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屋台ごっこ😊

少し前に 地元で祭りがありました。

主人が出先から少し立ち寄って
ベビーカステラをお土産に
買って帰ってきました。

主人は ベビーカステラが大好きで
お祭りでは 必ず ベビーカステラを
買います😊

今回はキャラクターではなく
普通の卵型のシンプルな形。
何となく 口にしたら
これが 冷めてても 
しっとりしてるのに ふんわり
奥行きのある 甘さで
めちゃくちゃ うまい!!!

子供と
「なんじゃこりゃーっ!!!
 めちゃくちゃ うまいやん!!!」
初めて
ベビーカステラの奥深さを知りました。

正直 私は
ベビーカステラは
時々 購入する程度で
正直 どこもあまり差はないと
思っていました。

あと お祭りの雰囲気だけでも
基本 全て うまいし~(笑)

しかし 今回は 
なんか ちょっと違う。

主人曰く、屋台の雰囲気も
ピンクとかの派手な感じではなく
老舗ぽかった と。

いかにもベテランそうなおじいさんと
若いお兄ちゃの二人でやっていたらしい。

この話の流れだと
ベテランのおじいさんが
作ってそうなイメージですが
若いお兄ちゃんが焼いていたらしい🤣

今まで ベビーカステラは
ホットケーキミックスで
作っているものだと思ってました。

実際 今までのは そんな感じの味でした。

主人が私たちの食いつきが
あまりに今までとちがうので
興味がわいたらしく、
少し調べてみたそうです。

老舗の屋台は
粉の配分もあると思いますが
味醂、蜂蜜、しょうゆがポイントのようです。

再現したくなったらしく
主人はホットケーキミックスを
買ってきてました(笑)

味醂は 私がちょっとこだわりがあって
まあまあ 深みのある いい味醂があります。
ちなみに 料理用ではなく 呑む用 ((´∀`*))ヶラヶラ

少し脱線しますが
私の友人から教わったのですが
味醂とは 「料理に使うものではなく 呑むもの」
熟成されたいい味醂は 深みがあって 美味しいですよ( ̄ー ̄)ニヤリ

話は戻りまして 
昨晩 主人がベビーカステラを作るというので
せっかくなら、たこ焼きも作って(タコないけど)
屋台ごっこ しようとなりました。

そして 娘は なんと 串焼きを作ってくれました!!
タレも試行錯誤しながらオリジナルで。

娘の作ったブロッコリーがまかれたオリジナル串焼き♪

私と息子は
屋台の雰囲気を出すための
飾りつけ担当。

ちなみに 子ども二人は中学生。
思春期ではありますが
こんな 感じで まだ
企画に乗ってくれます (^^♪

時間があれば 
スーパーボールすくいや
フライドポテト、チョコバナナなどにも
挑戦したかったのですが、
準備が遅くなったので今回は
ベビーカステラ、串焼き、
タコなし焼き(魚肉ソーセージ)のみ

今回主役のベビーカステラ✨
形はちょっといびつにはなってしまいましたが
袋に入れて なかなか いい感じに
できてました ヽ(^o^)丿

主人が作ったベビーカステラ♪

タコなし焼きもできたところで
全て 実食。
どれも うまぁーい Σ(・ω・ノ)ノ!

ベビーカステラに関しては
完全再現とはいきませんでしたが
今までのホットケーキとは
一味も二味も違う奥行感は
少し再現できてたと思います。

改めて 遺伝子レベルで
日本の味が好きなんだと
実感したのと
日本人は 他の文化を取り入れ
自国の文化にアレンジし、織り交ぜるのが
上手なんだなぁと感心しました。

違和感なく自然と溶け込ませていく感じ。

もちろん 伝統を守ることも大事なのですが
四季があるの日本の感性により
日本はもともと他を排除せず
受け入れ融合させること、
感覚的に 違いを否定せず、
馴染ませていく在り方なのかな?と
感じさせてもらえるきっかけになりました。

「侘び」:なくすことができない一つだけのこるさま
「寂び」:すべてが消えゆくさま
ある、ない  をはっきりさせず 繊細で曖昧さを慈しむ感じ。

金子みすゞの『星とたんぽぽ』より
「見えぬけれども あるんだよ
 見えぬ ものでも あるんだよ。」

言語を見ても
漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字
を上手く 組み合わせて 表現しています。

料理を見ても
ラーメン、カレー、ナポリタン、焼き餃子
など、異文化を上手に取り入れ
なくてはならない程の ソウルフード化してますね。

武道には「自他不敗」という言葉があります。

コロナ騒動以降
移民問題や陰謀論など
色々騒がれているのを時々耳にします。

しかし、もし脈々と 自他不敗などのような
日本の在り方が受け継がれているなら
最後は分からないけど 何となくうまくいってる
感じになっていくのではないかと思うのです。

いい感じに ブレンドされるといいますか。
個々としては見えないけど 
それぞれの良さが消えず、引き立て合う感じ。

他国からは自分の主張がないとか
はっきりしないとか、分からないと
批判されることがありますが

実は案外 日本はずーっと
しっかり 線引きせず
正さをはっきりさせないことで
分からないを 分からないとしておくことで
守っていたのではないかと思うのです。

ちなみに 雨の表現だけでも143種類、
色の表現に関しては数百種類
言葉には表現しがたい感覚を表すオノマトペも
他の言語よりも多いそうです。
それだけ 日本語には分からないを
排除せず ありのままを
細やかに表現する言葉があるのです。

建築の縁側も内ともいえるし、外ともいえる空間。

常に曖昧さを持っている。(ゆとり)

線引きをして
相手を排除したり
権利を主張したり
独占したりしなくても

自然と分け隔てなく分かち合えるような
感じになっているのではないでしょうか?

こちらに 抵抗がなければ
ぶつかる対象がないので闘いが
生まれようがないですもんね。

仲良くというより
互いに尊重し
溶け込み 馴染む感じです。

占領されるとか 愚民化政策とか
心配はいらないのではないかと
思った今日この頃です。

平和ボケと言われるのかもしれませんが、
怖れから自分憲法で 他を裁き闘う人生よりも

虐げられても自分美学で自分のご機嫌を取りながら
ゆるく線があるかないかの曖昧さをもちながら
生きていく方が合ってるなぁと感じます。

昔は優柔不断な自分が嫌いでした。
決めないといけないと思っていたので。

しかし、分からないを分からないとしておける
今を平和に過ごせるゆとりがある感じが 
たまらなく 心地よいと感じます。

最後までお付き合いいただきまして
ありがとうございました。










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