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スピーチや投票が持つ力~『本日は、お日柄もよく』(原田マハ)~

この本は主人公のこと葉が、密かに好きだった幼馴染の結婚式で大失敗をしたことをきっかけに、スピーチライターという仕事に出会う話です。


↑kindle版


あまりに眠いスピーチに、晴れ着でスープ皿に顔を突っ込んでしまうという、ありえない設定で始まるものの、物語の運びもテンポよく、文章も達者なので、どんどん読み進められます。移動中の乗り物内で読み始めたのですが、1日で100ページくらい読んでしまったほど。


最初におっと思ったのは、上記の眠いスピーチに、こと葉の師匠となる久美が言い放った以下の一節。

「スピーカーが登場する以前に、司会者が名前も会社名も役職も紹介してるわけなんだから、わざわざ繰り返す必要はない。『鈴木です』って始まった時点で、聴衆は全員、興味を失う」

これ、スピーチではなく文章で、常々私が思っていることなのです。最近、玄人素人問わず、「こんにちは、〇〇です」というような書き出しの文章を書く人が多いのですが、これを読むたび私は苛立ちます。あんたの名前は先に出ているし、貴重な字数の無駄じゃないか、と。スピーチでも同じなんだと思い、久美の言うこと、ひいてはこの本自体に俄然興味が出てきました。


言葉っていうのは、魔物だ。人を傷つけも、励ましもする。本やネットを目で追うよりも、話せばなおのこと、生きた力をみなぎらせる。この魔物をどう操るか。それは、話す人次第なのだ。
言葉は書くものでも読むものでもない。操るものだ。

この2ヶ所は、曲がりなりにも「話すこと」を仕事にしている私としては、考えさせられました。私は生徒に届く言葉を操ることができているだろうか、と。


運命は妙な方に転び、こと葉は衆議院議員選挙の立候補者のスピーチライターを務めることになります。唖然としたのは、選挙運動についての以下の一節。

「こちらから能動的に働きかけることは禁止されているのに、地元の業界団体や地縁団体が開催する集会に受動的に招かれてスピーチするのは許されてるんだからなあ。地元の特定の団体と癒着体質になるのが目に見えている」

だから「特定の政治家と地元の特定団体がズブズブの関係になってしまう」のかと、至極納得がいきました。


一方で登場人物たちも、そしておそらく原田マハも、投票が持つ力を諦めていません。

投票率が上がる、ということは、浮動票が動く、ということだ。いままで政治政党に興味がなかった層。どうせ与党は変わらないんだろう、と思いこんでいた人々。自分の一票なんて意味も重みもない、とあきらめていた有権者。この国を変えることに、関心も、興味も、情熱も持たなかった国民。この民衆を、一気に動かすのだ。
どうか、思い出してください。この国は、日本は、あなたがたおひとりおひとりのものです。あなたがたおひとりおひとりが、この国の主権者であり、この国をよくも悪くもする。その鍵は、あなたがたの手の中にこそあるのです。

私も、一票が持つ価値を諦めたくないです。一票が集まれば、大きな力になるはずだと。そしてスピーチが持つ力にも、気づかされました。

スピーチには、ときに世の中の流れを、人々の意識を一瞬で変えてしまう魔力がある。(中略)演説が世界を変えることは、決して夢などではない。


残念なのは、解説の東えりかの予想が当たったとは言えないこと。

本書の単行本が上梓された翌年の大地震で、日本の政治も民衆の考え方も大きく変わった。日本人は少し成熟したかもしれない。ただ熱狂するだけでなく、耳で聞いた演説をきちんと理解したいと思う人も増えるだろう。

震災から十年が経過した現在、何だか震災前に戻ってしまったようで、暗澹とした気分になります。


なお、この本で2つ気に入らない点があります。

まずは登場人物の命名。久遠久美も千堂千華も、苗字と下の名前が同じ字で始まっていることに、違和感があります。

あと、それ以上にどうしてもいやだったのは、「い」抜き言葉。「言葉のプロフェッショナル」のはずの久美が、結構連発するのです。例えば最初の引用に「紹介してるわけなんだから」とありますが、「紹介しているわけなんだから」と言ってほしいところ。最近はすっかり「い」抜き言葉が定着し、小説家もがんがん使っていますが、久美やこと葉には使わせてほしくなかったです。

ま、そんな細かい点が瑕疵に感じられるくらい、面白かったということです。

↑文庫版

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