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「3.11」 と わたし Vol.11 何度だって 歩き出せる

自称ジム兄さん 荒木 真 さん

震災から10年の節目、
飯舘村に様々な立場から関わる人々が語る
自分自身の10年前この先の10年


「償いたい」。その一心で、遠く離れた鹿児島から
飯舘村へ移住した 荒木 真 (あらき しん) さん。

村の方との出会いを経て、綻んでいく気持ち。
『誰かの為』の意味が、自身の中で少しずつ変化していきます。

現在は学校事務の仕事をしながら、自宅の庭で花を栽培している真さん。
「写真苦手なんですよね、笑えなくて…」なんて言いつつ、
道端で出くわしたご近所さんや生き物と対話するときには、
自然とやわらかい笑顔がこぼれます。



誰かの為に生きる  自分の為に

どうしてあんな事を言ってしまったのだろう。
津波の映像を病院で見た時、「どうでもいい」と言ってしまった。
当時は自分の事で頭が一杯だった、なんて言い訳にはできない。してはいけない。
だから「何ができるか」を考えた。
「償いたい」と考えて動いたら、早かった。
福島のために、贖罪の気持ちも込めて鹿児島から飯舘に引っ越してきた。

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自分で考えて 自分を満たす 『誰かの為に』と

2019年秋、飯舘に来るまでは自分本位だった。
どんなに他人に優しくしても、明るく振る舞っても
「優しくしているのは自分の心を満たすため」だった。
そんな自分が許せなかった。
それでも初めて「誰かの為に」と混じり気なしの気持ちで思えた。
自分でも驚くぐらいに。

引っ越してから村の方と触れ合うにつれて、
「自分はここにいて良いんだ」と思えるようになった。
優しく受け入れてくれる想いが、自分の言葉を包んでくれた。
「贖罪の気持ちなんてもう大丈夫。いてくれるだけで嬉しい」と。

だから何があっても、どんなに挫けて壊れても。
たとえ「結局は自分のため」でも、何かをやろうと頑張っていられる。
今は自分を受け入れてくれた南相馬市の学校で事務の仕事をしながら、
自宅の庭で花を育てている。
それが自分にできる「村のため」だから。

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世界中に花束を

震災から10年ずっと自分を否定して生きてきた。
でも、「それでも生きてみよう」と思えた。村の方のように、花のように。
あるがままで、受け容れて生きていく。自分のままで、それで良いんだと。
そう思えた時、自分の好きな花を咲かせたいと強く思った。
初めは小さく、人目につかなくても。
それでもたくさん咲かせたい、空からも分かるくらいに。
『自分はここで生きている』
村中に花を咲かせることが、「村の復興と、自分が生きた証」になるように。
花の中で笑って生きていくことが、これからなりたい自分だと思う。

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