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評価できる部分もあり、できない部分もあり~『追憶の烏』(阿部智里)~

八咫烏シリーズの最新刊です。

↑kindle版


第2部のスタートにあたる前作『楽園の烏』では、いきなり第1部の終わりから約20年後の話になっており、いささか戸惑いました。今巻はまた時間を遡り、第1部の終わりから8年後の話が語られます。つまり第1部の終わりと『楽園の烏』をつなぐ話です。


時間軸を行ったり来たりして語ることの効果も、もちろんあると思います。例えば『楽園の烏』で私が気になった、金烏のことが一言も語られなかった理由が、今巻で判明しました。その理由を知らずに『楽園の烏』を読んだからこそ、あの居心地の悪い感じを味わえたのであり、知っていたら「だから語らないのか」だけで済んでしまったでしょう。


でもやはり、その効果を評価するよりは、「阿部智里が書きやすい、あるいは書きたいと思ったところから書いたんじゃない?」と、意地悪な見方をしたくなってしまいます。外伝の『烏百花 白百合の章』が挟まったこともあり、山内の世界のいろいろな時代のエピソードをちょこちょこ読まされた感じで、頭の中が整理しきれないところがあるので。外伝はともかく本編においては、なるべくだったら時間軸に沿って語るべきだと思います。


その一方で、第1巻の伏線がここで活きてきたのかと、阿部智里の構成力に唸らされました。まぁこれも、辻褄を合わせるのに時間がかかったから、第2部の始まりが遅れたのかもと、意地悪く考えられなくもありませんが。


なお今巻でも第1部の終わり同様、複数の主要キャラの無残な死が描かれます。正直、あそこまで無残な死にする必要はあったのかは疑問です。もちろん、死ぬのはすべて「名もなきキャラ」で、主要キャラは全員生き残るのも不自然ではあるのですが。

田中芳樹の「アルスラーン戦記」では、主要キャラの多くが死ぬのは仕方がないと納得がいきました。でもちょっと「八咫烏シリーズ」では、納得がいかないんですよね。それはやはり物語のスケールとか、筆力の差でしょうか。


ところで私は「八咫烏シリーズ」の、男尊女卑的世界観と、「女性は子どもを産むもの」という押しつけに抵抗があります。


それこそ『八咫烏外伝 烏百花 蛍の章』の感想で私が危惧していた通り、真赭の薄が結局は結婚・出産の道を選んだことが今巻で判明し、ちょっとがっかりしました。


そうしたら今巻の最後の方に、「山内は女に厳しいから」というセリフが出てきました。確信犯的に、そういう世界を描いているのかと、その点は納得がいきました。そんな山内に挑戦しようという女性が最後の最後に登場しますが、彼女がどんな活躍をしてくれるかと、楽しみです。


最後に触れたいのは、以下の一節。

猿との大戦で武人の誇りとやらを味わった北家は、役夫の代わりとさせられることに鬱憤を溜めていた。

これを読んだ時思い浮かんだのは、自衛隊です。戦後の復興期には、実際自衛隊(警察予備隊・保安隊)は各地で道路工事などをしていたそうですし、今の自衛隊も、道路工事こそほぼしていないかと思いますが、国の防衛より、災害派遣で活躍するイメージのほうが強いので。でもまぁ、鬱憤は溜めていないだろうと思っていました。


そうしたら、同時並行で読んでいた『社会のなかの軍隊/軍隊という社会』の第9章「自衛官になること/であること」に、「災害救助が一番にくるべき自衛隊の任務なのだろうかという疑問」をもつ自衛官が出てきました。「自分たちの『本来の姿』が何かカモフラージュされているようで居心地の悪さを感じている」、という。


もちろんそれが多数派の意見なわけではなく、別の自衛官は、「一生日陰者でいることが、一番の成果」と語っています。つまり「防衛出動を行わずにすんできたことを否定しているわけ」ではないのですが。

ともあれ、何となくヒヤッとさせられるものがありました。


見出し画像には、今巻の重要なシーンに登場するので、季節外れではありますが、紫陽花の写真を使いました。



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