武士が庶民に守られていたように男が女に守られている現実と、アンチフェミの万事さかさまのおとぎ話

毎日のようにアンチフェミが起こす集団ヒステリーのメモ。合間合間にスマホでポチポチ打ってたので重複がありそうです。予めお詫びします。

身分制度の特権階級、たとえば武士は庶民に守られる側です守る側ではない

身分制度による支配は庶民を守らないし、武家社会は武士の妻子すら別に守りません。むしろ嫌がらせ対象で、嫌がらせの仕組みができていたと言っていい。

守らず疲弊させるからこそ身分制度が続いた。要は分断統治です。男尊女卑もその他の身分制度も。

例外的に余裕があれば「下」も守るが、基本的には「上」を守るための犠牲です。そして主な働き手は、武士か庶民かでいえば圧倒的に庶民でした。

植民地宗主国も奴隷所有者も植民地や奴隷や社会制度に守られる側で、守る側ではない。主な働き手は植民地人や奴隷です。制度に守られない彼女ら彼らが主に働く。

同じように、男性は社会制度や女性個々人に守られる側であり、守る側ではない。そして社会の主な働き手はどこでも女性*です。守られないままの女性が主に働く。

女性は無茶な条件で働かせやすい


狩猟採集社会だろうが家内制手工業だろうが産業革命期だろうが文明開化だろうが工業化社会だろうが情報化が進んだ現代社会だろうが人類の主な働き手は女の人です。

なぜかは諸説あるでしょうが圧倒的現実なので「そうだね」と受け入れるしかない。

もちろん科学的には俗に言う「性別」は雑な身体の区分にすぎずほぼナンセンスで、「心の性別」など全くあるわけがない。

職業選択や服の好みの差なども、性別とは全く無関係。脳/知能で言えば女性がやや有利なほどらしいですがそれは置いときます。

「性別」が「人種」と同様に雑な身体の区分に過ぎないとわかった現代ですが、出生時に「人生のどこかで出産可能であろう人/決してしない人」で男女が分けられ、そして出産可能であろう人々=女性に対しては知性も尊厳も蔑視して単純労働力とし、社会ぐるみで女性に依存する慣習が続いています。

「トランス差別」問題などもこれを無視して語るとこじれます。

特に仕組みがない場合、家族を養う責任を負うのは出生時に女性に区分された人(以下「女性」)だけですから、弱みで無茶な条件で働かせやすい。

近代の女工であれ現代の専業主婦に対してであれ、日本でも海外でも、母親予備軍の人々を幼少から蔑視し、子を人質に取るような手段で支配し、劣悪な待遇で働かせている(てきた)とも言えます。

しかもそれを「養っている」だのと称するんだからヤクザも同然。

個人が守ってるつもりでも仕組みはそうなっていない。

江戸時代から昭和半ばまでの役人的な「普通の暮らし」、つまり奴隷的な奉公人やヨメの酷使と犠牲の上にあった20世紀前半の「普通」などはもはや全く鬼畜でしょう。

20世紀後半の「普通」はロマンチック・ラブ・イデオロギーがあった点でそれ以前とは天国と地獄くらい違いましたが、それも鬼畜扱いになりつつある。ジェンダーギャップが大きい社会で「愛」で結婚するなんてそりゃ難しいでしょうしね。

伝統的被差別集団を、妊娠出産の弱みにつけ込んで、社会ぐるみで20世紀前半の奉公人みたいな条件に引き続きとどめておいて使ってきた。と書くともはや身もふたもない悪でしょ。

庶民+女性。植民地+庶民。植民地+庶民+女性。植民地+奴隷+女性。と、要素が加わるほど「使いやすい」労働力ですから、労働力の要。

かつてファシズムを奉じたわが国では男性は全人生的かつ一方的に女性に守られる

ファシズムは人種民族差別が有名ですが、わかりやすくいうと男性崇拝です。

ニーチェの超人思想の影響を受けていて「弱者保護(彼らの思想では女っぽさ)が文明を弱体化させた」と考え、「男らしさと弱肉強食が大事」と説く。

我々から見るとニーチェみたいな弱者が本を残せたのはキリスト教的弱者保護と当時の列強市民男性が守られ優遇されていたおかげです。彼を守った西洋文明も、発展はまさに弱者保護ゆえでしょう。ヒトが頂点にたったこと自体、動物でも最弱級の筋力と最悪級の難産になってまで頭脳と言語と器用さを獲得し弱者を保護しやすいおかげです)

