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【本日の学び】その③~科学思想史のノートから~

今回は、学生時代の科学思想史のノートからの抜粋です。面白い箇所、覚えておきたい箇所がたくさんあったので、捨てずにそのまま取っておいても良いのですが、組み替えた方が分かりやすい部分もあるので、note記事にして、まとめ直すことにしました。

授業でとったノートなので、分かりにくい部分は適宜言葉を補うなどしましたが、それでも少々とりとめもない点は、ご容赦ください。なお、あくまでも当時の私がとったノートなので、先生がおっしゃったことを誤解して書いている部分もあるかもしれない点も、ご容赦ください。


BSとBEは一卵性双生児。片道4光年の距離を、光の速度の5分の4で飛ぶ宇宙船に乗るBS。BEは地球上にいる。10年経過してBSが地球に帰ってきた時、BEが10年年歳を取っているのに対し、BSは6年しか歳を取っていない。
――ウラシマ効果(アインシュタインの特殊相対性理論)
一方、運動は相対的であると考えるなら、BSが止まっていて、BEが動いていると考えることも出来、その場合はBEが歳を取らないことになる。
この2つは矛盾しており、これを双子のパラドックスという。だが実際、BEの側の時計は遅れないのだから、BEが動いていることはありえない。大加速度の中にいるのはBS(「移動する時計は遅れる」)。
この双子のパラドックスは、ファシズム側からの、「あのような世をまどわすようなことを言うユダヤ人は抹殺せねばならない」という道具に使われた。

最後の部分が印象的です。


コンピューターの中で電子は光の速度の半分で移動
――けっこう身近な話

多分、光の速度の話なんて、一見身近じゃないけど、そんなことはない、という意味でしょう。


ニュートン力学の他にアインシュタインの力学があり、その他に量子力学がある(科学は一つではない)。
――それでも宇宙の始まりのことを考えると、その3つのどれも使えない。3つの力学をもってしても、宇宙の始まりからほんのちょっと経ったところからしか説明できず、本当の宇宙の始まりは科学では説明できない。説明できるのは宗教だけ(信念をもってすればよく、論理的説明はいらない)

本当の宇宙の始まり0秒の時はエネルギーが無限大になってしまうので、計算不能。「宇宙の始めの一点はどうして生成されたか?」という問いの答えは、「我々が作ってきた物理法則は、できてしまった宇宙にもとづいて作られているので、物理法則は適用できない」。

なるほど。


「わかる」ためには見えないものを見えるようにする必要がある。そのためには、いらないものを捨て、残ったものを強化する。

「存在は必要もなく増してはならない」(by ウィリアム・オブ・オッカム)
――つじつまあわせのために、つけくわえてはいけない。
必要のないもの(オッカムのひげ)は切れ。
――オッカムのカミソリ。

うーむ、深いです。


20世紀を画する物理学の業績
①相対論
②膨張宇宙
③量子概念
④力の統一(四つの力の統一的解釈)
⑤実験不能(人文科学はもともと実験が出来ず、それが悩みの種だったが、自然科学もついに追いついた)

自分のメモとして書いておくと、「量子」はウィキペディアさんによれば、「物理学において用いられる、様々な物理現象における物理量の最小単位」のこと。「力の統一」はコトバンクさんによれば「自然界の、弱い力、電磁気力、強い力、重力の4つの力を1つの枠で捉えようという試み」のこと。……書いていても、今ひとつ分かりませんが。

量子 - Wikipedia
力の統一(ちからのとういつ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)


宇宙
・「宇」は広い空間、「宙」は長大な時間
・Kosmos(秩序)←→Khaos(混沌)
・自然科学においては、自然法則が成り立つ空間と時間


博物学や形状誌(昔の天文学)は事実を述べているだけ、分類をしているだけで、理論があるわけではないので、”論”がつかない。生物論(生命論)、進化論、宇宙論(重力論)、宇宙進化論などは理論であり、本当にそうであるかは分からないので、”論”がつく。
(注)「宇宙論(重力論)」となっているのは、ノートの別の部分に「一般相対性理論は重力理論であり、宇宙論として、宇宙進化論としてせまってくる」、と書かれているので、それとの兼ね合いのようです。

というと、私がブログでやっていることは、基本的にマンホール蓋や単管バリケードの分類なので、マンホール学や単管バリケード学であって、マンホール論や単管バリケード論ではない、ということでしょうか。


宇宙はこれからどうなるか。
(1)収縮に転ずるか?
(2)無限に膨張を続けるか?
――まだ答えは決まっていない。
(1)(2)いずれの場合も、2つの疑問がある。
①ビッグバンより前、ビッグクランチ(収縮に転ずる点。宇宙の終わり)よりあとには時間があるか。(答え なし)
②宇宙に内外はあるか(「外」とは、宇宙の果ての外)。(答え なし)
また(2)の場合、自然のシンメトリーとして、ビッグバンの前の存在(時間ではなく)が考えられてしまう。
→結局宇宙の問題は、物理学では収縮か膨張かの議論に集約されてしまい、時間や内外の問題は払われる。
→どうやら宇宙はいずれ収縮に向かうようではあるが、宇宙の質量密度が測定できないので、いつ収縮に向かうかは特定できない。

