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【読書】現代のハンニバルたちに読ませたい~『ハンニバルの象つかい』(ハンス・バウマン作、大塚勇三訳)~

同じ大塚勇三訳の『大力のワーニャ』を図書館で見た際に近くにあったため、読んでみました。


象を率いての有名なアルプス越えを果たした、第2次ポエニ戦争を扱っているのですが、読んでいてだんだん重苦しい気分になってきます。どんどん読みすすめることができず、児童書とは思えないほど日数をかけて読む羽目になってしまいました。


どの象の左の牙も、召使という意味で「グムビロ」とよばれていた。その名のいわれは、象たちがその牙を、なによりもまず掘ることや、持ちあげることに使うためだと、はっきりわかった。ところで象たちは、右の牙の「ルゴリ」のほうは、だいじにしていた。それは、できるだけ使いへらさないで、見せびらかそうというつもりなのだ。すくなくとも、象つかいたちはそういっていた。

p.56

これが本当かは分かりませんが、そういうこともありえそうです。


北アフリカのサラあたりでは、(中略)象はだいたいは天上の動物で、それが百年間、この地上におりてくるのだとされている。そして象たちは、新月の夜にあつまって、この地上がまだ、象の住む値打のある所かどうか、相談するというのだが……?

p.71

象の数が減っているのは、人間の乱獲だけが原因ではなく、この地上に象の住む値打がなくなってきているからだったりして。


最初のローマ人のロムルスは、じぶんの兄弟のレムスをぶち殺した。それがなぜかっていえば、ロムルスがじぶんの土地とレムスのとの境につくった溝を、レムスがとびこえたからってだけなんだ。そうよ、いつの時代だって、ローマは境界線をひっぱり、ほかの人間がそれを越えると命をとった。

p.94

世界史の教科書でのポエニ戦争はローマ側から描かれるので、カルタゴ側から見るという点で、この本は画期的です。


カルタゴ人というのはフェニキア人の分かれだが、フェニキア人は昔から、すぐれた商人であって、戦士ではない。フェニキア人にとっては、土地を征服することなどだいじではなかった。……彼らは海を行き来していた。とくに彼らは緋色の染料をあつかっていたので、『赤い人々』と呼ばれたものだ。さて、緋の国からの一団が、アフリカに住みついてカルタゴを建設しようとしたとき、彼らは代を支払って、ひとつの都市とひとつの港をつくるのに必要な土地を手に入れた。どこでも行く先々で、彼らは支払いをした。(中略)だから彼らは、どこでも、よろこんで迎えられた。彼らは何についても支払いをした、……それが彼らの征服のやりかただったんだ。彼らは品物の流れをさかんにした。北方から琥珀を運んできて南方の金と代え、東方の香を西のほうでできる船の索と代えた。こうやって、みんながもうけた。もちろん、いちばんもうけたのはカルタゴ人自身だったが、彼らは、もうけるだけの仕事をしていたんだ。(中略)カルタゴ人は、つねに航海者であり、発見家であり、砂漠の探検家であり、商人だったが、……けっして兵士ではなかった。じぶんを守る必要のあるときは、彼らは金で傭兵をやとった。けれども、戦争はひどくきらった。だから、できるだけ早く、戦争のかたをつけようとしてきたのだ。

pp.108-109

長い引用となりましたが、フェニキア人の本質をよく表している気がするので、備忘録代わりに書いておきます。


ケルト人の注釈に、「古くはおもに牧畜民であり、また勇敢なことで知られていた」(p.124)とあったのは、初耳でした。あと、ガリアの注釈にも、驚きました。

ガリアとは、ローマ人がガリア人と呼んだ人々、すなわちケルト人の住んでいた地域の総称で、たいそう広い。今日の北イタリアをはじめ、フランス、ベルギー、さらにドイツ、オランダの一部、それにスイスの大部分などがガリアと総称されていた。

p.144


ハンニバルを通して、わたしは戦争の本質をつかむのだ。(中略)どんな人物だったのかを、ぜひとも後世の人々に伝えなければならない。……そうすれば、もしこういう人物が彼らのあいだに現れたときでも、彼らはその人物にただついてはいかず、地獄におちずにすむかもしれないのだよ。

p.310

これはハンニバルの書記であるギリシア人のシレノスの言葉です。「ただついて」いってしまった人間は、その後も残念ながら大勢出てしまいました。作者のバウマンが1914年生まれで、ナチス時代を経験していることを考えると、意味深でもあります。でもシレノスの思いは正しいし、今後も引き継いでいかねばなりません。ちなみにシレノス(ローマ風によぶとシレヌス)は実在の人で、「あとがき」には以下のように書かれています。

この人は、ハンニバルの軍にしたがい、のちにハンニバル戦争についての本を書きました。彼がその本でのべた記述は、きわめて信頼できるものとしてローマ側の歴史家にも高く評価され、多くの歴史家がそれを資料として使ったということです。

pp.358-359


だんだん読みすすめるのが辛くなった理由は、以下の「あとがき」からの引用に集約されます。

主人公の少年は、心をむすびあった象のスールーとともに、大遠征のさまざまなすがたを見、体験をかさねて、しだいに、人と人とが憎みあい戦いあうとはどういうことなのか、……総じて戦争とはいったいなになのかを、じぶんに問いかけるようになっていきます。ハンニバルのふしぎな引力にひきつけられながらも、少年の心のうちの疑問は、とめようもなく大きくなりつづけていきます。これがこの作品をつらぬいている一本の太い糸です。そして、こういう問いかけは、じつは現在もまだつづいているものであるのに、みなさんは気がつかれることでしょう。そういう意味では、この物語は、二千年以上もまえのことがらをあつかっているにもかかわらず、今のわたしたちと縁のないものではなく、ただの昔のお話でもありません。

pp.357-358

縁もない、ただの昔のお話であれば良かったのですが、残念ながらそうではありませんね。ぜひとも現代のハンニバルたちに読ませたい本です。


見出し画像は、スリランカで撮ったアジア象です。ハンニバルの象のうち、主人公の少年が乗るスールーだけがインド象(アジア象)という設定なので。




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