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知的刺激を与えてくれる~『食べる 生命の教養学12』(赤江雄一・編)~

私は小説もエッセイも好きですが、小説やエッセイばかり読んでいると、ノンフィクションのものが読みたくなります。この3つをバランス良く(といっても同じ分量という訳ではありませんが)読んでいないと、何となく頭が偏る感じがあるのです。というわけで、『食べる 生命の教養学12』を読んでみました。


このシリーズは、私は以前から愛読しています。「生命の教養学」は慶応義塾大学で毎年開かれている講座で、「『生命とは何か、<生きる>とはどういうことなのか』という問いから始まる知的探求への誘いとして構想されて」おり、「いわゆる文系・理系といった偽の対立に惑わされず、幅広い学問領域から『教養』を涵養するための場を提供」しているものです。2015年度のテーマは「食べる」で、その講義録が本書です。

以下、印象に残った章の題名と著者、印象に残った所を備忘録的に書いていきます。


・「スローフード」運動とは何か(島村菜津)

イタリアでもトマトの99%は大手種苗会社のF1種で、これはたとえば収量が高く、皮も厚くて流通に向くといった利点を持つ改良種ですが、種とりは難しく、毎年、買わなければなりません。一方、在来種のトマトは片手で数えられるほどしか残っていません。

スローフード運動発祥の地のイタリアにして、圧倒的にF1種が支配しているのかと、衝撃でした。その一方で、以下の指摘もあります。

20世紀以降、ヨーロッパで75%の農産物が消えた。アメリカではそれがおそらく90%以上と言われている。ヨーロッパの多様性を見ると、おそらくその半分くらいはイタリアの小さな半島にある。

イタリアにはぜひ、踏みとどまってもらわねばなりませんね。


じつはいま、カカオの生産量に対して、チョコレートが多すぎるのです。組み換えの大豆を混ぜてつくられているチョコレートばかりだからです。

これも衝撃でした。チョコレートを買う時は、ちゃんと成分表示を見なければいけませんね。


アイルランドで主食の8割をイモに頼っていたときに、イモの種類はほぼ2種類しかありませんでした。この2種類のイモに病気が出たときに、その影響で250万人の人が餓死したのです。(中略)そのときに解決策となったのが多様性の残る原産地から見つけ出された病気や天災に強い品種でした。ですから多様性ということが食のひとつの安全保障なのです。

この引用だけ読むと、何だかアイルランドの農民が悪いようになってしまうので補足すると、このいわゆるジャガイモ飢饉の間、小麦は普通に取れていたのです。しかしイングランド人の不在地主が、アイルランドの小作人が作った小麦をすべてイングランド本国に輸出してしまったため、アイルランド人は餓死する羽目になったわけです。


一生行かないかもしれない遠い国の経済や、その国の女の子が小学校に行けるかどうかにまで、私たちの日常の食はつながっているのです。
価格競争が生産地に痛々しいダメージを与えていることも忘れないでください。

いつもいつもこういったことを考えて、食べるものを選ぶのは無理かもしれませんが、時には思い出す必要がある指摘です。


・ワインにみるグローバリゼーション(山下範久)

当時(注:17世紀)、泡が出るワインというのは、一度発酵が止まって、春にもう1回発酵がはじまってしまったワインであって、それはだめなワイン、失敗作とされていました。ドン・ペリニヨン(注:修道院のワイン貯蔵庫の管理を任されていた修道士の名前)は、ワインから泡が出ないようにするにはどうしたらいいか、一生懸命に突きとめようとしたのです。(中略)ドン・ペリニヨンの時代は小氷河期で、ヨーロッパはすごく寒い時期を経験していました。

まさかシャンパンの発明の裏に、ヨーロッパのいわゆる「17世紀の危機」の原因であった小氷河期があったとは知りませんでした。寒すぎてワインの発酵が一度止まってしまい、それが春にもう一度発酵することで、炭酸ガスが発生していたのですね。

ちなみにシャンパンと呼んでいいのはシャンパーニュ地方産のものだけです。他の産地のものは、スパークリングワインと呼ばないといけませんね。シャンパーンニュ委員会はとても厳しいそうで、「iPhoneの『シャンパンゴールド色』についても、シャンパーニュのワインのブランドイメージを勝手に利用しているので、利用料を払えと主張するほど」だそうです。

なお「17世紀の危機」については、以下の記事をご覧ください。


お金は、なにか人の世の役に立つもののために使ってこそ、はじめて意味があります。そしてそのことによってさらにお金が増える。その増えたお金を使って、なにか人の世の役に立つものをつくる、というのが健全な資本主義のプロセスです。

