人体、臨終の瞬間に自然発火したらいいのに

連日の猛暑が一転し、肌寒い日々がはじまった9月の初旬、母親からLINEが届いた。

おはよう! 
突然ですがおじいちゃんが亡くなったそうです。

父方の祖父の訃報だった。

LINEが届いたのは仕事中だったので、上司に「身内が亡くなったので、忌引きを取る可能性がある」ということを伝えた。
すると、そのとき直近の日程に仕事のアポイントが入るかもしれないタイミングだったので、「もし告別式とアポイントが被ったらどうするのか」と問われて、「そしたら告別式に行かなくてもいい理由になるから、仕事を優先します」と答えた。

ただ、幸か不幸か、その後送られてきた葬式と仕事のスケジュールを見ると見事に被らなかったので、苦々しい気持ちを抱えながら通夜にも告別式にも行くことになった。


葬式に行きたくなかった理由


私にはこれまでの人生で殺意に近い憎悪を向けてきた人間が2人いて、そのうちの1人が自分の父親だ。

私が小さいころから家にいた記憶があまりなかった。
どのくらいいなかったかというと、10歳くらいまでテレビドラマで見る家族全員で食卓を囲むシーンはファンタジーだと思い込んでいたほど。当たり前のように両親と一緒に食事をしている同級生たちの話を聞いて、「もしかしてうちがおかしいの……?」とようやく気づいた。
めずらしく休日に一緒に食卓を囲んだかと思うと、私の食べ方が勘に触ったようで、ダイニングから玄関まで力ずくで引きずられて叩かれつづける、ということが何度かあった。その後、母に叱られて正座したまま俯く父を見て、ざまあみろと思った。

そして、母からは父に対する愚痴をずっと聞かされてきた。
「夕飯がいるかどうかの連絡をいつもくれないのに、用意しないと怒る」
「そのくせ食べ物の好き嫌いが多くて困る」
「なんであんなのと結婚しちゃったんだろう」
父と接する機会がほとんどなかった私は、「大好きなママをこんなに苦しめるなんて」と母の分まで怒って、憎んだ。そして、「離婚したらママについていくね」と何度も言った。べつに「もし離婚したらどうする?」なんて聞かれたわけじゃないのに。
高校生のころにアダルトチルドレンという単語を知って、「私のことじゃん! これって共依存だったんだ……」と気づいたのはまた別の話。

極めつけは、父が自分の子どもの名前を間違えたこと。ダイニングテーブルに置かれていた母宛のメモに書かれていた妹の名前が間違っていたのだ。それを見た瞬間、「もうこの人は父親なんかじゃない」と思った。

それから今に至るまで、15年以上にわたって会話をしていない。私が高校卒業とともに実家を出たのもあるけれど、離婚したわけでもなく別居しているわけでもない両親のうちの片方と一切話さず15年も生きれるなんて、変なの……と思う。
そんな父は長男なのでおそらく喪主を務めるし、祖父も祖父で母にここ数年負担を掛けていた。私にとって今回の葬儀は、そんな喪主と故人と会わなければいけない場だったので、行かなくていいなら行きたくなかった。母方の祖母の葬式に行かなかったトラウマだって蘇るし……。


渋々行った葬式での出来事


通夜の日。昼過ぎに親族で顔合わせすると言われたので、実家の最寄駅で母と妹と落ち合って、葬祭ホールに行った。

到着すると、私も母もはじめて会う父方の叔母や従姉妹たちがいた。彼女たちに対して「ずっとお会いしたかったわ」いう母を見て、皮肉で言ってるのかな……性格悪すぎるな……なんて思いながら席についた。
そんな母に対して叔母は恐縮してしまっていたし、従姉妹たちは小学生なうえ人見知りだったので、会話なんて弾むわけもない。
私が幼い頃、めずらしく父と一緒に食卓を囲んだときに母が言った「お通夜みたい」という言葉を思い出した。ほんとの通夜で「お通夜みたい」なんて感じると思わなかった。しかも、故人を惜しむ以外の理由で。