ともあれファシズムは「『男らしい』男は生物学的に高等」とし、「人間集団には『生物学的な男らしさ』で優劣がつけられる」と考えました。

そして「男らしい人(皇帝やら例のチョビ髭やら)」を上に据え、下が従う体制を築きました。

「上は下より生物学的に男らしい」

「決断力などは生物学的に男らしさ」

ならば「常に上が下の誰よりも正しい判断を下すであろう。これが生物学的に真実。」と言う発想です

結局全部ウソでしたけどね。

「総統閣下は誰よりも正しい」「天皇陛下は絶対的に正しい」「男は女より常に正しい」という妙な思想は当時は「生物学的な真実」でした。

そうして「女っぽい奴ら(女性は典型。他は例えば異民族)」を資源として使うことで、「男らしい男」が弱者を守る義務など負わずに「男らしく」自由に高度な分野で活躍すれば国力が向上すると考え、政策や制度を作りました。

もちろん、21世紀の科学では性別は身体の単純な区分以外はナンセンスと分かっています。『生物学的な女らしさが大事』が今の常識です。ファシズムなどはすべてが現実と逆の、守られきった男たちの夜郎自大と被害妄想が生み出した幼稚なニセ科学と破壊的思想でしかない。

それでも、先の大戦への反省って、ファシズムの男性崇拝についてはあんまり見かけないでしょ。少なくとも日本ではファシズムはほぼ手つかずで残っています。

おかげで日本人の男性は、望む望まざるに関わらず、生まれてから死ぬまでめっちゃ高い下駄を履かされ、「弱者を守る義務」を母や妻や娘や嫁その他の女性に丸投げして逃げる自由を確保され、全人生的かつ一方的かつ社会ぐるみで女性に守られる国に生まれたわけです。

望む望まざるに関わらず。ま、サムライみたいなもんですね。

そして日本人の女の人は生まれた瞬間に不自由と、老人子どもと男を守る義務を背負い、労働力として逃げにくいよう、使いやすいように蔑視される。

始末の悪いことにファシズムは生物学を偽装し、平等すら偽装し、しかも教育や政策に織り込まれました。

今でも日本で見かける男女論は、残念ながら専門家を含め、ファシズム当時のインチキが非常に多い。日本ではなんせ国策でしたし「偉い男性が言うならそうなんだろう」という集団心理で、雑でも通用してきた。

日本の保守では今でも1930年代さながら「男性ホルモンで男らしく」だの(実際は逆)、「女性ホルモンで女らしく」だの(実際は逆)、「男性のY遺伝子」(実際はクズの山。せいぜい男性不妊の原因。)」などのニセ科学をよくみかけます。なお彼らは「知能は遺伝する」とかいうニセ科学も好きですが、実際は知能に関わる遺伝子なんか一個もないし辛うじて関係あるやつも誤差の範囲です。日本人の保守的な人が人間観を披露するたび、毎回、世界中から笑われるわけです。


日独伊スペインなどの旧ファシズムの国は、文化は様々でも、揃って男性優遇と女性依存がひどく少子高齢化が酷い。

ファシズムを政策にしなかった国でも思想は流行りましたし、旧列強+旧中流階級+男性とかだともうチート属性ですけどね。

そのせいか、あるいはルソーのエミール以来の主流かつ俗流教育論のおかげか、

人々は一般に「つらい仕事を男性にさせるのは可哀想」と考えます


ミソジニー男性の常識とは逆です。

成果主義で男女平等だとなんとなく思われているテック大手で結局男性が出世しやすい理由について、男女のキャリアパスを調べた調査ってありましたよね。

有名ですが面白かった。

結局、ミソジニー男性が考えている男女論「女は弱い」や世間一般の男女論「男は理性的で女は感情的」は自信のない男性向けのおべっかや励まし的なものです。

弱肉強食論のミソジニー男性の人生も「男の子は弱いから優しくしないとね」という世界的な常識と共感に守られてきたはずです。みんな心当たりはあるでしょう。

やだなあ。

ともあれ総合すると

人々は一般的傾向として「男は孤独に弱そうだし、自尊心を削る事態にも耐えられなさそうだし、男にキツイ仕事をさせるのは気の毒」と考えやすく、男性には新人時代から新規大型案件を割り振ってあげるし仕事のデキも評価が優しい
同時に人々は一般に「女は孤独に強そうだし、男なら耐えられないような自尊心を削る事態でも耐えられるだろうし、キツイ仕事でも平気そう」と考えやすく、新人時代から小規模なトラブル対応(しばしば上記のような男性の尻拭い)に割り振り、評価もキツイ

