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「山月記」以外もお勧め~『李陵 山月記』(中島敦 文春文庫)~

*この記事は、2019年11月のブログの記事を再構成したものです。


中島敦の「山月記」といえば、太宰治の「走れメロス」と並び、中高生の頃の国語の教科書に載っている、忘れがたい作品の1つではないでしょうか。失踪した友人が人食い虎になっていたという、強烈な話(^-^;


母が「山月記」を読んだことがないと言ったため、数ある中島敦の作品集の中から、図書館でこれを借りてきました。理由は1つ、フォントが他の出版社のものより大きく、読みやすそうだったからです。ちなみに中島敦の作品は著作権が切れているので、「青空文庫」をkindleとかで利用すれば、無料で読むことができます。


「山月記」以外の中島敦の作品は読んだことがなかったため、良い機会だと思い、私も読んでみたのですが、ハマりました! 今まで読んでいなかったことを、ちょっと後悔。三浦しをんがエッセイで、中島敦を勧めていたことを思い出しました。もっと生きていたら、さらにすごい作品を書いたのではないかと思うと、もったいない限りです。


1作品ずつ、感想を書いていきます。古い作品なので、ネタバレもしてしまいますが、その点はご容赦ください。


1.「光と風と夢」

芥川賞候補になった作品ですが、確かに何とも言えない良さがあります。「山月記」の漢文的なゴリゴリした文体とは違い、軽みを感じます。

「宝島」で有名なスティーブンスンの晩年の日々を描いているのですが、三人称で書かれた章とスティーブンスンの日記の章が交互に現れるという、斬新な構成。サモアの温暖な気候の下、執筆と農作業に日々の時間を過ごすスティーブンスンの日々はうらやましい感じですが、列強が絡んだサモアの政権争いが、その生活に影を落とします。

それに加え、「求められる作品」と「書きたい作品」の不一致、体調の悪化なども相まって、スティーブンスンの心は暗いほうに向かいます。最後、ついにスランプから脱し、まるで悟りを開いたような状態になるのですが、その直後に彼の命は尽きてしまいました。そうまとめてしまうと救いのない感じですが、スティーブンスンも、そして彼と一体化した中島敦も、幸せだったんだろうなと思いました。

作品そのものには不満はないのですが、注記には問題があります。昭和43年発行の全集の注記をもとに、編集部が追加・補記したとのことですが、欧米の架空・実在の人物や本などについては、丁寧すぎるほどに注記があるのに、サモアの料理や服装などについての注記はあまりに少ないです。昭和43年当時はサモアの情報が少なく、付けたくても付けられなかったのかもしれませんが、21世紀の今なら付けられるはず。編集部の怠慢か、あるいは欧米以外の文化の軽視の表れではないでしょうか。



2.「山月記」

久しぶりに読み返したら、中高生時代とは全然受けた印象が違いました。こんなナレーションベース(?)で進む話でしたっけ? 袁傪と虎になった李徴が、もっとがっつり会話をしていたように記憶していたのですが、李徴のセリフはほとんど地の文で処理されていました。

しかし、切ない話だなぁ。李徴はなまじ中途半端に才能があったから、凡人を見下していたけれど、真の才能には何かが欠けていたのです。努力すれば、その欠けている部分を補えたかもしれないのに、その努力はせず、そのくせ生きていくための仕事にもきちんと取り組まなかった。いよいよ生活のためにもう一度官吏として働こうとするも、自分がかつて見下していた者たちの下風に立つことに耐えられず、絶望の果てについに虎になる、と。何か身につまされます。

これを中高生に読ませる意味は、「李徴のようになってはいけないよ」ということなんでしょうかね。



3.「弟子」

孔子と、その弟子になった子路の話。孔子は、ただ教訓臭いことばかり言っている人ではなく、いろいろ苦労した人だということを今更ながら知りました。……いや、私の元のイメージに問題がありすぎですが。孔子をへこませるつもりだった暴れん坊の子路が、孔子に心酔していく様が可愛いです。



4.「李陵」

前漢の武帝に仕えた李陵を主人公に、司馬遷をはじめ同僚たちの姿が描かれます。島国に住む者には理解しがたい、大陸の人たちのスケールの大きさに圧倒されます。怒るのも、悲しむのも、絶望するのも、そして恐らく喜ぶのも、その勢いが半端ではありません。だからこそ、李徴は虎になっちゃったのかなぁと、「山月記」に思いを馳せました。



5.「悟浄出世」

『西遊記』の沙悟浄が、三蔵法師一行に出会う前の苦悩を描いた作品です。「我とは何か」などの哲学的な問いに囚われた悟浄は、様々な師を訪ね歩きますが、納得のいく答えは与えられません。最後に観音菩薩から、「まずふさわしき場所に身を置き、ふさわしき働きに身を打込め」との言葉を賜り、三蔵法師一行が通るのを待ちます。

頭でっかちにぐるぐる考えている暇があったら、まずは体を動かせということですね。これまた身に沁みます。



6.「悟浄歎異――沙門悟浄の手記――」

「悟浄出世」と共に「わが西遊記」を構成する作品で、三蔵法師一行と合流後の悟浄の一人語りの物語です。悟浄とは反対に、考える前に体を動かす悟空へのうらやましさ・憧れなどが描かれています。



見出し画像は、横浜中華街の春節のランタンの1つです。今回ご紹介した話の舞台が、ほとんど中国なので。




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