葬祭ホールのスタッフに「エンバーミングの時間なので、ホールにお越しください」と言われてぞろぞろと行った。
エンバーミング後の遺体を見せてもらって、チークで血色感を出したりする程度だろうと思ったら、目の前で遺体にシャワーをかけ、石鹸を泡立てたタオルでごしごしと身体を洗いはじめたので度肝を抜いた。
被された白い布で肌は見えないようになっていたし、うっかり局部が見えたりしないようにその下にもう1枚布が敷いてあったけれど、自分が死んだ後にこんなことされる可能性があるなんて……とゾッとした。棺に入った自分の死体をじろじろと見られることだけでも我慢ならないのに。

喪主は案の定、父が務めていた。
その言動は、30年以上会社員をつづけているとはとても思えないものだった。エンバーマーさんに遺体の化粧を確認されたときには、何かしら注文をつけることが礼儀だと思ってるんだろうな、と思うような対応をしていたし、お清めの食事のときに挨拶するなんて分かりきっていることなのに、なにも準備していなくてしどろもどろにモゴモゴしていた。
そのほかにも、目や耳に入る言動すべてに失望した。

そして、故人の長男の長女である私は、母から受付を頼まれていたので、渋々受付に立って愛想笑いをしていた。
当然無給だし、故人に対して「母に迷惑をかけた人」という嫌悪感しかないし、さらにタイミングの悪いことに受付の時間中に推してるアイドルのオンライン特典会が開催されていたりしたので、本当に嫌でたまらなかった。
「いまこの瞬間、一番推しメンに助けて欲しいオタクはたぶん私なのにな」とちょっとだけ泣いた。自宅に帰ったあとは、もっと泣いた。自分のそこそこ近い距離なはずの親類の葬式を、こんなにも嫌だと思ってしまう自分に対して。

そして父とは結局、目も合わなければ、会話することも一切ないまま火葬まで終わった。


あの夏についたままの生傷


5年ほど前、社会人1年目の夏のこと。もう家庭環境に我慢ならないと思って、いままで「これを言ったら母に嫌われてしまう」と自分のなかだけに抑えていた想いをすべて母にぶちまけて、宣戦布告した。
1回じゃ伝わりきらなかったので、長々とした手紙とともに、覚悟の証として実家の鍵を同封した。これで理解されないのなら、もう二度と実家の敷居を跨がないつもりだった。

それと並行して、母方の祖母が危篤になり、そのまま亡くなった。祖母のことは大好きだったし、幼少期に祖母の家で過ごしていた時間が長かったので、味覚も母より祖母に似ていた。
でも、私は危篤の知らせを聞いても、駆けつけるのを躊躇した。なぜなら、当時メンター的な役割を果たしてくれた人と話すうちに、祖母からかけられていた呪いに気づいたからだった。

「おばあちゃんじゃだめだったから、あんたがママとパパを仲良くさせてね」

祖母は私と2人きりのときに、何度かそう言った。
私は幼少期から両親に離婚してほしくて仕方なかったので、頷いたことはなかったけれど。でもその当時の私は「長女だからどうにかしなくちゃ」としきりに言っていたらしい(鬼滅が流行る何年も前だったのに……)。
そしてその祖母の言葉は、自分の問題を孫に押しつけているだけにすぎない、とメンターに言われた。確かにそうかもしれない。

だから、母に宣戦布告したあとに、祖母の危篤の知らせが来ても、会いに行くわけにいかなかった。やっと勇気を出して啖呵を切ったのに、いま行ってしまったら何事もなく元に戻ってしまう。だから、私が会いに行かないことへのショックで祖母の死がより早まってしまっても仕方ないな、その罪も受け入れよう、という想いのもとで、会いに行かない選択をした。

そのときから、人の死に心が動じなくなってしまった。
たぶん、「私が祖母を殺したも同然」という気持ちがずっとあって、でもそんな想いを抱えたままではとても生きられないから、人の生死に対する感情をまったく動かなくすることで、自分の心を守っているのだと思う。

その後、母とは和解して、父との離婚を前向きに考えてくれるようになった。ただ、私がぶちまけた「これまで我慢していたこと」に対する謝罪はいまだにない。


親になりあえる相手を見つけたい 〜『セックス・エデュケーション S3』 メイブの場合〜


先日配信開始されたドラマ『セックス・エデュケーション』シーズン3の7話で、高校生の女の子メイヴ・ワイリーが親友のエイミーにこんな言葉を掛けられた。

母親に愛されないつらさを想像してみたの
私の母親はお金持ちだけど─
時々、クソ親よ
だから私たちお互いの母親になろう

別居する薬物依存の母親と、たまに帰ってきては迷惑ばかりかけていく兄をもつメイヴは、まるで災害時の仮設住宅のようなトレーラーハウスに住んでいるけれど、誰よりも頭がいい。学校で留学の枠を勝ち取ったものの、留学に行くためのお金がない。どんなに努力しても生まれてきた環境が足かせになっていて、羽ばたききれない。

