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深まっていく、仏友2人の思考~『見仏記4 親孝行篇』(いとうせいこう、みうらじゅん)~

仏友2人の旅の記録も第4弾、今巻には副題通り、それぞれの両親を連れての旅の記録も含まれます。


↑kindle版


役行者をエンノ、あるいはエンノ先生呼ばわりしたり、仏像がいる裏の壁を触って楽しんだり(みうらじゅん)、相変わらず好き勝手に仏像を楽しむ2人ですが、次第にその思考は深いところに到達します。


みうらじゅんが石山寺の大日如来に語りかけた以下の言葉が、まず心にしみました。

小学生の時以来、あなたはちっともお変わりのない姿で座っておられた。人間はどうですか? 地球は、宇宙はどうですか?


また、いとうせいこうの若狭に関する考察には、はっとさせられました。

かつて神宮寺(注:若狭神宮寺。東大寺のお水取りに使う水は、ここからきているとされる)にはインド僧実忠がおり、のちに東大寺へと移って二月堂を創建したという。あちこちの資料にも書かれている通り、若狭は大陸と奈良の間を結ぶ重要な地点だったのらしい。そうでなければ、東大寺に水を送る重要な役目を果たしていたはずがない。


みうらじゅんもまた、小浜の仏像めぐりを経て、こんな感想をもらしています。

「ここに来ると、海のすぐ向こうに百済があるのがよくわかるよ」

前巻で、朝鮮半島の仏像も見てきたからこその実感でしょう。

大陸から日本へのルートとして、もちろん九州経由のものが重要な役割を果たしてきたわけですが、日本海経由のものも無視することは出来ません。今の中国東北部から朝鮮半島北部、沿海州にかけてあった渤海国の使節が871年に加賀の国経由で京を訪れているのが、代表です。もう少し日本海ルートの重要性を見直すべきなのかなと、思わされました。


そして最後に2人は、驚くような結論に達します。バス便の廃止で、こんなに良い仏たちを見るのが難しくなっているのは悔しい。じゃあ、観光を盛り上げようじゃないか、と。

なぜ仏像を見てほしいのかは、以下のいとうせいこうの言葉に集約されています。

物質としての仏像を見ることによって、我々見仏人は仏教の根本にある無常の感覚を確かに知るのだ。そして、その感覚が科学的絶対によって裏付けられている以上、愉快なことを言い合って笑うしかないと諦めるのだ。


見仏から参仏へと乗り出した2人の旅が、どこに達していくのか、次巻も楽しみです。


見出し画像は、今巻でみうらじゅんが夢中になって写真を撮っていた「飛び出し坊や」。私も飛び出し坊やの他、マンホールの蓋やら何やらの写真を各地で撮っています。だからこそ、いとうせいこうが書くみうらじゅんの描写が、自分のことを書かれているようで、どうも恥ずかしかったです。


↑文庫版


ちなみに私のブログは、以下のリンクからどうぞ。


この巻の前後の巻の感想は、以下のとおりです。



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