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そのスピードで

夕方4時過ぎ。
我が家の玄関から見える、曲がり角のギリギリ手前。
自転車にまたがったまま、ハンドルに突っ伏して泣いている。
サッカーのユニフォームを着て、泣きながら、大層怒っていらっしゃるのは小4の長男。

小4になると、学校で自転車教室がある。
無事に講習を終えたら自転車の免許なるものが配布される。
そうすると晴れて、子どもだけでも町内で自転車に乗ることが許されるのだ。

家の前でちょろちょろとS字を描くだけでなく、友達と公園に遊びに行くのにも自転車移動ができるようになる。
小4の子どもたちは、早い子だと、自転車教室のあったその日から、自転車を乗りまわすようになった。
長男も、新しく買ってもらった少し大き目の自転車を意気揚々と乗り回す日々。

週に一度習っているサッカーでも、上の学年のお兄ちゃんたちが自転車で来ているのを見て「僕も4年生になったら自転車で行く」と小3の終わりごろから自転車に憧れていた。

免許をもらい、自転車を新調して初めてのサッカーの日。
「自転車で行くけん!」と長男は言い放った。

待て待て待て。

サッカーの練習場所は二か所あり、時期や状況によって使い分けられている。
今日は遠い練習場の日。
車で6分、徒歩で22分とグーグルマップが教えてくれる。そしてその場所へはこれまで自転車で行ったことは一度もない。

車で送り迎えはしてきたけれど、その道はバス通りで路肩はせまく、自転車デビューしたての小学生が通るには危険過ぎる。

自転車に適したルートは、いつも車では通ることのない道で、大人の私でも「あの道とあの道はどうつながるんだろう?」とはっきり把握が出来ていなかった。
しかも途中は急な坂道が多く、決して勘だけですいすい行けるイメージは持てない。

さらに、これまでは家の近所や部屋でしか友達と遊んでこなかったので、長男にはスマホやGPSもまだ持たせていない。

私「週末に、一度、パパと一緒に練習場まで自転車で行く練習してからにしよう」

長男「いや!自分で行ける!」

私「車で通るのと、自転車で自分で行くのでは、危険なポイントが全然違うよ。帰りは暗くもなるし」

長男「みんなと帰ってくるけん大丈夫、行ける!」

私「みんなと一緒やったら、みんなに付いて行くのに気を取られて、危険かどうか確認するのがあとまわしになりそうでこわいよ」

長男「大丈夫、ちゃんと見る」

私「暗くなって、知らん道で、お友達は早く行ってしまって、置いていかれたらどうすると?迷子になって不安な気持ちで帰って来るのは危ないけん、一度ちゃんと練習しよう。そして危なそうな場所を確認してからにしよう」

長男「免許もらったら、サッカーにも乗って行っていいって言ったやん!!」

そこで、泣いたり怒ったりが始まった。

友達と自転車で習い事に行って、帰って来る。それに憧れる気持ちはわかる。なんか自由で、ぐっと大人になったような気がするんじゃなかろうか。

だがしかし……こちらの声かけをじっくり聞くこともなく「行ける!大丈夫!」というのがもう怖い。
交通事故なんて大人でもふいに巻き込まれてしまうのに。
自転車を自由に乗れるようになって一週間ばかりの10歳に、「大丈夫」なんてことはないんだ!
絶対!

私は自転車を持っておらず、いつも車移動。
ここはなんとしても説得して、今日のところはこれまで通り、車で練習場に送って行きたい。

「気持ちはわかるけど、母は、今は、君の気持ちよりもまず、君の命を守ろうと思います」と粛々と宣言して先に車に乗った。
乗ったのだが。

「おにいちゃん、ぜんぜんのってこんねぇ」
チャイルドシートに座った4歳の次男が、離れた曲がり角で突っ伏している兄を見ながら言う。
そう、全然乗ってこない……
時々うなるような怒った声が聞こえてくるような、、、

騒がしくしてご近所の方に迷惑かけたくないし、
でも「じゃあ好きにしていいよ」とも言えないし、
次男も不穏な空気につられて、そろそろグズり出しそう…

そこらへんで私の中の何かがパツーーーーンと切れた。

もう、もう!もう!そしたら願いを叶えてやる!!!!!!!

まず夫に連絡。事情を説明。ひとまず夫も私と同意見。
夫は駅まで自転車通勤。息子のサッカー終わり時間までに帰宅可能かを確認すると、今日は調整できると思うと言う。
ならば帰宅後、サッカー練習場に行って長男と自転車で一緒に帰ってきてくれないか。行きは私が歩いて送るから、と。
それで話がついた。

さて。
4歳の次男は三輪車に載せて、私が押して行くことにした。サッカーの開始時間にも、あまりゆとりがなくなっている。
突っ伏した長男に「ほら、行くよ!!!」と言うと、ハッと顔を上げた。
自転車の方向を練習場へと向け、漕ぎ始める。

スマホで検索しながら行く、今まで歩いたことのない道。
急な坂道もあり、歩きも自転車も結構こたえる。途中、同じチームの高学年のお兄ちゃんが自転車で追い抜いて行った。

あんなに怒っていた長男は、憑き物が落ちたみたいにスンとして、私たちとおしゃべりも出来ないほど向こうを、ぐーんぐーんと進んで行く。
これじゃあ、ついて来ても、事故に遭うときときは遭っちゃうんじゃないか?
これまた心配になったけれど、後ろから大声を出せば「スピード落として!」と言えるのはやっぱり大きい。

普段かかない汗が滲み、息もあがった。
き、きつい~

無事に、見慣れたグラウンドの景色にたどり着いたときは達成感すらあった。
長男はいざ着いてみると、保護者に付き添われて来たことがちょっとはずかしいのか、こちらを特に見やることもなく、友達の自転車の輪の中に入って行った。
こんにゃろう!

くるりと三輪車の方向を変え、次男と今来たばかりの道を帰る。
そよそよ揺れる小花。
知らなかった公園。
急な坂道の上にどーんと見える山の大きさ。
見つけたものを「ほら見て!」と教え合う。次男とおしゃべりしながらの帰り道はのんびり、ゆかいな気持ちにさえなった。

夜7時半頃、夫と長男が自転車でサッカーから帰宅。
その長男の顔!
誇らしい気持ちを隠そうとしているが失敗している。
その複雑で、ぴかぴかした顔。

やってみたい、やれる、大丈夫 と
本当に?まだちょっと待って、まだ心配 っていう構図。
きっとこれからの10年は、何度も何度も巻き起こるんだろう。
心配するのをいやがられる日もあるんだろう。
心配が必要なくなる日も、くるんだろう。

眠る前、話をした。
「今日自転車で行ったね。どうやった?」
「うれしかった…ありがと」
「一人で行くこと全然こわくなかったと?」
「……ほんとはちょっとこわかった」
ほらね!と言いたいのをおさえて目をつむる。
ほらね!

この夜、私の顔も、たぶん、複雑で、ぴかぴかしていた。


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