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誰よりも多分幸せな家族に憧れていた

私は今、「起きる事全てに意味がある」と思って生活している。

これは離婚を通して学んだ事だ。

深く深く傷ついた元旦那の浮気&離婚。

その傷はまだ癒えていない。

未だに元旦那の彼女の名前を聞くだけで、ものすごく嫌な気持ちになる。

元旦那の家にいる子供達に電話をするのも、子供達と話せて嬉しいが、彼女が住んでいる様子が分かるので複雑な気持ちになる。

だけど、深く深く傷ついたからこそ、深く深く自分の事を考えるようになった。

だから、離婚は私にとって必要な出来事だったと思うのだ。

自分の事を深く考えているうちに、自分の幼少期の経験や両親との関わり方が、いかに今の自分の思考や行動に影響を与えているか気付いた。

なぜ浮気をされて私はここまで傷ついているのか?

浮気をされて傷つくのは当たり前だと思う。

だけど、私は離婚した事は良かったと思えるようになったのに、浮気された事はまだまだ引きずっているのだ。

それはなぜか?

私は、両親との関係があまり良くない。

特に父親に関しては、全く会話をしない。というか、まともに話した記憶がない。

私の父親は、自分の感情を上手くコントロール出来ない人で、怒るとすぐに物に当たったり、人に当たったりした。

私も小さい時は、何度も蹴られたり殴られたりしたものだ。

父親の暴力から逃げる為に、裸足で家を飛び出して逃げた事も多々ある。

暴力だけでなく、言葉でも何度も酷い事を言われたものだ。

だから私は、父親と日常会話をしたり、何かを相談する事は一切無かった。

私の母親は、自分と父親の関係を悪化させない為、いつも父親の味方だった。

そればかりか、父親が怒らないように、私が変わらないといけないといつも私に声をかけた。

私も身体が大きくなってからは、殴られているばかりじゃなく反発していたので、母親は父親と私の板挟みになって辛かったのだろう。

また、母はいつも私にもっと頑張る事を求めた。

成績で1番を取っても、マラソンで1番を取っても、褒められた記憶は一度も無い。

私はいつも、母親からもっと頑張れるはずだと言われ続けていたのだ。

なので私は、両親から認められ愛される為には、自分を変えないといけない、もっと頑張らないといけないと無意識に思い続けてきた。

その無意識に気付いたのは、元旦那の浮気が発覚して、自分の事を深く考えるようになってからだった。

つまり私は、約30年間「愛される為には頑張らないといけない」という無意識の思い込みに支配されていたにも関わらず、その事に一切気付いていなかったのだ。

いやむしろ、ずっとそういう環境で育ってきた為、それが当たり前だと思っていたのだ。

「愛される為には、頑張らないといけない。愛は、勝ち取らなければいけない。」

この事に気づく事が出来たおかげで、なぜ私が浮気でここまで傷ついているのかも、理解する事が出来た。

元旦那に愛されるように頑張ったのに、結局は愛されなかった自分。

元旦那が新しい彼女を選んだ事によって、「子供の時に両親に愛されるように頑張ったのに、結局愛されていると感じる事が出来なかった自分」を思い出してしまったのだ。

やっぱりね、私は頑張ったって愛されないんだよ、もっともっと頑張らないといけなかったんだよ、と小さい頃の私が言っているのだ。

小さい頃に出来た傷を見て見ぬ振りしていたせいで、ずっとずっと癒えていなかったのだ。

ここまで気付いた今は、頑張らなくたって愛されるという事を頭では理解している。

現に私は、子供達の事を無条件に愛している。

そう頭では分かっていても、長い時間をかけて出来上がったこの思い込みは、なかなか消えてはくれない。

これは単なる思い込み。そう分かっていても、不安になるのだ。

私たちは共同親権のベルギーにいるので、子供達は定期的に父親の家に行くのだが、その時の不安は計り知れない。

たった2日であっても、不安に思うのだ。

私が子供達の為に何かしていないと、子供達の私への愛が薄れていってしまうのではないかと思うのだ。

私と離れて暮らしてる間に、父親の方を好きになったらどうしよう、父親の彼女に母親のポジションを取られたらどうしようと不安になる。

よくよく考えてみると、子供達は父親か母親かなんて選べないし、むしろ選ぶ必要もない。母親に代わる存在なんていないのだから、私が子供達に愛情を注いでいれば大丈夫なのだ。

そう頭では分かっていても、不安に襲われる。

皆さんは「Generational Trauma」という言葉を聞いた事があるだろうか?

