≪バカA≫と≪バカB≫のケンカ【掌編】
現代は情報社会だ。
動物的で単純な「腕っぷしの強さ」はスポーツや肉体労働の領域においてはいくぶんまだ重宝されるかもしれないが、基本的に現代では「頭のよさ」が社会的に求めらているといえる。
「頭のよさ」とは一体何なのか、その定義は曖昧であるが少なくとも学校においては「テスト」の点数がその指標となっている。
また、テストとは別に、会話における切り替えしの速度や内容からも「頭のよさ」が測られる。この類の「頭のよさ」はテストというよりも、学校での日常的なやり取りの中で見出され、特に生徒間において暗黙的に認知されている。
学校では知的・体力的な優劣、外見的な美醜という基準によって不思議とヒエラルキーが形成されがちだ。
高校2年生の≪バカA≫は、テストの点数も芳しくなく、ゆっくり物事を考えざるを得ないところがあり、周囲の生徒たちの口早な会話についていけないような男であった。
また、彼は外見も目立って華やかでもなかったし、運動も苦手ときている。そこで彼は≪バカA≫として、いつも肩身を狭くしながら学校生活を送っていた。
≪バカA≫は、見えないが歴然と存在している学生間の上下関係・優劣関係に従って、上の階層に位置するキラキラした連中の前では特に猫背になり、また彼らと話す時はどれくらい自分が≪バカ≫なのかを何度も強調することで彼らの優位性がより輝くようにした。
≪バカA≫は、≪バカ≫としての自分の役割を全力で全うしていたのである。
(それにもかかわらず・・・)
≪バカA≫は苦虫をかみつぶしたような顔した。
彼の視線の先にはある男がいた。彼は≪バカA≫のクラスメートで、かつ≪バカA≫と同程度に成績が悪く、またウスノロでドジで、外見もまるっきりさえない男であった。彼は≪バカB≫であった。
≪バカA≫は、≪バカB≫が心から嫌いだった。
「類は友を呼ぶ」なんていうことわざもあるくらいだから、≪バカ≫は≪バカ≫同士で仲良くできるし、むしろお互い団結して学校生活を乗り越えるべきだともいえる。
しかし、≪バカA≫は≪バカB≫が心から嫌いだった。
なぜなら、彼は≪バカA≫のように≪バカ≫としての役割をまったく意に介さずに生きているからだった。
≪バカB≫は、猫背になることもなかったし、自虐ネタも言わなかった。弁当箱を忘れてくるたびに、彼は周囲の知人からおかずを分けてもらっていたし(≪バカA≫はご飯つぶ一つすらもらったことがない)、下手くそのくせに体育のバスケを楽しそうに笑いながらやっている。
何よりも、≪バカ≫として卑屈になって対すべき上層部の学生たちと普通に話し談笑しているのだ。
そのくせ、≪バカB≫は自分が言っていることと、あの聡明な頭をもった美男美女たちが言っていることが全く噛み合っていないのにも関わらず、それに気づかずに笑っているときている。
時に、聡明な連中たちが、≪バカB≫を遠回しに≪バカ≫にすることもあるのだが(あの連中はそういったことが得意なのだ)、≪バカB≫はそれにも気づかずに楽しそうに話している。
なんて、救いようのない≪バカ≫なのだ。
にも関わらず、それが面白がられてなのか、≪バカB≫はヒエラルキー上層部の連中にかわいがられているように見える。
「≪バカB≫のくせに、なんて生意気なのか!」
それが≪バカA≫が≪バカB≫を嫌っている理由であった。
そして、ついに「その時」が来てしまった。
ついに、≪バカA≫の≪バカB≫に対する堪忍袋の緒が切れてしまう出来事が起きてしまったのだ。
*
それはいつもの昼休みのこと。
≪バカA≫はいつものように猫背で前髪をさらに前に垂らし、足を引きずるようにゆっくり廊下を歩いていた。
彼はこの日も≪バカ≫である自分を全力で全うしていたのだ。
廊下を歩いていると、すれ違う男子女子たちのくすくす笑う声が聞こえる。
いわば「嘲笑」というものだが、≪バカA≫はそれらを自分にぴったりなBGMだと肯定的に受け入れていた。
(≪バカ≫とは、かくもこのような扱いを受けなくてはならないのだ。)
≪バカA≫は昼休みが終わる10分前に教室に戻ることにした。
廊下を歩くだけで、特にやることはなかったからだ。
教室に戻ると、そこには≪バカB≫がいた。
しかし、彼はなんと≪バカA≫が密かに恋心を寄せる女子と二人で楽しそうに話していたのだった。
≪バカB≫とその女子は机をくっつけ合い、お互いのノート見せ合いながら密接な距離感で語り合っていたのだ。
そう、合って、合って、合っていたのだ!!
