数学が得意な受験生はべつに大学受験の超難問は解かない
アンチフェミニズムはニセ科学や歴史修正主義の宝庫であり、彼らを批判的に観察することは、現代世界の老若男女の娯楽だ。
とはいえ最近、アンフェさんとアンフェ批判さんの両方が奇妙なことを言っていたのでこれを書く。
受験テク
「東大京大東工大理系の数学の超難問」には有名かつ簡単な受験テクがある。
筆者はもろにその志望校と志望分野の受験生だったので当たり前だと思ってたのだが、案外だれも知らなかったので書く。
コツは「超難問を最初に見つけ出して回避」だ。解いても深入りしないこと。
「数学が得意な高校生」と「大学受験の超難問を解きたい人」は一部しか重ならない
もう少し具体的にいうと
超難問はしばしば魅力的であるし、一見平易にみえることや、最初の何分かまでは平易だと感じることもめずらしくない。電車内の日N研広告のように人を引き込む。
往々にして深入りしかねない。
初見でも時間を割けば解けるかもしれないが、そういうことを楽しめるヒマな電車内じゃあるまいし、もし超難問1問に正解できても、他の設問が疎かなら合格は遠のく。
なので大学受験時点での目標は、
超難問を見抜いて回避し、他の問題と科目を得点源とし、それでもなお合格できる点を取ることだ。
言い換えると、難問を見抜き、他の設問くらいまでは全て完全に正解を出すためにこそ、大量に解く経験を積む。
たとえば東大だと確か「1問25分」が第一関門だったと思うが、理想は「捨て問」以外を半分くらいの時間で解きおえて検算できる状態を目指す。余った時間で捨て問を解く。
物理と化学と英語には超難問は出ないので出来るだけ満点を目指す。
そのために勉強すべきとすら言える。
少し考えれば分かるが
「数学が得意な理系の受験生」で数学を志す人はごく一部である。
大半の受験生にとっての目標は道具としての数学習得であり、圧倒的多数は工学へ進み、他も物理や化学や生物や地学に役立つ数学へと関心が分かれる。
なので、それらの科目の計算問題に時間をさいてパーフェクトを目指すほうが数学の奇問攻略より色々と実用的だ。
数学を志す受験生においても、むしろ数学が好きで得意であればこそすでに大学数学に足を突っ込んでいるから大学受験にはそもそも用がない。
大学数学を使わずに高校数学の枠内で解く不毛さが苦手だったり
「あれを使えば一発なのにね。美しくないよね」と思ってたり
そのへんはスルーして大学入学後に焦点を当ててたり
する。
出題者側も同じように
知る限りのパターンでは
「大学数学に浸りすぎて正直すでに高校数学を思い出せず一々調べるのが辛い人(「ええ?こんなこともやってないの!」)
「高校数学の枠内での超難問などという醜いモノが好きではない人」
「捨て問に引っかかるやつは修行が足りん、と考えてワナのつもりで作ってる人」
「基本的に「捨て問」扱いで誰も見向きもしないだろうなーと思っていて、解いてくれる人がいると嬉しい人」
など色々いる。
初級算術で言えば、鶴亀算を知るより先に代数を知った人間が鶴亀算を学ぶ意義を見いだせず、モチベをもてず、解くかどうかは好き好きなようなものだろうか。
教える側も、代数を知っている子供にいちいち鶴亀算を教える意欲はあまり沸かないものである。
まとめ
つまり超難問に挑むのは「数学が得意な生徒」ではなく
・筆者がいたような受験文化、のないところからきた人か
・数学が《得意なのに》なぜか「高校数学の枠内で難問を解く」苦行に挑む奇特な人
辺りだろう。
そこでフェミさんとアンフェさんの議論に戻る
結論からいうと、最難関校理系の受験生は、基本的に超難問を解かない。
とはいえ、アンチフェミさんを含めて従来人々が信じてきた男女差論は、脳であれホルモンであれ進化心理学であれニセ科学である。