箴言ですね。


・魚はいつまで食べられる?(勝川俊雄)

矛盾する情報の中で正確な情報を得るには、(中略)オリジナルの報告書に目を通すことが重要です。その上で、基本的な統計データを確認することが大事です。報道は恣意的な抜き取りが出来ますが、統計データは噓をつきません。

これもまた箴言。


文化の根底とは持続性です。われわれの営みが、世代を超えてつながっていくからこそ文化です。漁獲・消費の持続性が損なわれた日本の現状が続けば、我々が受け継いできた魚食文化はいずれ衰退していくでしょう。

魚を食べられなくなる日が来ないようにするため、行動を変えるためには、今がラストチャンスのようです。


ノルウェーは1970年代中頃から厳しい漁獲制限をして、資源を回復させて、いまに至っているのです。(中略)魚が増えても、以前のように漁獲量は増やしていません。資源を高めに維持して、価値が高い魚を安定供給する戦略に切り替えたのです。

日本もノルウェーを見習うべきですね。


日本は、自国のサバを1キログラム60円で養殖のえさにして薄利多売をする一方で、ノルウェーから1キログラム300円の食用サバを買ってきています。ばかばかしい話です。日本でもきちんと魚を残せば、2-3年で食用サイズになります。(中略)日本の漁場の生産性は高いので、少しの期間休むことができれば、ノルウェーが20年かけて3倍にしたよりも、もっと短い期間で増やすことができるし、きちんと規制すれば、漁業は利益を生む産業になるはずです。

本当にばかばかしい話ですよね。やはり思い切って今、考え方を変えるべきです。


社会的関心というのは、自らの消費活動が他者に与える影響、とりわけ弱者に及ぼす影響を自覚するということです。環境への自覚というのは、自らの消費行動が環境に及ぼす影響を理解する責任ということです。

世界消費者機構が「消費者の責務」というのを挙げていて、その中に社会的関心と環境への自覚が含まれます。美味しいものを安くたくさん食べたい、だけではダメだということです。


・日本の食料と農業(生源寺眞一)

幸か不幸か、日本の社会はこれまでアジアの成長の先頭ランナーの役割を担ってきました。したがって、問題にも最初に向き合うことになりました。(中略)日本の制度や政策が良い形の解決策を提示すれば、ほかの国にもおそらく参考にしてもらえるでしょう。しかし、残念ながら良い形の解決策を見いだせなかったならば、「日本はネガティブ・レッスンを提供している国だ。ああいう国になってはいけない」と評価されると思います。つまり、反面教師として、ほかの国々に伝えられることになるでしょう。

このままでは、間違いなく反面教師ですね。


・食べられるブタ、嫌われるブタ、愛でられるブタ 沖縄のブタ食文化から考える(比嘉理麻)

ブタは「肉」以外にも、人間の残飯・食べ残しを処理してくれるだけでなく、畑の肥やしをつくってくれ、さらに魔物除けの効果を発揮してくれていました。母屋の近くにブタ小屋があったわけですから、たとえば、お葬式の帰りにブタ小屋に寄るわけです。人間が近づいてくると、ブタは鳴き声を上げますから、そのブーという鳴き声で人間についてきた魔物や負の力を追い払ってくれる効果があったというのです。要するに、ブタはたんなる肉のかたまりではなかったのです。

沖縄では戦前には97%、つまりほとんどの家で1頭から数頭のブタを飼っていたそうです。単に食料としてだけではなく、様々な役割をブタが果たしていたのですね。


・日本人の食べ方・味わい方から見る日本の文化(山本道子)

私たちのなかに流れているものや、伝わっているものは無意識に留まっているものかもしれません。そういったところを少し意識的に捉えていくと、力になってくれるのではないかと、私はいま、考えています。日本を相手に伝える、外国に伝えるということはどういうことなのか。それを考えるときには、まず自分たちをよく見て、自分たちが何を思っているかということをよく考えてやっていけば、それはひとつの強みになるかと思います。

なるほど。


・生体のエネルギー出納バランスと体重コントロール(勝川史憲)

食事調査はエネルギー摂取量を過小評価し、食事のエネルギー摂取量の把握は難しい。とくに、肥満度が高いと過小評価が甚だしくなる。

これ、おかしかったです。太っている人は自分が食べた物や量を正確に把握できず、過小評価する、と。「そんなに食べていない」というやつですね。


今晩、大量に過食すれば明日の基礎代謝は高くなりますし、逆に2、3日絶食に近い状態で測れば基礎代謝は下がります。つまり、最低限のエネルギーといいながら、基礎代謝は意外に簡単に変化し、エネルギー摂取量の過不足のバランスを調整しているのです。