どうやら、愛しのその女子が≪バカB≫に勉強を教えてあげているようだった(断じてその逆はありえない、断じて)。
≪バカA≫は、我を忘れるほど急激に頭に血が上った。
≪バカ≫としての自分の役割を忘れるほどに、彼は怒りを覚えてしまった。
≪バカA≫は「誰にも歯向かわずに、口角を下げながら卑しく笑い続ける」という鉄の掟を破り、≪バカB≫の腕をつかんで彼を教室から引っ張り出した。
「おいおい、何だよ急に!!」
≪バカB≫は、持ち前のバカな面をさらにバカらしくしながらバタバタとわめいた。
しかし、≪バカA≫は彼を決して逃さなかった。
「お前に話がある!」
*
≪バカA≫は、≪バカB≫を体育館裏まで連れていった。
≪バカB≫はまだ自分が置かれている状況を理解できていないようだった。
「おいおい、だから何なんだよ、急に!!おいおい!何だよ、急に、だから!!」
≪バカA≫はふふっとあざ笑うように鼻を鳴らした。≪バカB≫が先ほどからバカの一つ覚えのように同じセリフしか言わなかったからだ。
「おい、お前、≪バカB≫のくせに調子乗るなよ。
≪バカ≫は≪バカ≫らしく卑屈で卑劣な存在でいろよ。学校生活を一般人のように生活するなよ。俺だってしかたなく≪バカA≫をやってんじゃないか。なんでお前は、猫背で歩かないんだ、なぜ普通に女子と話しているんだ!」
≪バカB≫はきょとんとした顔をした。どうやら≪バカA≫が言っていることをまだうまく処理しきれていないようだった。
≪バカA≫は仕方なく、また同じようなことを言ってやった。
二、三度同じような説明を受けて≪バカB≫はやっと理解できたようで、ハハハと笑った。
「何言ってんだよ、いやんなっちゃうな。
僕はバカじゃないよ。というか、僕はどちらかというと頭がいい方なんだぜ。授業の内容を一度聴いたくらいでは理解できないけどさ、ちゃんとその後で友達に説明してもらったら、理解できたりするんだ。」
「お前、だから≪バカ≫だって言ってんだよ。普通はみんな一度聴いたら理解するし、できないとしてもその後一人で復習とかして理解できるんだよ。さっきだって、どうせわからないくせに目ざとく女子から教えてもらってたんだろ。そんな権利がお前にあるとでも思ってるのか?この人でなし!」
「君、何か誤解しているようだよ。
別に僕がバカだから女子から勉強を教えてもらってたわけじゃないんだよ。僕は彼女の説明を理解できるほどに頭がいいし、彼女は僕にわかるように説明できるほどに頭がいいだけなんだから。わかる?びょうどーな関係ってやつだよ。
まあ、えーと、なんだっけ?
ま、とりあえず僕はバカじゃないんだよ。」
≪バカB≫は当然そうだろと言いたげな顔をして《バカA》をまっすぐ見つめた。
だかその表情が、≪バカA≫の怒りに油を注いだ。
「≪バカ≫なお前は≪バカ≫である自分を自覚すべきなんだよ。無自覚にもほどがある。だから、≪バカ≫としての役割すらも全うできないくらいに≪バカ≫なんだ。この恥さらしが。
ちょっとは自分を省みてみろよ。なぜもっと謙虚になれないんだ!≪バカ≫のくせに。自分の足りなさをもっと恥じろ!
その≪バカ≫さかげんに気付いて、一生顔を下に向けながら猫背で歩き続けろ!!前髪をもっと伸ばせ!!目を覆って隠すくらいにな!!」
≪バカB≫は、≪バカA≫の猛烈な剣幕に圧倒されながら、黙って聞いていた。
「・・・・・」
「この野郎、返す言葉もないか。いいか、≪バカ≫はそうやって≪バカ≫らしく黙って息を殺して生きればいいんだよ。身の程知らずが。」
≪バカB≫は、少しうつむきながら右頬をポリポリ掻いた。
「バカはバカらしく生きなきゃいけないか。・・・なるほど。」
≪バカA≫は小さく息をついた。
どうやら、≪バカB≫も少しは理解しようとしているようだ。
「いいか、俺だって我慢して≪バカA≫でいるんだ。お前だって≪バカB≫としての自分の役割を忘れるな。」
≪バカB≫はしばらく何か考えていたが、突然何かに気付いたようにまっすぐ≪バカA≫の目を見た。
「なんとなくだけど、僕がバカだってことはさ、僕だって気付いているんだ。テストだって平均点を越えたことないし、みんなが普通に出来ることが、僕にはとても難しく感じることがあるんだ。だから、僕の生活は失敗だらけで、みんなには迷惑ばかりかけてしまうから、たまに自分のトロさかげんに自分で自分が嫌になることだったあるんだ。」
≪バカA≫は彼の言葉に満足げにほくそ笑んだ。
なんだ、こいつ、ちゃんとわかってるじゃないか。
「ただね、
バカは≪バカらしく≫生きなくてはいけないってのはわかったけどさ、なんだろうね、
バカであることと、≪バカらしく≫生きることを引き受けるのは別の問題のような気がするんだ。
≪バカらしく≫生きることが、僕にとって一体なんの得があるっていうんだい?
そんなことよりも、みんなに迷惑かけているからこそさ、その分みんなと楽しく過ごせるように笑っていたいな、僕は。」
キーンコン・カンコーン
昼休みが終わる鐘が鳴った。
「じゃあね!」
≪バカB≫は頭を掻きながら教室に戻っていった。さっきまでの出来事をすべて忘れてしまったかのように、その足取りは軽く見えた。
≪バカA≫はその後ろ姿を黙って見つめることしかできなかった。
そしてゆっくりと首を振りながら大きなため息をついた。
「はあ、アイツは何もわかっていない・・・なんて≪バカ≫なんだ。」
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