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【町内会 顛末記】町内会を殲滅し廃墟の中から真実の自治組織の出現を待とう 6

 本日はお忙しいところ、お集まり頂いてありがとうございます。

 4月に総会を開く予定でしたが、コロナの関係でずっと開くことができませんでした。やっと今日、集まることができたわけですが、本来であればあたらしい自治会長をはじめとした三役を中心に今日の総会は開催されるはずでした。ところがですね、この三役の選出がなかなかすすまない。

 2年半前に、それまで10年以上の長きにわたって自治会長をやってくださっていたTさんが急に入院をされて、その後亡くなってしまったわけですけれども、代わりの自治会長が決まらなかったので、越してきてまだ8年ほどの新参のわが家が仕方ない、やりましょうと手をあげてSさんやAさんと共に三役を勤めさせて頂きました。総会で任期を2年にして、班単位で順番に役員を回していくという会則も定めて、みなさんに賛成して頂きました。

 この2年間はわたしたちも一生懸命やったつもりです。町内会費の8割を占めていた寄付金の類を神社の氏子総代に根回しをして交渉したり、宮司さんにあれこれ言われるのを断固拒否して、その他不要な出費を切って3割まで減らしました。

 そのお金でぼろぼろだった掲示板や消火器を買い替え、敬老の日にはお菓子を配り、子どもの日には(該当の家庭は少ないですが)図書券を配り、去年は自主防災の補助金を使って防災ラジオを各戸に配ったりしました。

敬老の日に配布したお菓子

 うちはまだ現役世代ですから夫婦共稼ぎで、しかも障害を持った娘がもう5年近く不登校中で家にいます。そのなかで時間をやりくりして町内会長の仕事をするのは正直、楽ではなかった。様々な資料をつくり、回覧物をつくり、あれこれの会合に出席して、役所や神社とやりとりをし、お祭りの手伝いもする。けっこう大変です。でも2年間頑張ったら、次の方が継いでくれると思っていたから頑張ってやってきたわけです。

 ところが2年が経って、それぞれの班で役員を選出しなければならないとなったことしの3月に、幾人かの方が直接わが家にやってきました。
「班の中で役員をやって欲しいと言われているのだけど、事情があるのでできない」
「前回の総会のときから思っていたのだが、町内会を抜けさせて欲しい」 

・・・プライベートの「私」と「公(おおやけ)」というものがあると思うんですね。人は社会的な生き物でもありますから「私」だけでは生きてはいけない。人と人とがつながり、助け合い、重なる部分では「公」が発生する。ところがわが家に話しに来られた方は、この「私」のことしか言わない。いわく「働いていて帰りが遅い」 「休みの日は出かけることが多い」 「親の介護がある」 「持病をかかえている」 「パソコンができない」 あれこれあれこれ熱心に語ってくれるのだけど、そんなものは多かれ少なかれだれだって抱えていますよ。

 で、わたしはやっと理解させられました。2年前に総会で決めたことにみなさんが賛成してくれたのは、けっして「2年後にはわたしたちも役員を順番でやりますよ」という賛成ではなくて、「とりあえず今回は(役が)じぶんに回ってこないから」という後ろ向きの「賛成」だったということです。そういう「賛成」だったから、いざじぶんたちに順番が回ってくると「できない」とか「町内会を抜ける」とか言われる。

 2年間、町内をすこしでも良くしようと頑張ってきたわたしたちからしてみたら、失礼、言葉は悪いですが「ふざけんな!」ですよ、ほんとうに。

 亡くなられた前会長のTさんも、当初は2年の任期で引き受けたのに、後を継いでく れる人がいないためにそのままずるずると十数年が経ってしまったと聞いています。わたしたちはTさんに放り投げて、そのまま「じぶんに回ってこなければい い」と見ないふりをし続けたわけです。

 その亡くなったTさんの奥さんが、Tさんが入院して自治会長を降りてから、ある心ない町内の方から在任中のことをあれこれ言われたり、「じぶんがしっかりしていないから次の人に回せなかった」などと批判されて、「十年以上頑張ってきたのに、最後にそんな言われ方をするなんてあまりに酷い」と、もう総会も出てくれません。もちろんわたしはTさんのように、みなさんに騙されて延々と自治会長をやり続ける気は毛頭ありません。じっさいは4月の時点でもう、会長ですらないですけどね。