性別自体がナンセンスであり強いて言えば女性が生き物の主役だとわかって20年以上たつが、古代から最近まで人々は
「男女の性別は宇宙の真理であり、男は優れ女は劣り、オスこそが生き物の主役」
と信じてきたし、国も企業もその前提で制度を作ってきた以上、その中で育つ人々もほぼ、そう生きるしかない。
生物学的/医学的には、性別は、その生き物の遺伝情報の数だけある。人間の場合は一人の中に約2万の性別がある。
人間は男女とも女性/男性ホルモン両方で生きている。胎児期の早い時期、ひとつひとつ遺伝情報が発現するときに
・女性ホルモンの影響で発達
・男性ホルモンの影響で抑制
・大半はどっちからも影響される
という形で個性が生まれる。
これはどの生き物にも共通であるらしく、たとえば植物に含まれる女性ホルモン様の物質が人間にも作用することや、人間が男性ホルモンで禿げたりすることを考えれば分かりやすいかもしれない。
「何らかの能力が高いとすれば、その人はその点において生物学的に女性」といえる。
俗に言う性別は約2万のうちせいぜい2つか3つ、身体の違いだけだ。その身体の違いも俗に言う性別と逆で、ヒトの男性は身体がメス化した=大きめな人々であるが。
現代の、日本の外の人々や、日本でも頭のいい学校の人が「性別なんてほとんど無意味でしょ」と主張する理由である。
大学受験とはいえ上記のどの学校のどの理系分野も男女同数いるのが自然なので、日本は特に際立って男が多いぶん、残念なことに、世界中から女に守られた無能の巣窟扱いされている。これは、世界中の同様の環境で学び働く男性が広く共有する自戒でもある。
というのも
古今東西、カネand/or名誉になる職業はギルド化するものであり、男性が占め、立場の弱い男性や女性一般は排除され下働きにとどめられる。
という法則があり、学問もその例外ではないからだ。
色々入れたほうが長期的に発展するはずだが、身分制にはそういう論理性も長期的な視野も解決思考も乏しかった。近代社会も、女性の下働きに依存していた。
現代の家庭においても傾向として男児の学習時間は保護されやすく、女児は雑用係や下働きに時間を取られやすいほか将来の介護用でもあるので、「捨て問を見抜き、標準的な難問を全問正解できる程度に解く」経験値は、女性は積みにくいんじゃないかね。
近代社会も、市民男性を主要メンバーとし、彼らが下僕や下僕同様の妻子を使う前提でできていた。
どの産業もつい最近まで、成人男性が女性や子供を酷使してカネと名誉を独占してきた。戦争であれ現場仕事であれ工場労働であれ、数学やITであれ、技術の発達で「男性だけでもできる(カネと名誉になる)仕事」になった経緯がある。
社会で年少者や女性を守ろうという掛け声が盛んなのは「普通は守られないから」であり、守っているからではない。
現代社会では市民男性は下僕の代わりに女性を使う。
というより、身分差別や人種民族差別や植民地支配や児童労働が表向き消えた戦後は、従来通りの市民男性の下僕となる、人権を無視して使える対象が女性しかいなくなった。
その前提で企業も政府も仕組みをいったん完成させている。1972年にジョン・レノンが女は世界の奴隷か、と歌ったように。
なので女性は守られないし、雇用もされにくいし、低賃金が正当化されやすく失職しやすいし、ニセ科学で差別を正当化されがちだ。
我が子や老親を人質に取られ、かつニセ科学や慣習で差別された状態で家族を守る、という条件下で、彼女らが低賃金不安定雇用の社会インフラ的な進路(主婦の場合は無賃)に偏りがちなのは理の当然。
君らのライバルに女性がいない/少ないとしたらそのためであるし、文明や人類の進歩に反するし、人道にも個人の幸福にも反する。
そのようにアンチフェミニズムは滅びつつあるし、完全に滅ぼされなければならない。