そんなメイヴに対して、何十人もの同級生を招けるくらいの豪邸に住む親友のエイミーが言ったセリフだ。生まれた時点で決まってしまった「足りないもの」は、自分の力で作った関係性で補えるんだ。私もこうでありたいなと思う。

私にとってのエイミーは、アイドルの推しだと思っている。


似たような心の傷を持ったアイドルと出会って、話して、たがいにそれぞれ鬱状態から脱することができた。
私のおかげで推しが明るくなったと言い切りたいわけではない。人生を併走していて、悩みからくだらないことまで共有できる存在がいる、ということに私が救われたのだ。

それに、地下アイドル現場は狭いファンコミュニティなので、大学のサークルに通っているような感覚だ。アイドル現場に通うことで、一生仲良くしていたいと願うような大事な友達が何人かできた。
そうした孤独を感じづらい環境にいたからか、ここ数年は家庭環境による”足りなさ”みたいなものから目を背けられていて、「人生って難しいけど楽しいな」と思いながら生きることができていた。


死んだ後は1人でいられない 〜『大豆田とわ子と三人の元夫』 かごめの場合〜


でも、どんなに家庭とは関係ない場所で大事に交友関係を築いたとしても、死んだあとに周りを囲むのは血の繋がった人間たちだ。
メイヴとエイミーがお互いの母親として機能しあったところで、もし仮に未婚のうちにメイヴが死んだ場合、弔うのは薬物依存の母親か兄になる(実際はこの母親は改心しつつあるけれども……)。
そう思うと、こうして家庭の影響から逃れようともがいていることが何の意味もないように思えて、絶望してしまった。

結局、自分が誰かと結婚することしか解決の糸口がない……でも結婚はしたくないし、子どもを産むことはもっと嫌だ。だって、呪いを再生産してしまって、子どもが自分と同じような想いをする可能性があるのだから。

そもそも、なんで誰も彼もがあんなに丁重に葬式を行わないといけないんだろう。死んだからといって放置していたら犯罪者になってしまうし、私が父親の葬式の喪主をしなければいけない可能性も、母親の葬式の喪主を父親が務める可能性があることも、耐えられない。

なんかもう、人間死んだらその瞬間に自然発火して灰になったらいいのにな。そしたらこんなに血のつながりがいつまでもつきまとうこともないのに。親族の前で自分の死体を洗うパフォーマンスをされたり(他人の仕事をこんなふうに言うのは失礼だけども)、死体を友人知人に見られまくったりすることもないのにな。

そんなときに、ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』で主人公・大豆田とわ子の30年来の親友・綿来かごめが死んだ回のことを思い出した。

40歳のかごめは、子どものころから虚言癖で友達がいなくて、おまけに親族から逃げ回っていて、適応能力がないから働くこともできなくて、でも小学生のころからずっととわ子と親友だった。
そんなかごめが死んで、かつてとわ子に言った「ぜったい実家の墓には入りたくない」という希望は叶わなかったけれど、とわ子はかごめの葬式の打ちあわせに同席して、見張って、できるかぎり口出しした。かごめらしい式になるように。

見返しながら、誰よりも本気でかごめの葬式の準備をするとわ子の姿を見て、かごめはなんて幸せなんだろうと涙が出た。
同時に、私も葬式に口を出しまくってくれる親友を作ればいいんだ、という一筋の希望が見つかった。


さいごに


「葬式に口を出してくれる親友を作ったらいいんだ」とはいっても、自分にできるかどうかはあまり自信はない。だって、他人を自分の人生に巻き込みまくることになるし、そこまで自分の人生に対して胸を張れないし……。

でも、実家から脱出して10年でだいぶ変われたんだから、きっとまだまだ変われる可能性はあるよね。できるか分からないけれど、目標に掲げないと叶う可能性がさらになくなってしまうから、めげずに望もうと思う。

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