捨て難きを捨てる
梅雨の真っ只中、食器棚の上半分を捨てた。
残った下半分を移動させたら、リビングの約半分ががらんどうになった。
ガラス扉がズレている
それに気がついたのが、かれこれ6年前になる。
購入した会社が遠方で自分で直さざるを得ず、また子どもも大きくなってガラスに手が届くようになった。ガラス飛散防止シートを貼ってはいたが、子どもがさわるたびに内心ヒヤっとしていたなぁ。
代理店が、ない
それが判ったのが、この春のこと。
いざ上半分を撤去しようと買ったお店に連絡をしようとしたら、お店は数年前に閉まっていた。
捨てる実感が湧いたのは、こう告げられたときだった。
自分の手に負えないものを、持っていてはいけない。
そのことがくっきりと自分のなかに形をもって浮かび上がってきた。
「今日でもいいですよ」
ここからは早かった。
地元の回収業社を探して2つにしぼり、そのうちの1つに見積とお願いした。自宅に来てもらうと「今日でも持って帰れますよ。10分で済みます。」と言われた。
その日までには、たいして入っていなかった食器やら飾っていた写真などはだいぶ厳選していた。が、心の準備ができていなかった。
食器棚下半分の引出しを外さないといけなかったり(金具やストッパーが付いていて、一筋縄ではいかず苦戦した)、移動させるなら中身もすべて空ける必要があると判り、回収するのは結局一週間後になった。
自分の机がほしかったんだね
実際に持ち帰ってもらう作業は、ものの10分で終わってしまった。そのあとで下半分を移動してもらったが、それを含めても20分とかからなかった。
食器はただ一枚をのぞいてすべて台所におさまり、残った棚の下半分には子どもが嬉々として自分の服をたたんで仕舞い、引出しには玩具をぱんぱんに詰めていた。
書類のファイルをおさめたかった私からすると「思ってたのとちがう」と声を大にして言いたかったが、棚を自分の机に見立ててそこで宿題をしたり本を読む子どものうしろ姿に、自分の陣地を得た誇らしさが滲んで見えた。
しばらくはこのままでいっか。
なんか子ども部屋みたい
棚の上半分がなくなり、下半分を移動させたあとテーブルの向きを変えた。リビングの半分近くがモノがなくなって床だけになった。
台所からリビングを見たときの第一印象は「なんか子ども部屋みたい」。
目線が下がっただけなのに、部屋そのものがひとまわり小さくなった気がした。いわゆる子ども部屋のないわが家だが、自分の背よりも高いものがなくなったリビングに、自分が小人になったような感覚をおぼえた。
「声がひびくね」
家人が帰宅した第一声が、これだ。
160cmほどあった棚が半分の高さになり、リビングに空洞ができて声が壁にぶつかって跳ね返ってくる。子どもの歌がより大きく聞こえて、家人の話し声にもわずかに残響があった。
回収してもらってひと月近く経った今では耳も慣れてしまったが、かつて家に来たことのある知人が来たら、なんて言うかしら。
親が買ってくれたから
ずれたガラス扉を直したあとも6年間気になっていたままにしていたのは、ひとえに親に買ってもらったから。結婚を機に今の土地に移り住んだとき、テーブル、椅子、ひとりがけのソファ、そして食器棚を支度してもらった。
いずれも北欧のもので、がっしりしており、ガラス扉をのぞけば不具合もなかった。あ、ソファの一つは背もたれに黴がはえてしまい、棚の上半分と合わせて持って行ってもらったけれど。
捨てることが頭をよぎってから何年も、この台詞が頭のなかでこだましていた。
吹っ切れたのは、代理店がなくなって頼るところが無くなったから。『直す』という選択肢が手持ちの札から消えたとき、棚を手放す決心がついた。
親には、上半分を処分したことをまだ話していない。「やいのやいの言われるんだろうな」と思い、口を噤んでいる。帰省してもわたしからは話さない。子どもが「もうないんだー!」と他意なく話すことはあるかもしれないけれど。
ま、そのときはそのときだ。
いまはベランダに向かってテーブルにつき、ガラス扉のない視界をただただ樂しんでいる。
それでいいのだ。
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