 ですからわたしたちみんなが、「公(おおやけ)」を平等に担っていくんだという意識をきちんと持ってくれなければ、2年ごとに役員を選出するという会則は所詮「絵に描いた餅」にすぎないということです。A4でちょっと見にくいかも知れませんが、この円グラフをちょっと見てください。

町内の年齢別グラフ

 これは前の自治会長のTさんのときに各家庭の家族構成をですね、みなさんに書いてもらった資料、そういうのが残っていたので、それに現在の年齢を加算してつくった町内の年齢比のグラフです。じっさいにはその後、子どもさんが成人して家を出たり、高齢の方が亡くなったりして正確ではないかも知れませんが、だいたいの傾向は出ていると思います。

 70歳代以上の方が町内の半分近くを占めていて、60歳代を加えればじつに全体の70%近くです。逆に20歳代から50歳代はわずか30%、じっさいはもっと少ないと思います。

 現在の会則では後期高齢者の75歳以上は役を免除という規定にしていますから、40%近い方がまず除外される。そして20歳代から50歳代の30%はわずかな方を除いて町内会活動には興味すら持っていない。というわけで残った30%のなかで町内会に参加してくれる方の中からしか、役員を選べないというわけです。これがわたしたちの町内会の現実です。

 ですから今回、あたらしい役員の選出に際してじっさいにお願いをできる人は三つの各班からそれぞれ数人しかいなかったところ、その人たちが「できない」「町内会を抜けたい」と言ってこられている。たとえ今回、無理やりに役員を選出したとしても、次回はもう絶対に回るはずがない。4年後、6年後は殺し合いが起きるかも知れない(笑) 

 いや、じっさいにわたしはすでにこの件で、不本意ながらニ、三の方と言い合いにもなったし、隣家のOさんから「あとはどうなろうと放っておいたらいいんだ」とか言われて揉めたりしました。そんなことを2年おきにやるのは、もううんざりですわ。

 そもそも町内会の成り立ちというのをわたしも調べてみましたがこれは戦前、戦争中の国家総動員体制のさなかに戦時体制の強化のためにつくられた「隣組」が始まりで、もともと上意下達の色が濃い組織なわけです。だからいまでも行政の下請け的な仕事が、とくに自治会長には下りてくる仕組みになっている。役所の各課、自治連合会、社会福祉協議会、警察、そういうところからさまざまなものが回ってくる。それが自治会長の負担をさらに大きくしている要因です。

 で、これから先、町内会をどうするかというのをみなさんで話し合って欲しいわけですけど、これはあくまでわたし個人の意見ですが、従来のかたちの町内会としてはもう継続していけないとわたしは思います。

 住民がたくさんいて、若い世代も子どもたちもたくさんいて、元気なお年 寄りもたくさんいた時代だったらやっていけた。でも空き家も増えて、子どもがいる家なんかはわずか数軒。一人暮らしで日々の買い物やゴミ出しも精一杯という高齢者も少なくない現状では、続けて行けるようなあたらしいかたちを模索する必要があると思います。余計なものは減らして、最低限の暮らしや、助け合いの仕組みを残して、みんなで平等に負担して続けていけるようなかたちです。

 わたしは、いろいろなしがらみのくっついてくる自治会はいったん解散して、いったんスリムになって班単位の小さなコミュニティのようなものにした方がいいと思う。

 参考までにお手元に、町内会を解散したらどうなるか、役所や清掃センターなどから あれこれ訊いてきた内容をまとめたものをお配りしていますのでご覧ください。こんなふうに、町内会の「あるとき」と「ないとき」に分けて、どう違うのかという表にしています。

 この、いまわたしの持っている表にはじつは、551の蓬莱の「あるとき」と「ないとき」を加工して、町内会の「あるとき」と「ないとき」にした画像を貼っています。嫁さんからこれは外した方が良いと注意されてみなさんの分は消したんですが、「町内会のあるとき」の一家は暗い顔して、「ないとき」は明るく笑っている。これはいまのわたしの心境です。

 いろいろ長々とお話しさせて頂きましたが、あとはみなさんで話し合って決めて頂きたいと思います。よろしくお願いします。

町内会551



以下の内容で、連載中です。
第一部 【町内会 顛末記】自治会長というのをやってみた
第二部 【町内会 顛末記】町内会を殲滅し廃墟の中から真実の自治組織の出現を待とう
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