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犠牲のシステムから利益を得るのは誰なのか~『犠牲のシステム 福島・沖縄』(高橋哲哉)~

日本という国は米軍基地については沖縄を、原発については福島に代表される過疎地の原発立地県を、いわば「植民地」として犠牲にするシステムを持っている、という観点で書かれた本です。


↑kindle版


2012年1月に発行されたこの本が、2021年の今になってもタイムリーなものとして読めてしまうことが、衝撃です。つまり日本という国は、東日本大震災と福島第一原発事故から10年経っても、変わることが出来なかったということでしょう。


でもそれを、政府のせいにすることは許されません。国会議員を選んでいるのは、紛れもなく日本の有権者なのですから。つまりは犠牲のシステムを作り、そこから利益を得ているのは私たち自身であると、高橋哲哉は糾弾します。


この本の中にも出てきますが、ニンビー(NIMBY)という言葉があります。Not In My Backyard(「うちの裏庭には、ごめん」)の略で、つまりは原発や米軍基地、産廃処理場などの「必要だけど、やっかいなもの」が身近にできることを嫌がる態度です。もちろん誰だってそういったものが裏庭にあるのは嫌ですが、他の人の裏庭なら構わないというのは、あまりにも都合がいいですよね。


原発立地自治体への交付金など、原発を受け入れざるを得ないシステムが作り上げられて押し付けられ、事故による被曝に加え、事故処理のための労働にあたることで、更なる被曝を強いられる……。原発労働者の7~8割が地元出身者、残りのほとんどが県外からの日雇い労働者、という数字に暗澹たる気持ちになりました。


また、日本の民主主義が持つ問題点も指摘しています。孫引きになってしまいますが、まずは『無意識の植民地主義』の著者の野村浩也の言葉。

日本人は、沖縄人への基地の強制を、選挙という民主主義の手続きを通して実現してきた。沖縄人への基地の押しつけは、日本人の民主主義によって達成され、その民主主義は日本国憲法という最高法規によって正当化されているのだ。つまり、日本人の民主主義は、最初から今日まで、多数者の独裁に堕落しつづけてきたのである。沖縄人は日本国民人口の約一パーセントでしかなく、国会議員も最高で十人しか出したことのない圧倒的少数派である。多数決原理が採用されている以上、沖縄人の意思が踏みにじられるのは最初からあきらかなのだ。


高橋哲哉自身も、こう指摘しています。

いわゆる多数決原理としての民主主義は、むしろ差別を正当化する、植民地主義を民主主義的に正当化するために使われる恐れがないとは言えない。


目を背けてはいけない、様々な事実に向き合わされる本です。

↑新書版


なおヤマザキマリの『たちどまって考える』でも、民主主義についての考察がなされています。


見出し画像には、「犠牲の子羊」にちなみ、ニュージーランドで撮った羊さんの写真を使いました。


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