正直自分で書いていてもよく分からないのですが、ここに書いておかないと、他に書いておく場所がないもので。


科学者の発想、原イメージは人間的で面白く、我々文系の人間と何ら変わらない。原イメージは共有でき、わかる。現代科学の反省すべき点は、科学者が鎧をまとい、一番元となる原イメージの、一般の人々との共有を怠ったところ。


我々が平然とここに座っていることも、量子と関係あり。
→安定していない世界なら、平然としてはいられないし、高度な生命体も発達しない。強いエネルギー(光)があたれば、電子の軌道が変わることはありえるが、そのようなことは滅多にない。
――私たちの世界は意外に安定。もちろん大きなエネルギーがぶつかってくれば、大きく変化することもありえる。だがそれは滅多にない。
――これが現在の我々の自然観(社会にも当てはまる)

「社会にも当てはまる」かは疑問にも思えますが、原発事故や感染症の流行、ウクライナ戦争を受け、その都度大きな揺らぎを生じつつも、いつしか「通常運転」に戻ろうとすることを考えると、当たっているのでしょうか。


不確定性原理
・この世界(宇宙)は(1)「かなり安定」だが、(2)「変化しうる」。
――感覚としてそうだが、根拠もある。安定の理由は、原子の構造が安定しているから。
・1927年、ハイゼンベルク
・「同時には」、「限りなく正確に」「定めることができない」量の対(つい、ペア)がある。
(例)位置と運動量(質量×速度)、エネルギーと時間(そのエネルギーの値を保持している時間)
……なぜそうなるのか。
位置と運動量は、巨大なエネルギーを当てたら電子が吹っ飛んでしまうので、位置が分かったとしても速度が変わってしまい、運動量が分からなくなってしまう。
エネルギーと時間は、非常に精密にエネルギーを測ろうとすれば無限に時間がかかってしまう。非常に短い時間に測ろうとすれば、莫大なエネルギーになりうる。
→かなり安定しているものだが、それでも変わりうる。


量子の世界:小粒子は、位置が定まらない、運動量が定まらないもの。確率的予測しかできない。


確率的予測しかできないことから、不確定性原理は現代科学思想に不可知論としての影響を与えたように言われているが、それは間違いで、その確率の値はぴったり出されるのであって、”世界は安定だが変化”という意味での影響を与えた。


20世紀のbig events――我々の考えに大きな影響
①時間・空間の概念の変革  1905、1915
×絶対時間→〇相対時間  *絶対:ユニーク、唯一
×絶対空間→〇歪んでいる空間がある
②極微の世界(電子の世界)  1926
不確定性原理
――電子の位置を正確に計測しようとすると、電子の運動量(質量×速度)は不確定になる。
→×決定論
③カオス  1970年代
複雑事象の底にある単純な動き。
*上の3つに加えるなら、遺伝子(DNA&RNA)と膨張宇宙。


カオス(Chaos)
・コスモス(秩序)に対して、無秩序。
・定義:わずかな初期条件の違いで、結果に大きな差が出る現象。
・変化の論理(筋道)は単純で決定的なものだが、自由意志――生活感覚――への考えのインパクト。
……ちょっとした選択の違いが、何年か経つと非常に大きな違いを人生にもたらす。

これ、考えさせられました。確かに「ちょっとした選択の違いが、何年か経つと非常に大きな違いを人生にもたら」したなぁと思うので。「あの時ああしていれば」という転換点が、いくつかあります。


現在の学校教育における理科の授業は、教科書に書かれた原理原則に必要以上にとらわれている気がする。もちろん原理原則は重要だ。それを学ばねば、何も理解できない。もっと授業で、最先端の科学技術についての導入になる話、生徒が身近に感じられる話をしても良いのではないか。そのためには新聞記事や映像資料を多く用いることが必要となってくるだろう。

これは学年末の科学思想史のテスト対策のために、私がまとめた文章の一部です。試験問題は公開されており、上記の「20世紀のbig events」3つについてまとめる問題が30点、そして「科学(高校の理科、つまり物理、化学、生物、地学)が好きか、嫌いか。なぜそうなのか」について書く問題が70点で、後者の問題についての解答の一部です。

これ、理科についてだけではなく、もちろん社会科にも当てはまりますね。例えばウクライナ戦争を切り口にして授業をすると、生徒は間違いなく食いつきます。ただ、高校生ならそれで良いのですが、中学生段階だと、やはりまずは「原理原則」を知っておいてほしい気持ちが先立ちますね。古代ローマだのモンゴル民族の歴史だの、一見関係ないことが現在のウクライナの問題に、究極的には関わってくるので。

新聞記事や映像資料は、もちろん可能な限りは使っていますが、程度を間違えると散漫になるし、難しいところです。



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margrete@高校世界史教員
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