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お人柄がしのばれる、魅力的で味わい深い文章~『水運史から世界の水へ』(徳仁親王)~

この本は、確か『新生 生命の教養学Ⅹ』で紹介されていて、興味を持ちました。当時の徳仁親王、つまり今の天皇陛下の皇太子時代のご講演の記録です。


失礼ながら、水運史に格別の興味があるわけではないのですが、この本は読んでいて大変面白く、結構なスピードで読み進めてしまいました。良い例かは分かりませんが、「ブラタモリ」は回によっては観る前はそれほどの興味が持てなくても、観始めるとタモリさんや各回の専門家の先生の話に引き付けられ、「へー」とか言って、最後まで楽しく観てしまうのですが、それに近いものを感じました。それほど興味があるわけでもなかったはずの淀川やテムズ川の話を、楽しく読んでしまうのです。


印象に残った部分。


一八〇〇年代初頭、豪農の都築弥厚翁により、この地を貫く大規模な灌漑用水事業が発想されました。そして、その志は後進に引き継がれ、約半世紀を超える努力の末に完成しました。明治用水と名付けられたこの事業により、碧海台地一帯は日本有数の農業地帯として発展しています。

庄内の本間家が防砂林を作ったように、日本の各地に人々のためになる事業を行った豪農がいたのですね。


今、国際社会では「水、食料、エネルギー、自然生態系のつながり」が提唱され、分野横断連携の重要性が叫ばれています。水に関わる人々が他分野の人々と密接に連携することで、経済と社会の発展に向けた新たな展望が開けてくるでしょう。

水に限らず、様々な事柄において、分野横断連携の必要がありますよね。


アマゾン川流域の生物の多様性は、水が関係する空気の循環によってアフリカのサハラとつながり、サハラのおかげで持続可能性が確保されている

サハラの「リンを含む大量の砂」のおかげで、「アマゾン川流域の肥沃な土壌における豊かな生態系が維持されて」いるそうです。


(淀川で)船が航行する場合、下流に向かう場合は問題がありませんが、遡る場合は、人が集団で綱で曳いたことが記録に残っています。中世のヨーロッパですと、川を航行する際は綱を付けて馬で曳き、そのためのトーイング・パスと呼ばれる道も川の両側に整備されていたようですが、中世の日本では、私の知る限り、馬や牛で川船を曳いた例は見あたりません。

人が曳いたのですか……。

ちなみにイギリスでも、船を人力で動かすケースもあったそうです。

運河にはいくつかのトンネルを通過する場合がありましたが、その幅は、馬が入れないほどの窮屈なものでした。このような時、船の上に敷かれた板の上に人が横たわり、足でトンネルの側面を蹴って、船を進ませます。

更に付け加えると、イギリスの川や運河では川を上る時だけではなく、下る時にも馬で曳くこともあるとか。


当時(注:室町時代)は、木材の縦横一尺(約三〇センチメートル)、そして長さ一丈(十尺、約三メートル)、これを一石と呼んでいたようです。

木材にも、一石という単位があるのですね。


オックスフォード大学では、紀元四七六年の西ローマ帝国の滅亡以降をモダン・ヒストリーとして扱っていたように記憶しています。(中略)モダン・ヒストリーの下限は、少なくとも数年前の時点では一九六四年であったと聞きます。

モダン・ヒストリーの幅、広すぎます(@_@)


何故日本では馬車が発達しなかったのかを少し考えるよう指摘されました。

この馬車問題、村上春樹の『遠い太鼓』でも謎として指摘されています。

この手の「そういえば……」的疑問というのは総じて未解決のまま終わってしまうようである。どうして日本の飛脚が馬に乗らなかったのか、またどうして日本で馬車が発達しなかったのかというのも僕にとっては積年の謎である。世の中には結構わからないことがある。

結局日本で馬車が発達しなかった理由は、何なのでしょうね。


花粉症にかかっている時期には、分厚いバインダーに綴じられた新聞から舞い上がるほこりに大いに悩まされたこともありましたし、土砂降りの日に、図書館の入り口付近に立てかけておいた傘を盗まれ、コレッジまでずぶぬれになって帰った思い出もあります。

研究生活のご苦労がしのばれます。しかし傘を盗んだ人、どなたの傘か知らなかったんでしょうね。


オックスフォード大学での研究を終えて日本に帰りましてから、何人かの方から、「オックスフォード大学で研究していた下水道の研究は、その後どのように進んでいるか」といった質問をいただき、返答に困ったことがございました。本日、この場でお話をさせていただきましたことにより、私がイギリスで研究してきたものは、下水道の研究ではなくて、テムズ川上流の水上交通史であったということをご理解いただければ幸いです。

これまた、ご苦労がしのばれます。でもちょっと、笑ってしまいました。

なおこの件は、更に続きがあります。

別の機会にお会いした、ある土木関係の学者さんは、私がオックスフォードで洪水の研究をしてきたと思われていたようでした。確かにマートン・コレッジの寮で、洗濯物を詰め過ぎて洗濯機が洪水を起こしたことはありましたが、下水道や洪水の研究はしておりません。しかし、三十年以上経った今となってみますと、下水道も洪水もともに、衛生や水災害といった私が水関係で関わってきている問題と密接に関係しているものであるということに不思議なご縁を感じます。

笑い話から、ちょっとはっとさせられる話に繋げていく、この話術(と申し上げて良いのでしょうか)は見事です。


アフリカでは、(中略)河川盲目症とも呼ばれるオンコセルカ症に多くの患者が苦しんできました。その特効薬を開発し、平成二七年(二〇一五)にノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智教授の御研究も、水への安全なアクセスに寄与したという意味では、水問題への日本の重要な貢献といえるのではないでしょうか。

まさかここで、イベルメクチンの話につながるとは。


なお最後に、「第2回国連水と災害に関する特別会合」における英語の基調講演の記録が載っているのですが、この英語が平易な表現が使われており、とても読みやすいのが印象的でした。もちろん専門用語等、分からない単語はあるのですが、それでも日本語同様、するする読める文章なのです。お人柄がしのばれます。日本語・英語共に、このような魅力的で味わい深い文章を書けるようになりたいと思いました。


見出し画像は、奈良の元興寺のお庭で撮ったものです。




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