→考査では男性有利で女性不利

ってオチでしたね。

ちなみに人が女性の辛さを軽視する原因には差別もあるでしょうが、人間だれしも母親に死ぬほど無理をさせるところから人生が始まるせいか、生後まもなくからあるようです。


労働力としての女性への依存

地位や収入で女性が低いジェンダーギャップは、その社会が女性の労働に依存する度合いの深刻さを表すとも言えます。

産業革命や日本の文明開化も主な働き手は女性でしたね。

日本がもし、早くから身分差別による支配を捨てていれば思想や科学で西洋に遅れを取ることはなかったでしょう。そのうえ男尊女卑も捨てていれば圧倒的でした。が、しなかった。

もし西洋が昔から男女平等だったら、思想から科学まで偉人の数はルネサンス期から倍か倍々ゲーム的に増え続け、今よりさらに圧倒的優位に立てたでしょう。しかし、しなかった。

目先の儲けや、今のインセルそのまんまの「女が儲かったらオレが結婚できない」みたいな主張で随分損をしてきたわけです。

そこまで恐れるならいっそ古代エジプトみたいに女系重視夫は妻に絶対服従っていう文化のほうが女の人は結婚しやすいし、個人も社会も安定すると思います。実際千年単位で安定してましたしエジプト。

筆者はだいぶ嫌ですが。

ともあれ男尊女卑の文明の、どれもこれも短命なことよ。

女性蔑視依存が極端なために日本は、しばしば奴隷解放前の米国南部にたとえられます。

奴隷州が奴隷労働に依存しすぎて技術革新に遅れを取ったように、今現在の日本は女性の奴隷「的」労働力に依存することで技術革新が遅れている。

それでも当時の米国奴隷州の奴隷所有者は、しばしば今のアンチフェミとそっくりな被害妄想を募らせていました。

「あいつらは怠け者で気楽で感情的。俺たちに守られている。俺たちは勤勉で努力家で守られていなくて不幸だ。」

とか思っていました。

残念ながら現代先進国男性は19世紀や20世紀的な特権階級の正統後継者で、女性や目下に尻拭いされて生きている自分に気づかず生きることが可能です。

さらにアンチフェミさんたちは自分と他人の区別という論理的思考の基礎を欠くので、非現実的にも「自分の支配が他人の幸せ」と思い込んでいる。

一般的に、働いても報われない集団の人は勤労意欲も昇進意欲もそれなりでしょうし、客観的に不遇な人は主観だけでも幸せになろうとするものですし、客観的に幸福な人は主観では幸福度が低いものですが(上を見たらきりがないから)、そういう深慮が足りない。

アンチフェミさんの被害妄想「女は消費するだけのくせに」「女は怠け者」「女性の上方婚」


男尊女卑を含む身分制度では、人のやりたがる仕事は上(典型は男)が占め、人のやりたがらない比較的必要な仕事は下(典型は女)に担わせるので、女性は比較的ケガレとされがちな分野や工程に偏ります。

医療も食品も然り。家庭内の家事分担も然り。うんこおむつはなぜか妻まかせにしたい…で夫婦げんかの火種になったりね。

男尊女卑は身分制度の名残だからこそ

飯屋や菓子屋であれ保健所や医者であれ、サラリーマンと専業主婦世帯であれ、つらく儲けになりにくい工程で女性に依存する仕組みが出来上がっている。そのため男尊女卑が改善されにくい。

と考える常識や感覚が、アンチフェミにはないわけです。

だから

「自分が女なら仕事辞めて専業主婦になりたい(!)」だのと、自他の区別がなく育児や介護の費用すら考えない非合理的な発想を他人もすると思い込んでいたり (両親4人+夫婦+子供3人を女性が世話する現行制度の自民党的理想家族なら、男側のピーク時年収で1000万円はあったほうが良いし、それでもカツカツだろうし、病気や障害で簡単に詰むと思います)