これ、知りませんでした。


過食すると、日常生活でちょこまかと動く量が自然に増える人がいて、こうした意図しない活動量の増加で余計にエネルギーを使って、体重増加に抵抗していたのです。

「自発的に動く量を調整して体重増加にブレーキをかける機能」自体はすべての人に備わっているようですが、「人によりその制度に差がある」とのことです。


意図的に食べる量や動く量を動かせば体重が変化しますが、新しい体重で新たにバランスをとり、走り続けていくのが生命のおもしろいところ。

これ、覚えがあります。人生で何回か、ストレスや胃腸を壊したなどの理由で結構やせたことがあるのですが、それを維持しようと食べる量や動く量を変えないようにしても、いつの間にか元に戻るんですよね。そうか、新たなバランスをとってしまっていたのか。


ちょっと面白かったのが、糖尿病患者のエネルギー処方として、体重あたり25~30%という数字が使われている理由。どうも実は根拠はないようで、「たんに体重を減らすために10%減にしたんだ」という説や、「昭和20年代の食糧不足を背景に、入院中の患者さんに提供する必要最低限のエネルギー量として規定したのではないか」という説があるそうです。「我が国の食事療法はいまだに戦後レジーム」という表現に、笑いました。


・「食べる」を「体験する」(野口和行)

バーベキューのルーツは、16世紀の大航海時代、スペイン人がアメリカ大陸を移動していったときにカリブ海西インド諸島のタイノ族の調理法を見たことにあると言われています。タイノ族は独特な工夫をした木の枠の上で、焦がしすぎずに肉を焼いて食べていました。その木の枠をスペイン人が植民地に持ちかえりました。

持ちかえったんかい……。枠に秘密があると思ったんでしょうね。


日本には日本バーベキュー協会があり、バーベキュー検定を実施しているそうです。初級検定、上級検定、スペシャリストと分かれていて、レベルが上がればあがるほど、バーベキューの知識や、肉を焼くという調理法などだけでなく、バーベキューを通じてのコミュニケーションスキルも必要とされるようです。つまり、バーベキューをする人がその料理のサーブを通じて、人と人をつなげていく。バーベキューは、いわばコミュニケーションツールだということです。

うーむ、バーベキューがそれほど深いものであったとは。


海に潜っていて、アジの群れを見つけたら、私たちは「あ、うまそうだな」と思います。フランスの子どもたちは、飛び跳ねているウサギを見ると、「おいしそう」と言ったりするそうです。

なるほど……。そういえば来日当時のアグネス・チャンは、公園の鳩を見て、おいしそうだから捕まえようと思ったらしいですしね。まさに文化の違いです。


・発酵食品の神秘(小泉武夫)

ホンオ・フエを食べるのは命をかけなければいけません。これはほとんどアンモニアと硫化水素なので、危ない。実際、韓国ではこれを食べて毎年何人もの人が亡くなっています。

……すごい食べ物ですね。


かつお節は世界一堅い食べ物です。

なるほど。


体内被ばくして、放射線量が高い人におみそ汁を飲ませると、免疫が高くなって、線量がぐっと下がってきます。

発酵食品パワーって、すごいですね。


私たちは、世界で一番大きな生ゴミの処理の発酵槽を福島県につくりました。長さ200mの巨大なもので入口に生ゴミを入れると、200m先の反対側から真っ黒い肥沃な土が出てきます。微生物で生ゴミを全部土にしてしまうのです。この土を山に戻す。すると山が豊かになったら、下の田んぼや畑、川、海まで豊かになるはずです。

これ、ぜひ日本各地でやるべきだと思います。


人間の健康問題、環境問題、食糧問題、そして新しいエネルギーの創造を4つの柱としたFT革命(注:ファーメーション・テクノロジー(発酵テクノロジー)革命)

発酵が未来を明るいものに変えてくれるかもしれない、というわけですね。


このような感じで、自分がそれまで興味がなかった分野の話も含め、いろいろな教養を与えてくれるこのシリーズですが、以前から気になっているのは、校正の甘さです。誤字脱字、文法の破綻が結構多いのです。あえてどこにあったかは書きませんが、「5世紀から5世紀にかけて」とか「「横浜海軍カレー」(もちろん横須賀海軍カレーの間違い)って、ひどくないでしょうか。著者校正も甘いのかもしれませんが、最終的には編者や出版社の編集者がもっと丁寧に校正すべきだと思います。専門的な話を分かりやすく読むことができる魅力的なシリーズなのに、誤字脱字や文法のミスがあると、何だか価値が落ちる気がして、ちょっと残念です。




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