これは、何世代にも渡って受け継がれているトラウマの事だ。

つまり、「愛される為には頑張らないといけない」と感じていたのは私だけでなく、私の両親、祖父母、その上、その上と長年に渡って我が家で受け継がれてきたトラウマなのだ。

そして私の両親の代まで、誰もそれをトラウマだと認識してなかったのだ。

だからこそ、今まで負の連鎖が続いていて、原因も分からずに私の家族は苦しんでいたのだと思う。

そして、今も苦しんでいる。

だけど、私以外の家族は、きっとその原因にまだ気付いていないのだ。

私の家族は代々、子供の気持ちをしっかりと汲み取って、それをきっちりと言葉にして受け入れてあげるのが下手だったのだと思う。そして愛情表現も下手だったのだ。

テストで一番を取っても、「嬉しい。褒めて欲しい。喜んでほしい。」と言う私の気持ちをしっかりと汲み取って、それに答えようとはしてくれなかった。本当は「すごいね、やったね!頑張ったね!」と思っていたと思うけど、それを言葉にしなかった。

私の能力を信じてくれていたから、私ならもっと出来る!と思って「頑張れ!」と言ってくれていたのだと思うけど、母親がどう感じているかは言ってくれず「頑張れ!」だけ言われたので、母親の気持ちも分からなかった。

だからこそ「頑張らないと愛されない。いや、頑張っても愛されない。」と思うようになったのだ。

でもこれは、私の両親を責める事は出来ない。

私の両親もどうやって子供の気持ちを汲み取ってあげればいいか分からなかったのだ。どうやって自分の気持ちを伝えたらいいかも分からなかったのだ。

自分たちも子供の時に、そうされた経験がないから分からないのだ。そして、それは仕方ないのだ。

自分の両親に育てられたように自分の子供達を育てるから、代々こういうトラウマは受け継がれていくのだ。

けれど私は、自分の子供達に私と同じ思いをして欲しくない。

「親に何を言っても理解してくれない」とか感じて欲しくないし、「ありのままの自分達でいても愛される」と理解してほしい。

私は、子供達とはきちんと感情をシェアして、受け止め合える関係でいたい。子供達がいつでも相談出来るような母親でいたい。

その為には、私がこの負の連鎖を断ち切らなければいけないのだ。

幸いな事に、私はそこに気づく事が出来た。

あとは、本当に断ち切るまで、自分のトラウマを見つめて癒してあげるしかないのだ。

それが、相当難しいのだが。

先輩に「まずは自分の両親を許すだね」と言われた事がある。

だけどそれが難しい。

両親の事を責める事は出来ないと頭では分かっていても、今まで言われた事、受けた暴力を考えると、感情が邪魔するのだ。

だけど、今回この文章を書く事で、さらに気持ちが整理出来たと思う。

特に父親は、今も苦しんでいる。

70歳近くになった今でも、自分の感情を上手くコントロール出来ず、感情を口で伝えるという事が出来ないから未だに物に当たっている。

「誰か俺の事を理解してくれ!」と叫んでいるようにも見える。

そういう事を繰り返してきたせいで、自分の娘とも話せなくなり、孫ともあまり会えていない。

最近は歳も取って、孤独を感じているみたいだ。

だけど、このまま気付く事なく人生を終えていくんだと思う。

そんな父親を含め、両親をいかに許せるかが私の今の課題だ。




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