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21世紀になっても変わらない、ではどうしようもない~『創竜伝5<蜃気楼都市>』(田中芳樹)~

今回の『創竜伝』は番外編です。本編の時間軸を無視して四兄弟が、日本海沿いの架空の都市「海東市」に、亡き祖父の友人を助けに行く話です。

↑kindle版


四兄弟は海東市にまつわるどす黒い話に巻き込まれていくわけですが、例のごとく過剰防衛ともいえる大活躍で、悪を粉砕していきます。何せ年長組も末っ子の余から、「どうせやることは終兄さんと同じなんだよ」(この余の台詞には笑いました)と称され、一番常識人であるはずの長男の始も終から「さすがに続兄貴の兄だぜ」と感心される状態ですから。


↑新書版(私が読んだのは、このバージョンです)


もう1ケ所、何度読んでも笑ってしまうのが、終が「衛星放送のパラボラアンテナを見てとっさに思いついたいいかげんな偽名」の原洞幌平。名乗られた適役の用心棒は「原幌平洞」と聞き間違え、更に酔っぱらっている終は自分で「洞平幌原」と言い間違えます。加えて後日終に再会した用心棒は、「幌洞原平」と、更に間違って呼びかけるという……。


読んでいてうんざりしたのは、21世紀の今も、作品中で書かれていることと酷似したことが起きていること。

大勢でただひとりを虐めることのあさましさに、彼らは気づかないのか。もし自分がそういう目にあわされたらどれほど辛いか、そう考えてみるだけの想像力がないのだろうか。
法律や規則を破って、規則を守ろうとする役人を自殺させただろう。
利権の汚泥にまみれた悪徳業者は、いくらでもいる。そして、そういう政治家を支持し、汚れた金銭のおこぼれにあずかることを喜び、自分自身の人格と権利を嘲笑する有権者も、数おおくいる。

小説内の話は誇張したものであるはずなのに、似たり寄ったりのことが起きているんですからね。日本は進歩どころか退化していないかと、心配になります。


そして鋭い指摘だなと思ったのは、以下の一節。

もともと日本は個人の責任というものが厳格に追及されることのない社会であるようだ。(中略)責任の所在は不明になり、まともな反省もおこなわれず、事態もさして変わらず、誰も罰せられずに終わってしまう。

各地で、様々な理由でワクチンを廃棄せざるをえないケースが相次いでいます。人為的なミスだったり、機械の故障だったりするわけですが、いずれにせよ原因はちゃんとあるわけです。そういったニュースが流れるたびに、無駄になったワクチン代を、責任者に払ってほしいものだと思います。せめて再発防止策はとられるべきで、実際、工夫をしているケースもあるようですが、別の自治体で同じようなミスが起きるわけですからね。


21世紀になっても変わらない、ではどうしようもないわけで、「『創竜伝』が書かれた20世紀後半の日本って、ひどかったんだね」と言えるようであってほしいです。


↑kindle版


見出し画像には、舞台が日本海沿いの町なので、日本海の写真を使わせていただきました。



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