アイスクリーム、落ちる。わたし、泣く。
はじめに
お煎餅を焼いたら全部焦がしてしまったんです。それで水曜日に書いたお話。
すごくすごく大切な事のような気がします。私は忘れちゃいけないような気がします。だから書きました。上手じゃないけど。
子どもの頃に考えていた(と思っている)事を未だに忘れられない。それには何かしらの意味があるんじゃないかと思うんです。
今の私にはあの頃よりボキャブラリーも文章力も考える頭もある。
何より、あの頃の私に無くて今の私にある最大の強みは「大人」という武器。
それを憎んでもいるけど、「大人」という立場を正しく利用するっていうのはこういう事なんじゃないかな。
(オトナと大人の違いを考えてみた話はコチラ)
子どものままがいい!なんて子どもっぽい事を言ったってもう大人なんだから、それを強みにするしかない。
私の発言に耳を傾けようとしてくれる人が少なからず存在するはず。なぜなら私は子どもじゃないから。
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いつも通りの長文で、いつも以上にまとまっていないかもしれない。途中で一見関係の無さそうな話に飽きてしまったら、どうぞ次の◇までスクロールしてください。
本題は最初と最後の数行だけで、脱線した話で数千字も使っちゃうのが私の文章です。
もしも飛ばしながら読んでみて、ちゃんと読みたくなったら読み返してください。読み返さなくても結構です。
ただ、これは22歳の私が書いた話です。
大人のする話なら耳(目を?)を傾けてくれますか。
本当のはじまり
◇
買ってもらったばかりのアイスクリーム。
はしゃいで浮かれて地面に落としてしまう想像をした。
私の足元で少しだけ形を歪めたアイスクリームは、まるで初めからそこが自分の居場所だったかのような顔をしている。
私は泣きじゃくる。
お母さんは言う。「また同じのを買ってあげるから」
それを聞いた私はより一層大きな声で泣いた。
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◇
ついさっき、砂糖がまぶされたおせんべいをトースターで焼いたせいだ。一度じゅわっと溶けてから固まるとおいしいから。
3枚焼いた。
でも、トースター内はお昼ご飯のために既に熱くなっていて、案の定お砂糖はすぐにまっ黒焦げになってしまった。
あれが最後の3枚だった。
あーなんで「焼いたほうが美味しいよなあ」なんて思い立ったんだろう。あの時そのまま口に入れればよかったんだ。
そしたら焼くよりは美味しさが劣るかもしれないけれど、美味しいおせんべいが3枚も食べられた。
ほんのちょっとの美味しさに欲を出したからゼロ枚になってしまったんだ。
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◇
おせんべいを焦がしてしまったとき、アイスクリームを落とした子どもの気分になった。
同じものを買ってもらえたとしても、それが自分のお金ではなかったとしても、仮にたまたま見ていたお店の人が無料で同じものをくれたとしても、私の悲しみは消えない。
食べたかったアイスクリームが食べられないから泣いているのではない。
新しいアイスクリームは新しいアイスクリームであって、落としたアイスクリームの代わりにはなりえない事。
落としたアイスクリームは何をどうしたって戻ってこない事。
そして、そんな取り返しのつかない失敗を自分がしてしまった事の責任の重さにきっと泣いていたんだと思う。
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今でこそ大人だから泣いたりはしないけれど、その気持ちは子どもの頃から変わらない。
ただ、自分で稼いだお金で買うという行為で多少の責任は果たせたような気がして、一つ自分を慰めるための言い訳ができたくらいだ。
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◇
スマートフォンの画面を割ってしまったときは想像をはるかに超えるダメージを受けた。今までは他人事だったのに、自分ごとになった途端に大げさなくらい落ち込んだ。
数秒前に戻って防ぐことができたらと何度願った事か。
しかし、もしも保険に入っていれば新品に取り換えてもらえて結果的にラッキー!となるかもしれないし、そうでなくとも割れた画面には案外すぐ慣れてしまう。
(今だって3台ある端末のうち、わざわざ唯一画面の割れている機種でこれを書いている。)
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だけど、食べ物となるとそうはいかない。10万円もする精密機器と数百円にも満たない食べ物。なぜ後者のほうが想像するだけで心が痛むのだろう。