「女性の上方婚をやめさせる教育を」だのと原因と結果を完全にはき違えた発言をしたり

「男を働かせて消費するだけのくせにスイーツでインスタ映え狙いやがって」だのと『食品産業は女性比率が高く給与は低い。女性はさらに低い』という小学社会レベルの現実を見ないまま、独身女性を恨んだりする。

アンチフェミさんは自分が良い支配者だと思いたい


「良い支配者」は自家撞着した概念です。

良い判断には良い情報が必要ですし、男尊女卑でも身分制度でも地位の差があればあるほど忖度や保身で必要な情報は入らない。よって優秀で善良な人も徐々に狂っていく、暗君とDV男の製造システムともいえます。基本的に間違う。だからこそ古の人はお上や男が神の代行者とか言い張った。

つまり、アンチフェミニストは今でも「良い支配者」という三流ファンタジーを信じている人々です。なのでしばしば歴史修正主義者とニセ科学信奉を兼ねます。

というのも、彼らの世界観は基本的に俗な西洋風ファンタジーや俗なおとぎ話と俗なファシズム風ニセ科学の折衷なんですよね。前も書いたけど。

まずファンタジーやおとぎ話は現実で実現しないからこそのおとぎ話です。

一流アスリートも最新の知識を持つ若手キャリア官僚も、国会に行けば貧弱で不勉強な老人のパシリでしょう。現実には弱肉強食などスポーツくらいしかない。だからこそ人々は弱肉強食を求めてスポーツや創作物を楽しむ。

また、人は権力や腕力やお金を持つ人々(主に男性)に優しいので、年少者や女性を守ることも普通ない。ないからこそ女性や年下を守れと唱えられるし、そういう正義を見たい人が多い。

けれどアンチフェミは現実と創作の区別がつかないし、女性に守られている自分を直視したことがない。自分の弱かった人生前半の十数年を忘れているし、自分の弱った老後の数十年や病人姿を想像できない。

そして「女や弱者は俺たちに守られているくせに俺たちに感謝がない」と被害妄想を募らせるわけです。

また、彼らの信じる20世紀前半のニセ科学は今の科学的常識と逆です。

動物のボスは優れたオスであるだとか、生き物は優秀なオスの遺伝子を残すものだとか、人の有能さは男らしさの多寡によって決まるだとか、狩猟や肉の分配で男脳女脳が作られただとか、支配階級は男らしい人々だとかいう1930年代のテストステロン神話や、せいぜいナチ的な世界観を彼らは今も唱えている。

「帝や王や騎士や武士は庶民を守り、宗主国が植民地を守り、男尊女卑が女性を守り、男が働き戦って社会を守ってきた」みたいな三流ファンタジーな世界観を彼らは今も唱えている。

よって

「被支配者(女たちとか)は俺たちに支配され養われて幸せなはずだ、文句はおかしい」って世界観と被害妄想に陥る

万事が逆です。

*たとえば成人特に男性は腕力があるぶん、女性や子供を搾取しがちです。戦争や重労働も。なので「男女平等にしたいなら女も重労働しろ戦争に行け」っていうアンチフェミの主張は理屈が転倒しています。また、男性は通常偉い男性を守る役割である以上、人道的な意義のある戦いから逃げがちです。正義のある戦い*は古今東西、びっくりするぐらい女性の功績が大きい。
**支配側は守られているがゆえに現実が見えにくく、不安を持ちやすく、集団ヒステリーに弱いものです。男尊女卑もその他の身分制度も「自分は高等で相手は下等」というニセ生物学や「自分たちの支配が相手を守っている」という歴史修正主義や、庶民や植民地人や女性や奴隷(and/orは色々ある)を「怠け者」「無能」と罵倒し嘲笑し「気楽そう」「幸せそう」とヒガむアンチフェミ的なトンデモに古今東西事欠きません。笑えるんで調べてみると良いです。


どこでも主な働き手は女性


産業革命や日本の近代化の女性労働。農業工業商業の小規模自営における女性下働きへの伝統的な依存。三ちゃん農業など

それらはわかりやすいですが、現代サラリーマンと主婦も同じこと。社会に必要とされ社会の維持に貢献する主な労働力は一般的に女性側(この場合主婦)ですが、彼女ら個人にはカネと名誉が与えられない。

