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【同性愛】 私が見ている世界


 そっか、世間では男女での恋愛が多数派なんだった……



普段はテレビを一切見ない私が、年末年始の特番やテレビコマーシャルなどを見ていて素直に思ったことでした。



私が見ている世界

 新年、明けましておめでとうございます。

普段、私はほとんどテレビを見ません。というのも、一方的に見ているだけなのにどこか疲れてしまうというか、自分の家に赤の他人が土足で踏み込んできているような感覚になるというか。そんな感じで昔からあまりテレビが好きではなくて学生の頃から意図的にあまり見なくなり、上京して一人暮らしをしたタイミングからはほぼ見なくなりました。

そんなふうに普段ほぼテレビを見ない私が、この年末年始はテレビを見る機会がなにかと多くなり、久しぶりに地上波と間に流れるCMを沢山見ました。



そこで感じたというか、思い知らされたんです。
「あぁ、そうだった。社会では男女の恋愛が多数派なんだった」って。




私にとっての当たり前の世界

 地上波を見ていると、番組の間に流れるコマーシャルも漫才のネタ、出演者がさも当たり前のように話すコメントでさえも固定された家族像だったり異性同士に限定したエピソードだったりで溢れかえっていて、なんだか久しぶりに少しショックを受けてしまいました。


私がいつも触れているメディアや人、本、物語やインタビューで語られている内容とテレビの地上波には大きな差があって、さらにはその差に微塵の引っかかりすら感じていないようなリアクションや返答ばかりが横行しているように感じて。


私が普段見て触れている世界では、同性同士で恋愛をする人もずっと多くて、セクシャリティも流動的でグラデーションな多様な人が多く存在していて、さらにはそんな人たち同士でも互いに配慮したり気遣ったり、相手の可能性を伺いながらも踏み込まないようなちゃんとした距離感が存在していて。そんな世界をずっと見ていたから、私のなかではそれがいつしか当たり前になっていました。



だけど、久しぶりに地上波を見るとセクシャルに関する繊細な事柄を笑いを取るネタに変換してしまっていたり、男女での恋愛が当たり前という大前提の上に置かれた同性同士の恋愛を「ネタ」という範疇に押さえ込み、さらにはそんなネタで笑うお客さんたちがまだ大勢いて。


お笑いもどんどんとアップグレードしていて、セクシャリティルッキズム、固定された性的役割といったものを笑いのネタにしないんじゃなかったの……? どうしてどこかの誰かが傷ついてしまうようなことで笑いを取るの?


そんなことを考えながら、お笑い番組をただ傍観していました。


「当たり前」を刷り込む広告

 テレビコマーシャルの内容に関しても、昔からほぼ変わっていないんだなぁと思いながら見ていました。帰省したくなくなる典型的な実家での会話、みたいなものがあれこれと別の表現で再現されているようなものばかりで。年末年始の間けっこうな頻度でテレビを流していましたが、多様性なんて一体どこに表現されていたんだろうと思うほど一切目にしませんでした。


テレビを見る世代とされる人たちが日頃こういったものを「当たり前」だとして見聞きしていて、さらにはその「当たり前」を確固たるものにするような表現ばかりを目にしていたら、当たり前の範囲が固定されていくのも当然なのかも知れないなと思ってしまいました。



もちろん、これらは全て私の個人的な感じ方なので、他の人が見たら「そうでもないじゃん」なんて言われてしまうかも知れないけれど、やっぱり私が日頃「当たり前」だと思っていた世界はまだまだ狭くて小さくてマイノリティなのだなと実感してしまったというお話でした。



当たり前の世界はみんな違う

 当たり前として捉えている世界は人それぞれ異なると思います。この世界を誰一人として同じように見ている人はいない、という言葉が存在するほどに。だから世間から見たらマイノリティなのかも知れないけれど、私にとってはいつも触れているそちらが普通で、あえてその言い方をするのであれば、それが「当たり前」な世界です。


当たり前の世界といえば、また別の記事で書こうと思っていますが、私はカミングアウト的なものをしていないにも関わらず、最近はサラッと自分のセクシャリティを話すことが多くなりました。と言うのも、自分にとっての普通である同性同士での恋愛というものと、世間で普通とされる男女の恋愛の差異を忘れてそのまま発言してしまうことが多くて。



たとえば、友人と恋愛の話をしている際に、私は相手の性別を隠した状態で話を進めていくのですが、どうしても言葉の端々に相手が同性であるということが滲み出てしまう。すると、話を聞いていた友人から「ん?」といった反応をされてしまう、みたいなことがありました。

私がいる世界では同性同士の恋愛が当たり前。だから、いつもそのまま話をしてしまって、相手からは「え、つまりそれって相手は女の子ってことだよね?」という返答がある。それで「あ、そうだった、同性が恋愛対象なのって当たり前じゃなかった」と気がつくことが多い。


目の前にいる人が捉えている世界と、私が捉えている世界は異なっている。でも自分と違うからといって強制させたり修正させたり、自分の理想を押し付けることはしたくない。


当たり前の範囲がもっともっと広がって同性同士の恋愛や色んなセクシャリティをも包括していってくれれば良いのに。そんなことを思いながら迎えた2023年でした。今年もさらに時代が進化していきますように。

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