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《世界》を決めつけた男【掌編】

「世界は、すなわち私の心だ!」

それがAが下した結論だった。

――――


「世界はいつだって、私のことを《愛している》!」
Aはとても満足そうにそう言った。

「世界が君を?」
友人Bが不思議そうに、彼に聞いた。
「どうしてそんなことがわかるんだい?」

「私がそう決めたからだよ」

「そう決めた?」

「世界の形を決めているのは、物理法則じゃないんだ。それらはただ、世界を成り立たせている要素にすぎないんだ。いいかい、この世界を形作っているのはね、まさに私の心なんだよ」
Aは天を指差し、叫んだ。
世界はすなわち、私の心なんだ!

ゴゴゴゴ・・・

その時、世界が動き出した。
「おお、やはり私の思ったとおりだ!」
空が、大地が、Aの心に合わせてその形を変えていく。
Aは両手を広げて世界を抱きしめた。
世界もまた彼をその懐に暖かくしまい込んだ。
風のささやきも、ゆらゆら揺れる木漏れ日も、鈴虫の鳴く声も、すべてが彼に賛歌を送っていた。

「なんて、美しい世界なんだ!ブラボー!!」
Aは感激の涙を流した。

「おい、A!大丈夫か?しっかりしろよ」
Bは心配そうに声をかけた。
「幻覚でも見えているのか?」

「Bよ、まだわかっていないんだね。この世界は自分の心が『決めつけたこと』に合わせた姿になってあらわれるんだよ!私は、『この世界が私のためにこの日差しを、大地を、草木を、動物を、愛すべき人々を与えてくれた』と決めつけたのだ! そして、世界は、『そうなった』!!」

ゴゴゴゴゴゴ・・・

またAの世界が動き出した。

「おお! わたしはこの世界の創造主にでもなったようだ!」
彼は歓喜のあまり、突然走り出した。
風が彼の体に狂ったように頬ずりをし、草木が彼にハイタッチをする。
「ははは、そうか、そうか、よしよし」
Aはひたすら風や草木を撫で回し、喜びにまかせて大地を踏みしめ軽やかに跳ね回った。

「おい、A!どこに行くんだ!その先には川があって危ないから、、、あっ!!!」

Aは足をすべらせて、川に落ちた。
とてつもなく、おおきな水しぶきが上がった。

「ぶばばあ!」

Aは一瞬のうちに水を大量に飲んだ。彼は足をばたつかせたが、足場は一向に見つからず、水中をぐるぐるとあてもなく回転した。上も下もわからない。ただ冷たい暗闇とかした水が重苦しい衣となって、Aにまとわりついた。

「ぐぼぼぼ、、、」

川の流れがいつもよりあきらかに激しくなっていた。
昨夜の大雨でで増水していたのだ。

「Aが川に落ちたぞ!おい、誰か来てくれ!頼むから、早く!!」
Bが悲痛な声をあげて、Aを追いかけていく。
「Aが死んでしまうよ!!誰か!!」

―――

ああ、

水が怒っている。

溶けゆく世界に飲み込まれながら、私はそう思った。

―――

Aは目を開けた。
彼はびしょ濡れになって、地面に寝転んでいた。

目がしょぼついて、周りの様子がすぐには確認できなかった。
また声をあげようしても、口から水があふれるように出てきてしゃべることもできなかった。

「ふう、このバカ野朗が」
誰かのその一言で、周囲にどっと笑いが起きた。
「本当に、とんだお騒がせ野郎だよ」

「・・・ああ、よかった」
耳元でBのか細い声が聞こえた。

段々と意識がはっきりしてきた。
Aは自分が川に落ちて死にかけていたということを、ようやく理解した。
周りを見ると、5〜6人の男たちがAと同じようにびしょ濡れになって立っていた。
みんな安心したように笑っていた。

「ああ、みんな、ありがとう。とんだ騒ぎを起こしてしまったね。悪かったよ」
Aは上半身を起こし、みなに感謝した。
「いやあ、さっきまで『創造主』にでもなった気分だったのに、、、とんでもない、、、あやうく屍になってしまうところだったよ」

Aがそんなことをまじめくさった顔でいうものだから、みなが腹を抱えて笑った。
Aもつられて笑ってしまった。

その時だった。

ゴゴゴゴゴ

Aの世界がまた動き始めた。

「ああ!」
Aが突然大声をあげた。
「そういうことだったのか!」

BはとっさにAの肩をつかんで、彼がまたどこかに飛んでいかないようにした。
「落ち着け、世界は変わらないから!」

「ああ・・・」
Aは地面にまた寝転んだ。
「大丈夫だよ、B。《私はこの世界自体》なのだから」

「だめだ、Aのやつ、まだ言ってるよ」
Bは困ったような顔をした。

「いや、さっきとはちょっと違うよ。この世界はね、《私の決めつけたとおりにある》と同時に、また別のあり方で、つまり《私の決めつけの外側》で、あいも変わらずありつづけていたんだ。川に落ちた時、私は激しい川の渦が怒り狂って暴力を振るっているように感じたんだ。でもね、それは私がそう感じただけであって、川自体は何も変わっていなかったんだ。私がその中にいようが、いまいが、川の水は流れ続けるんだ」
Aは大の字に寝そべって、気持ちよさそうに空を見上げた。

「私がどう決めつけようが、私はこの世界の一部でしかないんだ。移り変わっていく、その流れの一粒なんだ」

Aを取り囲むように立っていた男たちは、お互いの顔を見合わせてから空をみた。

昨夜の大雨が嘘のように、今日の天気は快晴だった。
太陽から溢れ落ちてくる暖かな日差しが、濡れた彼らの体を少しずつ温めていく。

「今日は、良い日になりそうだ」
Aは小さく呟いた。

「ああ、誰かさんのせいで最悪の日になりかけたけどな」
誰かがそういって、Aを足先で軽く小突いた。

「生きててよかった」

木々の間から、小鳥が飛び立ち青空に弧を描いていく。
遠くに止まって見える雲は、それでもゆっくりと形を変えていた。

「世界の一部であるAさんよ」
Bがゆっくりと立ち上がって、Aに手を差し伸べた。
「そろそろ、僕らの世界に戻っておいで」

Aはにっこりと笑って、Bの手を掴んだ。

「私に一番優しいのは《この世界》じゃなくて、君だったんだね」

ゴゴゴゴゴ・・・
すぐそこで、激しい川の音が聞こえた。



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