タダや低賃金労働で女性を働かせた利潤と地位は女性本人にほとんどわたらず、夫とどこかの男性に回る仕組みです。


男尊女卑は身分制度なので、人のやりたがらない比較的必要な仕事を女性に背負わす


何度も書いたけどこれは覚えておいたほうがいいです。

「男尊女卑を含む身分制度では、人のやりたがる比較的どうでもいい仕事は上が占め、人のやりたがらない比較的必要な仕事は下(典型は女性)に担わせる。」


たとえば日本。士農工商と今は言わないかもしれませんが、昔の士農工商えたひにん、今の上流中流労働者階級など、どの階層にも見受けられる現象です。

またほぼあらゆる集団の内側で、男尊女卑による同じ現象が見られます。

戦争や重労働も「職人芸的で名誉ある部分」と「下働き」に分かれるもので、女性を酷使してきた部分が機械化された結果、男の職場になった面があります。

世界中、戦争や建築建設や鉱山労働もそうですし、ITなんかもそーですね。

世界各地でみられる分かりやすい例が織物。もし比較的ラクにカネになる織物なら職人芸的な工程を男性が占めて、女性を排除して下働きにします。日本の伝統工芸も「女を職人にしてたまるか」っていうお気持ちゆえに人手不足で衰退した面が多々あります。カネになる織物でもペルシャ絨毯などのように職人芸がもし辛ければ女性に格安でやらせて男性が稼ぎます

「男性は家族を養わなければならないから真剣に働く。女性は真剣さが足りない」というアンチフェミの妄想と現実は逆。

俗に言う男女の違いは身体の違い。

女性は結局自分で家族を養わないとならない(子供を抱えやすい)から「寝食つき住込みだけ」「最低賃金だけ」みたいな劣悪な条件でも飛びついてしまいやすいし囲い込みやすいし逃げられない。てだけですね。

そこまでいかなくても世の中は万事アンチフェミニズムの逆です。

最近筆者が見かけた珍しい例では、不動産広告で見かけただけなので忘れましたがロフォーテン諸島だったか海塩の製塩が男の仕事で、住宅建設が女の仕事だった地域があります。

そこでは海塩の製塩がおカネになるから男性が占めていた。おそらく、いや賭けてもいいけど女性は製塩から排除されるか下働き止まりでしょう。世界中そうなので。

しかも同地域の建築でも、カネと名誉になる公共建築などは男性の仕事だったはずです。ギルド的組織ってのは世界中どこでもそんなものです。

ともあれそこでは家を建てる大工仕事は女の仕事で、民家の屋根も女手で海藻でふいていました。重労働で危険で必要な仕事のなはずですが、だからこそ男性がやりたがらず、女性がやっていた。

おかげで今も面白い古民家が残っている。ちなみに海藻が化学反応を起こすよう作られていて堅牢で冬暖かいらしい。


また、南スーダン以南やサブサハラのアフリカなどでは今も少女に重い荷物をもたせて自分は銃を持つ少年兵が風物詩…いや社会問題です。

近世ヨーロッパにもいましたねえそういう傭兵。多分中世日本にもいたと思う。

重い荷物を持つよりは銃を持つほうがカネになるしラクで安全です。だからこそ女に持たせず、男性が銃を独占する。

そもそも人間の大半は年寄りと子供と病人けが人and/or女性のはずで、どの社会でも女性が守っている。女性も人間なので弱者を守らないケースも多々あるが、女性が守らなければもう後がないから悲惨です。

だから社会を守りたいなら、カネでも銃でもまず女性たちにもたせたほうが一般論としては合理的ですが、そうなりません。

ここでボスの身になってみましょう。女どもは多分オレを恨んでいて、オレを撃って老人子ども病人や女性を守る社会を実現しようとします。それが怖いんでしょう。だから男同士の集団心理が効く少年兵に持たせるわけです。

少し前アツギなどの女性蔑視が炎上しましたが、軽工業って昔から女性差別に依存してきたでしょ

軽工業は長らく日本の花形でしたし、伝統的かつ主要な労働力は女性です。つまり、昔から「男性が」「女性を」ろくな賃金を渡さずろくに昇進もさせずに使い、差別で儲けてきた。

女の人に家族を養えるまともな給料を渡したほうが社会は安定し発展し長期的に良いと思うんですが、しなかった。

軽工業は薄利多売が多いですから削りやすいとこを削るんでしょうが、グンゼもアツギもフクスケも、はたまたワコールなんかも、昔から目先の女性差別に依存して収益をあげてきた。なので変な保守活動も目立つんですよね。

