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栄養士として就職しない選択

外食企業で長いこと勤務 →独立してメニュー関連諸々請け負うよろずやを運営しているYayoiです。

大学では管理栄養士になるための学科を専攻
研究室は臨床栄養学
卒業研究は糖尿病の食事療法がテーマ

病院栄養士を目指していた私が
外食企業に就職しました。
しかも栄養士としてではなく。

その決め手は、研究室での活動にありました。
糖尿病の専門病院に出入りして
栄養士さんの栄養指導を聞きながら
必要なデータを取らせてもらっている中で、

糖尿病の患者さん向けの「外食実習」というのがありました。
糖尿病の患者さんと外食に行き、メニューの選び方を実践する・・・という主旨のもの。それに栄養士さんと同行したのです。
当時(平成初期)はヘルシーメニューなどもない時代でした。
結局のところ、「どう残すか」という実践教育。

てんぷら定食を注文したら、衣をはがして食べる

これが私にはとても衝撃的で
せっかくおいしく揚げたてんぷらの中身だけ食べるなんて。。。
そもそも、注文したものを残す というのも貧乏学生の私には納得がいかないものでした。
(同行していた患者さんは東京の超都心にある病院に通うくらいだから、リッチな方が多くて、食べ物はともかくお金がもったいないと思う方は少なかったのかもしれません)

そんな指導する仕事は嫌だ。。。
だったら、外食に残さなくてもよいメニューがあればいいんじゃないか!

そう思い
メニューがいろいろあるファミリーレストランでの商品開発を希望して
就活しました。

そうはいっても、
新卒の商品開発枠があるわけでもなく
募集されている店長候補として入社。
そこそこ店舗数を増やしている業態だったので、同期は50人あまり。
店舗での研修がはじまり、店舗社員としての仕事を続けていきました。

運よく、入社して半年ほどたったころに
本部の商品開発に移動。
当時男性ばかりで開発していたので、女性メンバーを入れたいというタイミングに乗れたのでした。

そこから、外食のメニュー開発人生がはじまりました。
病院給食より、外食のほうが楽しい!
治療食より、予防食!
おいしくて体にいいメニューをつくりたい!

初心表明。。。なかなかいいこと言っていたものです。








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