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【Book】『入管問題とは何か 終わらない<密室の人権侵害>』(明石書店)

 信じたくないことだけれど、この世界には紛争や迫害で住む家を失くした人たちが1億人もいる。そのうち半数は国外へ逃れ、難民となり、無国籍者となる。 150万人の子どもが難民の子として生まれた、という数字もある。その数は年々、増加する一方だ。世界の1億人。(一億粒の米粒をかぞえてみよう。そのひとつひとつに宿るいのちを)

 そのうちのほんの一握りの人たちが、命からがら日本へたどりついて難民申請をする。日本は難民条約を批准しているが、難民の認定率はわずか0.4%でしかない。カナダは55.7%、ついでイギリス46.2%、アメリカ29.6%、ドイツ25.9%に比べて、ほとんど存在しないような数字だ(2019年度のデータ)。難民認定に漏れたかれらを待ち構えているのは、在留資格の失効による退去強制令であり、自国への強制送還だ。ところが国へ帰ればいのちの危険がある者や、すでに日本に家族がいる者たちは、帰れと言われてもそう簡単には帰れない。もともとやむを得ない事情があるから、すべてを捨てて言葉すらろくに通じない日本へ逃れてきたのだ。

ゴムボートで地中海を渡ったシリア難民の子ども

 「退去強制事由」により、入管の判断と手続きのみでかれらは収容施設へ収容される。いわば裁判所の手続きもなしで、警察だけの判断で逮捕・拘禁できるようなものだ。この点について国は「不服があれば収容後に、行政訴訟を起こす制度が設けられている」と答弁しているが、実際は「弁護士依頼権が制度上保障されていないうえに、相当長い時間が掛かり、10年以上認められたことがない」空手形だ。収容期限の設定はないので(30日毎の延長が可能)、何年も収容されている人もいる。病気などの事情がある場合、一定の保証金を入管へ納付して「仮放免」が認められるが、これもあくまで「仮」の資格であり、入管の胸三寸でいつでも剥奪される。じっさいに収容施設内でハンガーストライキを行っていたイラン人男性が、仮放免後わずか二週間で再収容された例もある。

 家族のなかで夫だけが収容された場合、残された妻や子どもたちは忽ち生活の糧を奪われる。また「仮放免」で出てこられたとしても、仮放免者の就業は禁止されており、県外への移動も事前に申請をしなければならない。本来収容は退去強制令による送還までの間の暫定的な措置に過ぎないのだが、実情はこれが入管の自由な匙加減に於いて「拷問・制裁を含む懲罰」として実施されている。悪名高い戦前の治安維持法による予防拘禁ですら、その請求と原則二年間の期限延長には裁判所の許可が必要とされていた。入管制度の運用の実情は、戦前の治安維持法より酷い人権侵害といえるだろう。

 そして収容施設内に於ける目を覆いたくなるような人権剥奪の数々は、いまさら言うまでもないだろう。2007年以降、名古屋の入管施設で亡くなったウィシュマさんを含め17人が亡くなり、うち5人が自ら命を断っている。入管は出入国管理という名のもとに、どこにも行き場がないマイノリティの人々を生殺しの状態に追いつめ、放置し、蹂躙し、家族を分断し、ひたすらこの国から追い出そうとする。入管問題に携わるある弁護士は、日本は「難民がさらに難民になる国」だと断じている。わたしたちは中国によるウイグル族への弾圧や北朝鮮の人権侵害などを言うが、おなじ風景がこの国のなかに存在しているのだ。


 そもそもこの国の出入国管理制度は、1945(昭和20)年の日本の敗戦によって始まる。敗戦によって、旧満州などに取り残された開拓民たちは国に棄てられ、またかつては「大東亜の皇民」として日本国籍を有していた旧植民地の出身者たちは国籍を剥奪された。戦後の冷戦下で朝鮮戦争が始まり、日本を占領していた連合国(アメリカ)は朝鮮半島からの私的な移動に制限を設けるよう日本政府に指示した。これを受けて日本側が、主に旧植民地出身者の日本入国を「不法入国」として行政的に処罰・送還するために1946年に長崎県佐世保に設置されたのが「大村収容所」であり、現在の大村入国管理センターである。そして国内に於いては1947年に外国人登録令が制定された。戦前から日本で暮らし、また日本で生まれ、あるいは徴兵で国にいのちを捧げてきたエスニック・マイノリティ(旧植民地出身者)たちは「外国人」となり、送還可能な存在として管理されることとなった。「日本で暮らす人々の中に「国民」と「在日」という明確な線引きが、差別の意識と共に社会に広まった」 

大村収容所写真 (1969年)

「第2章 いつ、誰によって入管はできたのか」のなかで、朴沙羅 (Sara Park)氏はこう記している。

 べ平連・京都に関わった飯沼次郎は「わたしは、これら旧植民地の人たちにも、少なくとも日本人なみの基本的人権が認められるまでは、“戦後民主主義”などといっても、それは、まったくウソだと思う」と述べた。飯沼がこのように書いた時から50年を経て、いまだ旧植民地出身者は戦後補償から取り残され、無年金問題を抱え、参政権がなく、高校無償化からも排除されている点で、日本人並みの基本的人権を認められているとはいえない。

