

ミス・オリヴァー、金言です。


印象的だったのは、近所のブルース坊やのこの言葉。

「もしできることなら、ぼくが、皇帝(カイゼル)に、何をしたいと思ってるか、わかる?」
(中略)
「ぼくなら、皇帝(カイゼル)を、いい人にしたいの……とてもいい人に……できるなら、いっぺんに。それがぼくのしたいことだよ。ブライスのおばちゃんは、これが、いちばんひどい罰だと思わない?」
(中略)
「もし、皇帝(カイゼル)がいい人になったら、これまで自分がどんなにひどいことをしてきたか、わかって、すごくつらくなって、ほかのどんな罰よりも、不幸せで、悲しい気持ちになるからだよ。悲しくてたまらない気持ちになって……そんな気持ちが、ずっと続くんだよ。だから」(中略)「だからね、ぼくなら、皇帝(カイゼル)をいい人にするんだよ……それがぼくのしたいことだよ……皇帝(カイゼル)には効き目があるんだ、ちょどぴったりに」

pp.306-307

では、私も願いましょう。プーチンが、ネタニヤフが、そして他の独裁者たちが、いい人になりますように。

ただ後にブルース坊やがしでかしてしまったことは、いただけません。リラは「すばらしいと思われることをした――その背後に愛があるから、すばらしいと思われるのだ」(p.487)と書いていますが、これ、20世紀初頭の倫理観においてもまずいのでは? このエピソードをモンゴメリが入れた意味が分かりません。


「私は、疑問に思うのですが」ミス・オリヴァーが言った。「飛行機のおかげで、人類は、さらに幸せになるのでしょうか? 人類の幸せは、その配分先が変わっても、いつの時代も幸せの総量は、変わらないと思うのです。『たくさんの発明』があっても、幸せの総量は、減ることも増えることもないと思いますが」

p.401

これまたさすが先生、金言です。


印象的だったのは、カナダにおける国政レベルでの女性参政権の実現。1917年の総選挙で、家族が出征した成人の女性に投票権が与えられたそうです。争点が徴兵制という事情はあるにせよ、財産ではなく、「家族が出征している」という条件での制限選挙は、初耳です。


ガクッときたのは、以下の部分。

私が心からなりたいものは、たった一つだけ……いつか、そうなれるかどうかは、わからない。もし、なれなかったら……なにものにもなりたくない。(中略)
私はケネス・フォードの妻になりたい!

pp.433-434

驚くほどの成長を見せたリラなのに、結局そうなのかと思い、がっかりしました。別にお母さんのアンのように「職業婦人」を目指せとは言いませんが、結局なりたいのは「お嫁さん」ですか……。


「こういうことに、くわしい人が言ってんだよ」いとこのソフィアは重々しく言った。「そんな人は、いませんよ」スーザンが言い返した。「軍事評論家なんて、何一つ、わかっちゃいないんです、あんたや私と同じですよ。今までだって、数えきれないほど間違えてきたんですから」

p.451

スーザンに拍手! スーザンもまた、成長しています。


しかし、緊急事態だったとはいえ、久しく会っていない古い友人の留守宅に勝手に上がり込み、「自分の家にいるみたいに、くつろぐことにするわ」(p.470)と言って、食事をし、寝間着も借りて寝てしまうリラって、何者? 帰ってきた住人(リラの古い友人から家を買った見知らぬ人)に、ふるまいをたしなめられたら、相手の礼儀作法をとがめてしまうし。どう考えてもリラの方が、無作法を通り越して犯罪行為をしでかしていると思うのですが……。20世紀初めのカナダの礼儀作法、謎です。


物語も終わりに近づいたこの段階に至って、だんだん冷めた気持ちになってきました。シリーズの最初と最後しか読まないで言うのも何ですが、やはり「赤毛のアン」シリーズは、十代の女の子向けの少女小説なのかと……。

