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【読書】内容的に古くないので、復刊すべき~『差別と日本人』(野中広務、辛淑玉)~

共に壮絶な差別を経験してきた、野中さんと辛さんの対談集です。

↑2,183円という値段になっていますが、本来の値段は税別724円です。古本は1円からあります。


内容があまりに壮絶で、安易なレビューは出来ませんが、心に残った箇所をまとめておきます。


差別とは、富を独り占めしたい者が他者を排除するために使う手段である。そして、この差別は、する側になんとも言えない優越感を与える享楽でもある。

辛さんの「まえがき」からの引用ですが、差別の本質が凝縮されている気がします。


日本人は、革命や戦争に明け暮れた戦後の東アジア情勢から距離をおき、火の粉を浴びないよう、また、火中の栗を拾うことなど決してしないよう、ただひたすら経済の成長と生活の安定に専念するという新たな国家像を手にした。戦前の荒々しいナショナリズムとは異なるが、それもまた、一種のれっきとしたナショナリズムだと私は思う。

これも辛さんの言葉。納得がいきました。


どんな非道な行いであっても、それが共同体のためという大義名分の下に、外部の「忌まわしい者」とみなされた人々に対して行われたときは、内部の人々は、その是非を自動的に不問にし、献身的に身内を守り通すのである。それが日本の村落共同体の本質なのだろう。

これも辛さんの言葉。手厳しいですが、本質をついていると思います。


愕然としたのは、旧日本軍内における部落差別。互いに助け合わねば生き抜けない戦場で、部落差別なんてしている場合ではないはずなのに、実際に行われていたわけです。


日本で初めて教科書の無償化を実施したのは、野中氏が町長(注:京都の園部町)の時だ。その後を追うように、貧困と差別との闘いの中、教科書無償化が解放運動と共に全国化して行った。

これは知りませんでした。


「朝鮮人の密集地」と、「被差別部落」の指定を拒んだ地域、そうした、改善が遅れた地域が壊滅的な状態になっているということでした。(中略)震災の時の在日の死亡率は日本人の一・三五倍以上。つまり、戦後の復興の際の差別によってあそこに取り残された人、それから被差別部落の指定を拒んだところの人たちから、たくさんの死者が出たんです。

阪神淡路大震災の時、なぜ神戸の永田が壊滅的な被害を受けたかの、辛さんの説明です。


9・11以降愛国主義が吹き荒れるアメリカでさえ、教育現場で国歌を演奏するときは、最初に「歌いたくない人は歌わなくていいのです」と前置きされたのである。

私自身は「君が代」は歌いますが、アメリカのやりかたの方が正しいと思います。


自分が小渕政権で官房長官やってるときに、国旗国歌法案を触発的にやったんですよ。やったけれどもね、そのあと自分振り返ってみたら、その勢いのまま、住民基本台帳とか、周辺事態法とか、もう怖い怖いのがどんどんどんどん出来たのを、自分で非常に反省してます

これは野中さんの発言を辛さんが引用したもの。触発的に、つまり世羅高校の校長の自殺をきっかけに、言うなればぱっとやるようなことではなかったはずなのに。反省しても、もう取り返しはつきません。


野中 コントロールってほどの力なんて、外務省にも防衛省にも何にもないよ。アメリカの言いなりだもん。

辛 言いなりにならない政府をつくるっていうのはなかなか難しい?

野中 いや、政治家ができなあかん。政治家が「俺が責任持ってやるから、おまえたち、言いなりになるな」と言わなきゃできない。

このやり取りも、印象的でした。


沖縄の人からしてみれば、要するに復帰してから敵が二つになったってよく言うじゃないですか。最初、米国と直接話をしてるときは話は進んだけども、間に日本政府が入ってきたことによって、より強固な壁ができたと。

これは辛さんの言葉。沖縄は復帰して良かったのか良くなかったのか、考えさせられます。


二〇〇七年五月十七日夜から十八日未明にかけ、海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」が辺野古沖に姿を現した。海底への調査機器設置作業を「支援」するという名目で、政府が艦砲を装備した自衛艦を沖縄へ派遣したのだ。

これ、知りませんでした。辛さんによれば、「日本の中央メディア」は「ちっちゃくしか報道しなかった」そうですが。


お茶飲まない、食べない、それから泊まらない。全部日本から持っていったものを食べていたようだ。一切向こうから出されたものは食べないということで徹底しておった。向こうは共産主義国家とはいえ、もともとは儒教の国ですよ。そういう国に行って、おまえが出したものは一切食べんぞと、こんな失礼な言い方があるかと。そこからこの訪朝は間違っている。

小泉さんが訪朝に際し、そんな失礼なことをやっていたことも知りませんでした。この後北朝鮮との関係がこじれていく一因となったのではないでしょうか。


戦後未処理問題については、政治家だけじゃなしに、経済界や言論界、いろいろな人を入れて、戦後未処理問題の促進委員会をつくろうじゃないかと。こういう問題は、みんなが関わったほうがいい。第二次世界大戦の日本が残した戦後処理を検証し、そしてそれをどう整理していくかという問題をやっておこうと。そして次の世代につないでいこうと。

これは辛さんの、「今後おやりになりたいことは何でしょう?」という質問を受けての野中さんの答えです。やりきらないうちに、野中さんが2018年に亡くなってしまったことが残念です。


人権は好きだけど当事者が嫌いな人はいっぱいいる。当事者と一緒に生きるっていうのはものすごい大変なことで。

これは辛さんの言葉ですが、すごく重いです。差別される側に寄り添いたいし、寄り添っているつもりなのに、最後の最後で寄り添いきれないことは、私自身も含め多くの人にあるのではないかと思いました。


弱者や虐げられた人に対する政治家の「鈍さ」は、差別と根っこでつながっていると思うのだ。

これは野中さんの「あとがき」での言葉。あえて名前も書きたくないイニシャルAのあの政治家については、本書でも書かれているのですが、心底差別意識が染みついているから、あのような言動が取れるのだと、よく分かりました。


全体的に初めて知ることも多く、非常に勉強になりました。眼をそむけたくなるような差別の実態が描かれているものの、対談という形式だから向き合えた気もしますし、差別されている当事者たちの生の言葉だからこそ重かったです。


不思議なのは、本書がすでに絶版なこと。電子書籍化もされていません。絶版になっていること自体が、差別の実態を隠そうとする試みではないかとすら、疑ってしまいます。

本書は2009年初版ですが、内容的にまったく古くありません。いや、本当は古くなっていなければいけないのに、古くなっていないことが悲しいです。

ともあれ現在でも読むべき内容だと思うので、せめて電子書籍として復刊すべきだと思います。




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