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ラジオを収録した話

誰かと喋っている自分の録音ほど客観的に自分を見れることはないかもしれない。

先日、友人たちとラジオを収録した。

趣旨は友人の結婚祝い。その友人にゆかりのある後輩・先輩・恩師・同期各回2人ずつゲストとして呼び、小一時間ほど結婚する友人にまつわる話をするシンプルなラジオだ。

2人のパーソナリティのうち一人を務めることとなった。

もちろんラジオのパーソナリティなどしたことが無い。ましてや人と話すのも得意ではない方だ。

とはいえ、社会人生活ももう9年目。営業なので知らない人とも話す回数はこなしてきたし、ゲストは皆知っている人なので大丈夫だろうと考えていた。


収録を終え編集された音源を先日聞いた。

自分の声の小ささとボキャブラリーの無さ、喋らなさに愕然とした。

仮にもパーソナリティなのにその場に存在するのか?というレベルで声が聞こえない。かろうじて聞こえるのが相槌と笑い声…。

極めつけは先輩方がゲストの回で、先輩方の結婚生活の話を伺い、ひと段落したときに相方のパーソナリティが

「先輩たちに何か聞きたいことある?」

という質問を振ってくれたのに対し、

「いや~、先輩たちのお話し聞いて本当にそうだな~と思いました!」

と質問がない上に話すら聞いていなかったかのようなコメントをしていた。

話ができなさすぎる自分に引いてしまった。

あのとき先輩たちの話を聞いて、自分と彼氏がケンカしたときにどう解決してきたな、この人と考え方が近いな、とかいろいろ考えていなかっただろうか。

言葉にできなければ何も考えていないのと同じなのだ。


この時の話を彼氏にしたところ

「あ~、わかる~。そういうとこあるよね」

詳しく聞くと、私と話していると質問したのに軽い回答しかなく肩透かしを食らうことがあるそうで『もっと聞きたかったな』とモヤモヤする瞬間があるようだ。

私はどうも聞いた話を咀嚼するのに時間がかかり、会話の中で瞬時に言葉にすることがうまくできていないのだ。加えて『自分は話が上手くない』という自信の無さ、まとまりきらない言葉を出すことへの抵抗から、最終的に当たり障りのない言葉として発せられるという悪循環へ繋がっている。


しかし、収録したラジオを聞いて私も私自身に

『もっとあなたの話、聞きたかったな』

と思った。

大事なのはきれいにまとまった言葉、面白い話ではないのだ。

不格好でも自分がどういう人間かをアウトプットすることが『あなたとコミュニケーションを取りたい』という相手への意思表示なのだ。

今度妙な自信の無さで自分に蓋をするようなことがあったら心の中で自分をぶん殴りたい。

ファイトクラブのブラット・ピットのように。



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