第一に、「少女」の視点では抵抗がないであろうところも、「大人」の視点で見てしまうと、頭を抱えることしばしばです。第二に、リラの長い日記の文章やら、「神の視点」やらがいろいろ混在するのが、良い効果を発揮している時ももちろんあるとはいえ、やはり分かりにくい。第三に、「ドイツとオーストリアが、講和を求めています」(p.497)と、オリヴァー先生が皆に告げるシーンに代表される、仰々しさやというか、あざとさも、鼻につきます。


リラがアンと観た映画の説明が、印象的でした。

『ハーツ・オブ・ザ・ワールド』……米国のサイレント白黒映画。監督脚本は米国人のD・W・グリフィス(一八七五~一九四八)、出演は米国女優のリリアン・ギッシュ、ドロシー・ギッシュなど。フランスの農村の恋人たちが戦争で引き裂かれ、さらにドイツ軍が砲撃。主に英国で撮影されたが、フランスの塹壕も撮影、機関銃や大砲の砲撃が上映。当時、色々と製作された反ドイツの戦争プロパガンダ作品の一つ。

p.611

アメリカがすでに第一次世界大戦中にプロパガンダ映画を作っていたことに驚きました。なおこの「訳者によるノート」、文法的に変ですが、原文ママです。


大戦終結後にスーザンが「新婚休暇(ハネムーン)」をとるのですが、その真相には良い意味であっけにとられました。モンゴメリは、どうやってこういう設定を思いついたのでしょう。

「私も戦争花嫁になっても、悪くはなかったですね」スーザンが恋愛への憧れめいたことを言った。

p.306

私は六十四年も待って、やっと結婚の申し込みを受けたんです。

p.414

スーザン本人は、あの晩、家に帰ってから、とても恥ずかしがって、嫁入り前の女にふさわしくない振る舞いをしたと心配になり。実際、『女(レディ)らしく』ないことをしました、と母さんに言ったのだ。

p.419

これだけ伏線を引いた挙げ句の「新婚休暇」なので。

ちなみにプロポーズしてくれた相手を、スーザンは「両手に湯気のたつ大きな鉄なべをもち」追い回しますが、それは「嫁入り前の女にふさわしくない振る舞い」とは別です。


「ぼくは、うんざりするほど戦争を見たから、戦争の起きない世界を作らなければならないとわかっている。ぼくらは、プロイセンの軍国主義に、致命傷を与えた……でもそれはまだ死んでいない。それに、ドイツだけに限ったものでもない。古い理念を追い払うだけでは不十分なんだ……新しい理想をとりいれなくてはならない」

p.512

リラの長兄ジェムの言葉ですが、第一次世界大戦終戦直後の1919年に書き始めた作品に、こういう言葉を盛り込んだモンゴメリの慧眼には感嘆します。なお「プロイセンの軍国主義」は「訳者によるノート」によればPrussianismで、「直訳『プロイセン主義』。プロイセン王国とドイツ帝国に見られる軍国主義、階級主義、保守主義、拡張主義などを合わせたもの」(pp.613-614)です。


物語の結末のリラの台詞は、評価の分かれるところではないでしょうか。くすっと笑えるとも言えますが、上記の通りもはや冷めた気持ちで読んでいた私としては、やれやれという感じでした。少女小説としては、良いのかな。


この作品の同時代の評価として、ヴァンクーヴァーにあるカーネギー図書館のダグラス氏が「あの時代を描いたその場しのぎの文学の多くは、いずれ忘れ去られるでしょう。しかしこの本は長く生き続けると思います。あなたは戦争中のカナダ人の心情を生き生きと描き出したのです。あの五年の長きにわたる苦しい歳月に私たちが経験した事実を正しく描写なさったのです」(pp.639-640)という手紙をモンゴメリに送り、モンゴメリはそれに対し「とても嬉しかった。なぜなら、これこそ私がこの本でなしとげようと努めたことだからだ」(p.640)と、日記に書いたそうです。

物語の筋自体は少女小説ではありますが、モンゴメリが戦時中の日記を参考にしつつ書いたこの作品は、ダグラス氏が指摘するように、第一次大戦中のカナダの人々の生活と心情を記録した意味で、やはり価値があります。


↑文庫本


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