彼らにとって女性は文字通り、男性を守るための資源に過ぎない。

彼らの本音なんて「過去も未来も、女性は尊厳も知性も無視可能な労働力であってほしい」ぐらいのもんでしょう。人間扱いしていたらそんな雇用慣行はないですし。

なのでやらかす。

ともあれ日本や軽工業にかぎらず

女性をその社会の主な働き手としつつ、女性には現金や地位を渡さずに男性が占める姿が近現代の正味なありようです。

だからこそ

「女と男のどっちが楽か」というよくある議論では「一般的に女のほうがより辛い」と考えていい。

「下に楽をさせるな」「女に楽をさせるな」という仕組みと運用があるからこそ身分制度が続いてきたし、ジェンダーギャップが残ってるんですよ。

2021年は社会ぐるみでの女性依存に光が当たった一年でした。

女の人たちに対する消費が性的消費だけではなく、生まれてから死ぬまでの人生すべてにわたるただの搾取で、政府も企業も、あちこちの個人も、女性に保護してもらう前提に依存し「乳離れできていない」という事実が鮮明になったと言えます。

各国の男性リーダー、森元首相、市長会長の相馬市長やアンチフェミ、自称弱者男性の一部などのように女性蔑視や女性虐待に依存し、ニセ科学と歴史修正主義と改ざんにすがる情けない男性たち(一部女性もいるが)の害悪も改めて炙り出された。

嫌がらせで成立する社会


男尊女卑を含め、身分制度は実力主義ではない。実力も才能もない少数が大勢の実力のある人を含む圧倒的多数を安定的に支配するために理不尽にでも潰す制度です

鎌倉時代の御恩と奉公に似た論功行賞は世界中で広義の封建制のベースとされてきたはずですが、長くは続きませんでした。元寇で習いましたよね。

江戸時代のように、より下の者への嫌がらせを仕組み化し、人道と進歩を犠牲にすることによってやっと安定していました。

日本では特に、人間の自由と平等を正義とするキリスト教社会ではなく、身分秩序の維持そのものを正義とする儒教(朱子学的?)的社会ゆえに激化した。


参勤交代などは嫌がらせのわかりやすい例ですが、男尊女卑の慣習は今もあちこちに残る身近な例です

男尊女卑に限らず、現代の日本の仕組みや慣習は帝国という絶対的な身分制度と不平士族対策や米騒動対策のころに一旦できちゃってるから、国家公務員も大手企業サラリーマンも教員でも嫌がらせ的慣習の対象です。

とはいえ、性質上、地位が下になるほど嫌がらせの度が激しくなるのも確実。

そのへんの女性(特に他の被差別集団にも属する女性)などに対しては、日々の一挙手一投足に嫌がらせをする慣習が出来上がっているぐらいが自然

「フェミニストが何にでも文句を言う」のは、先人が頑張って日常の隅々に男尊女卑を組み込んできたからですよ。

例えば#KuToo運動のように、男性が「革靴必須」なら女性は「甲のあいたヒール付き革靴必須」。ハードルが一段階上がる

女性への嫌がらせを社会の隅々までシステマチックに行う慣習は、弱者男性へのガス抜きでもあります。

男として自信のある男性がわざわざ女性を蔑視する必要は全くないでしょう。でも正直自信がない人は多い。

だから「弱っちい意気地なしは女でも殴ってろやガハハ。」っていう昔のお上の、身分制維持の仕組みに乗っかったりする。

社会もそれを許してきた。

遊郭であれ、kutooであれ、ピルや経口中絶薬や無痛分娩であれ、風俗産業やポルノ的な表現であれ、自称弱者男性や偉い男性のヒステリックな女性叩きは分かりやすい例ですね。

まとめ

「下に楽をさせるな」は身分制度の合言葉でした。

「女に楽をさせるな」は20世紀の後半まで社会の隅々に行き渡っていた、制度設計の合言葉でした。今でも政治家や高齢男性有力者は時々言いますので、頭の片隅において2年ぐらい世間を観察するといいです。アンチフェミにはよくいますね。

ともあれ、アンチフェミニズムは順調に滅びつつありますが、徹底的に滅ぼさなければならないと考える次第です。