 もし飯沼の主張が正しいのであれば、私たちにとって「戦後民主主義」はまだ、「まったくのウソ」だということになる。だから、入管問題を変えようと試みることは、私たちがおそらく重要なものと信じているさまざまな理念――戦争は嫌で怖いものであると感じたり、外見や出身地を理由に進学・就職・結婚ができないのはおかしいだろうと思ったり、普通に生活していれば突然に逮捕されるはずはないと信じていたりする時の前提――を、「ウソ」でないものに変えようと試みることだ。

『入管問題とは何か 終わらない<密室の人権侵害>』(明石書店)から


 トルコでのクルド人迫害を逃れて日本へたどりついたカザンキランさん一家七人は難民申請をしたが認められず、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のある東京・渋谷の国連大学前で抗議の座り込みをつづけ、UNHCRからマンデート難民認定(国連の基準で難民を証明するもの)を発給されたのも束の間、東京入管は仮放免の手続きに来た父と長男の二人を拘束し、トルコへ強制送還した。トルコ航空の直行便が飛び立ったことを伝えられた長女ゼリハさんは、報道陣を前に「こんな国で、どうやって幸せになるんですか? 日本人は、世界で一番かわいそうな人間!」と叫んだという。一方でかれらの座り込みを偶然の出会いから支援してきた周香織氏は、共に座り込みをしていたイラン人青年がとつぜん30人もの警察官に取り囲まれて連行され、国連大学の警備員がプラカードを乱暴に剥がそうとするのを「やめてください。剥がさないでください。お願いです」と制止しながら、涙がぽたぽたとこぼれ落ちたという。彼女はそのときのことを記している。

 どうしてこんなことが起こるのだろう? 国際平和を守る国連とは? 治安を守る警察とは? そして日本とは? 私の中で信じていたものが音を立てて崩れ落ちていった。私が今まで見ていたものは、幻想でしかなかった。深く知ろうとしない自分が見せられていた、表面的なものでしかなかったのだ。「平和で豊かな日本」という幻は、この時私の中から消し飛んでしまった。

『入管問題とは何か 終わらない<密室の人権侵害>』(明石書店)から
国連大学前の座り込み


 生まれ育った国を紛争や迫害のために追われて言葉も通じない異国にたどりつき、幾度も難民申請を出しても認められず、いつ収容されるか強制送還されるか分からない恐怖に怯えながら、仮放免の延長手続きのために毎月入管の窓口を訪ね、働くこともできず、県外から出ることも容易でなく、健康保険をはじめとした一切の保障も、最低限の基本的人権すらもない生活というものを想像してみる。実際にトルコ国籍のクルド人チェリクさん(仮名)はそうやって30年間、在日同胞のカンパに頼って日本で暮らしてきたのだった。在留資格とは、いったいなんだろう?

 「第1章 入管収容施設とは何か」のなかで鈴木江理子氏は、国際法学者の阿部浩巳氏の論を引きながら記している。

 入管収容施設は、在留資格の枠内でしか外国人の権利を認めない日本政府の姿勢が、もっとも醜悪な形で顕在化する場であるともいえよう。

 (略) ・・阿部浩巳氏は、国境管理は国家主権の最後の砦であり、収容は国境の存在を可視化する政治的効果をもつと指摘したうえで、収容措置の audience は国民であるという。阿部氏の議論に従えば、退去強制の恐怖と無縁で生きる「国民」にとって、入管収容施設は、安全保障化された被収容者(「送還忌避者」)の過酷な毎日や絶望に対して心を痛めることなく、自らの安全と国家の存在意義を理解する装置として機能しているともいえよう。

『入管問題とは何か 終わらない<密室の人権侵害>』(明石書店)から


 あらためて、「国家」という存在が立ち上がる。あらゆるものが「国家」と「外部」とのボーダー上に収斂されるような気がするのだ。

 80年前、「国家」を守るためにと、この国の若者たちは還ることのない軍用機で飛び立っていった。110年前、「国家」を守るためにと、自由・平等・平和の世界を夢見た者たちが「大逆罪」の名のもとに処刑された。そしていま「国家」を守るために、紛争や迫害からいのちからがら逃げてきた家族を切り裂き、いのちを掌で弄んでいる。「国家」のために「国民」と管理・監視される「外国人」とが区別され、「在日」などという立ち位置が出現する。

「国家」とはいったいなんだろう? かれらの、わたしたちのいのちや暮らしや自由より上位に「国家」は存在するのか? 「国家」とはほんとうは、人々が生きやすくなるために人と人をつなぐための一種の方便ではなかったか。「国家」のために人がいのちを奪われ、「国境」のために人々が分断され差別されるのは、そもそも本末転倒ではないか。「国家」を問い直さなければならない。

 「入管体制は、「よそ者」を排除する、国民国家による国民国家のためのシステム」(安藤真起子「Column4 弱くしなやかなつながりのなかで」)である。であるとすれば、それはこの国で生きているわたしたち一人びとりのこころのありようと同質であるに違いない。

 ウイシュマさんやカザンキランさんたちの悲劇は、わたしたちの内なる自明なものと直結している。



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