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「特別道草篇」の発行を待望します~『見仏記 道草篇』(いとうせいこう、みうらじゅん)~

夢中になって集中的に読んできた「見仏記」シリーズも、とりあえずのところ、これでおしまいです。だから大事に読みました……と書きたいところですが、実際には3日弱で読了してしまいました。だって面白いんだもん。

↑kindle版


表紙をめくってまず謎だったのは、表紙カバー見返しのリンゴの群れ。なぜに「見仏記」でリンゴなのかと不思議に思っていたら、長野の章で謎が解けました。

この巻はリンゴもパンダも登場し、ついには見るべき仏像も見そびれてしまったりしだします。でも以下の考えに基づけば、そんなことはもはやどうでもいいのでしょう。

「お寺の近くにあればすべてが塔頭」というみうら思想(中略)。その考えでいけば、出会うすべての生命が仏ということにもなった。人間も小さな雀も紅葉する樹木も、もちろんその中のひとつに過ぎないのだ。
やがて、夕日が山並みの向こうに落ちかかる時間になった。電車内の客はみなその姿に顔を向けていた。と、スマホから目を上げたみうらさんは言った。「こうやって来迎してるんだ、仏は毎日。それ以上、何を望むのか、人間は」

この2つの言葉を読むと、やはり見仏コンビが悟りを開く日は近いかも、と思ってしまいます。


とはいえもちろん、まだまだ俗っぽい部分は健在です。見仏という行為自体は日本各地のお寺に認識され、ご住職たちに歓迎してもらえるようになったのに、2人で相部屋で旅館に泊まると、2巻の頃と変わらず「重ね敷き」に悩まされます。すでに2人とも、アラ還なのに……。


備忘録を兼ねて、他に心に残った部分。

だるまの単位が「丸」だとわかった。

なるほど。


自分で自分をあやすのがうまい二人

かくありたいです。


各種災害のことを思えば、日本列島はまことに難事続きであった。昔であれば大仏を建立していたであろう、そんな年月である。

これは西日本の水害や北海道胆振東部地震があった2018年を指しての、いとうせいこうの言葉。そうか、こういう事態を受けて大仏は建立されたのかと、何だか胸に染みました。


みうらさんはこの数年、デッサンの狂いのない絵をよく描いている。むしろそれは退化なのだというニュアンスを、みうらさんはかもし出した。

確かに最近の数巻は、みうらじゅんの絵が仏画っぽくなってきているなと思っていました。本当はデッサンがうまいのに、それを否定してイラストを描くようになった。けれどまた、ちゃんとした絵を描くようになっている。それはみうらじゅんに言わせれば、「昔の自分が出ちゃってる」ということなんだそうです。

そして峨眉山では、ついにマンガ的でないリアルな2人の姿が描かれるのですが、それは峨眉山の寒さがなした業のようです。みうらじゅんの自画像(?)はずっとカエルだったのに、ついに人間みうらじゅんが描かれます。


一瞬、みうらさんの姿を見失っているのに気づいた。心臓が抜けたような感覚でいると、岩の陰からみうらさんの背中が出てきた。曲がりくねった道を我々は互いに急いでいた。どちらが先に死ぬのかわからないが確実に別れはあるだろう、と思いながら私はみうらさんのあとを追った。

これは恐山でのエピソード。巻を追うごとに色合いを濃くしてきた、「死」ないしは「別れ」のイメージが凝縮された一節です。


施設内エコカーのみならず、公共の名所のような場所周辺もエコカーしか走れないことを付さん(注:ガイド)から聞いた。環境保全へと中国は大きく舵を切っていた。バリアフリーという福祉施策にも気を遣い、これはすごい速度で日本を追い越しているというのが率直な我々の感想だった。

このことをちゃんと理解しないと、日本は立ち遅れていることも自覚しないまま、どんどん遅れていくでしょう。


道草篇と銘打って見物の旅を続けてきた我々は、気づけばふらふらと勝手に国を離れ、中国まで来ていた。本来、道草はそのくらいの遠距離を射程に入れてよいものなのではないか。そうであってこそ見物というものだ。だとすれば石像だらけのインドに再び行ってもいいのだし、欧米に渡ってしまった仏像を博物館巡りで見てもいい。

欧米篇、ぜひとも読んでみたいものです。でもこの情勢では、見仏コンビが欧米に渡る日は、いったいいつになることやら。


というわけで実現可能なのは、「あとがき」の最後でいとうせいこうが触れている、2人で勝手に行った見物の旅をまとめた「特別道草篇」でしょうか。ぜひぜひ読んでみたいものです。


見出し画像は、見仏コンビも訪れた長野の善光寺です。


↑単行本



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