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「世界に一つだけの花」はどこへ?


今回は「世界に一つだけの花はどこへ?」ということで、書いてみようと思います。

国民的アイドルグループの解散からはや3年が経ちましたが、
彼らの代表曲といえば、なんといっても「世界に一つだけの花」でしょう。

CDは300万枚以上売れて、カラオケランキングでも常に上位に入る、まさに日本中で愛された曲だといえると思います。

歌詞のメッセージはずばりタイトルにあるように、みんな違う種を持っている世界に二つとない花。

だから些細なことで他人と比べたり、どっちのほうが背が高いとか、どっちのほうが美しいとか、そういうことにとらわれずに、自分たちの命を生きていこうよというものではないかと。

とはいえ、現実的なハナシをすれば。

それだけ「世界に一つだけの花」が愛されているはずの我が国において、
まさにその歌詞のメッセージと正反対のことが起きているではありませんか。

お金(財力)、容姿、頭脳、体力、その他もろもろ。
国民性なのか、現代日本人の性なのかはわかりませんが、ありとあらゆる物差しで人が人を比べあう状況が、世間を覆っているではありませんか。

比べるといえば、最近何かと話題になるのが「タワマンカースト」。

同じマンションに住んでいながら、高層階かそうでないかとか、眺望がいいとかそうでないかとか、広さがどう、間取りがどう、採光面がどうとか・・・

さらには、同じくこの「カースト」という言葉を使った身の毛もよだつ概念として、「ママ友カースト」なるものもあるとか。

どちらの旦那が稼ぎがいいとか、学歴がどうとか、住んでいる家がどうとか。

親がそんな感じで、子供はどう育つんでしょうか。
親の背中を追っていくか、はたまた反面教師にするか。

「カースト」って、 いうまでもなくあのインドの身分制度のことですよね。

また「陰キャ」とか「陽キャ」、「勝ち組」とか「負け組」のような、人をレッテル貼りするような言葉もたくさん使われています。

「この中で誰が一番かなんかなんて、争うこともしないで」
というメッセージは、一体どこにいったのか。

「世界に一つだけの花」を愛する国民ではなかったのか。

それともむしろ逆のハナシで、楽曲の世界があまりにも理想的できれいすぎるから、受けているのか・・・

ただ、そんな冷めた目でもって、300万枚も売れたんだと分析してしまうと、なんとも寂しい気持ちになります。

誤解がないようにいっておきますが、僕は「比較する」という行為自体は、古くからある人間の性として、決しておかしなことではないと思っています。

もしこの行為が全くなかったならば、例えばですけど、ファッションのような文化は発達しづらかったのではないでしょうか。

いやある種の文明、ある種の学問もそうかもしれない。

ただ、深呼吸して考えてみたほうがいいかもしれないと思うことは、世の中を俯瞰してみたときに、それぞれ違いがある中でも、すべての人は平等だということです。

なぜって?

だって、みんないつか死にますもん。
いくらお金を積んでも、死を免れることはできません。

すべての人は一度生まれ、一度死ぬ。この普遍的サイクルがあるかぎり、男性も女性も、老いも若きも、貧富の差も一切関係なく、すべての人は平等です。

そして人とその他の動植物というのは切っても切れない関係である以上、すべての命はつながっており、ひいてはこの世界全体と互いに繋がりあっている、はず・・・

こういうのは、あまりに夢想的すぎるハナシでしょうかね。
多元的すぎるこの世界の中では。

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