赤の他人のそういう場面に遭遇したり、話を聞かされるだけでつらい。
潜在的に私の中の「MOTTAINAI」精神が働いているのだろうか。
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◇
未だに苦い気持ちになる思い出がある。
幼稚園にもまだ入っていない頃、いろんな遊びをするサークルに通っていた。
確かその日は幼馴染のお母さんが車で送ってくれ、その道中パン屋さんで大好きだったパンを買ってもらった。
よく覚えている。青りんごの形をした、てっぺんには果梗(柄の部分)をイメージした短いプレッツェルが刺さったパンだった。
休憩時間に食べることを楽しみに一日中わくわくしていた。
(実際にはたったの数時間だけだったのかもしれない。子どもにとっては1時間がとっても長いから)
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待ちに待った休憩時間。
私は途中から来ていた母(と兄)のもとへすっ飛んでいった。
「あのりんごのパン買ってもらってん!!」。
母はばつの悪そうな顔をした(だろうと思う)。
「ごめ~ん、お兄ちゃんが食べちゃった。」
私は怒った。当然だ。
しかし、母は大して悪びれもせず、私が怒り出したことを面倒だとでも思っていただろう(ちょっと偏見すぎ?)。
それから母は言った。
「パンくらいまた今度買ってあげるから。」
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◇
今だったら怒りはしても、思う存分怒った後には許せると思う。
だって、妹のサークルのお迎えについてきただけの兄が見学中に飽きてきてパンをかじることぐらい理解できるから。兄も好んでいたパンだから尚更だ。
では、なぜこの出来事が私の中の苦い思い出であり続けるのか。
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あの日以降、約束通りそのパンを買ってもらった記憶はない。代わりに「買ってあげるって言ったやん!」と幼い子どもができる最大限の主張を何度かした記憶はある。
記憶は嘘をつくからその後どうなったかは本当のところ分からないけど。
でもこういった経験が一度や二度ではなかった。
その都度学んでいった結果、きっとあの時も買ってもらえなかったに違いないと思わせている。
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◇
その場しのぎって良くない事なんだよね。無論、大人の世界ではある程度必要な場合もあるし、それくらいでは言った側も言われた側も嘘だなんて微塵も思わない。
だけど、子どもにとってのそれは紛れもなく "嘘" でしかなく、仮に出来事は忘れたとしても大人に「裏切られた」という意識だけが積みあがっていくのだと思う。
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苦い気持ちになる思い出は他にもたくさん。本題とはズレるかもしれないし書き出すとキリが無い。だから自分用の備忘録としてキーワードだけ。
英語の教材用CD-ROM、プリザーブドフラワー。
あ、意外と二つだけだった。細かいエピソードはまだあるけど、きっとそんなもの忘れたほうがいい。
随分と昔のことを思い出して未だにやりきれない気持ちになるなんてね。自分で自分を生きづらくしてる自覚はある。
でも、その時に感じた気持ちは無かったことにしたくない。それに、こうして書き留めたことで苦い気持ちは今日でさよなら、過去のものにできると期待して。
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◇
読み返して思った事。アイスクリームの話はなんだったんだ?!宙ぶらりんのまま違う話題で文章を締めてしまった。
私は唐突に青りんごパンの話を引っ張り出して、
「どれだけ私が苦い思いをしようが、地面に落ちたアイスクリームと違って青りんごパンは誰か(この場合パンを食べた私の兄)を幸せにして、パンとしての役目をちゃんと果たした。」
という事を言いたかったんだと思う。忘れて勝手に話を終わらせたけど。
だから今の私ならパンを勝手に食べられた事くらい許せるだろう、と。
アイスクリームの話から本来の ”結” を用意するならばこんな感じ。
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たった三枚の、それも別に大して食べたくもなかったおせんべいに罪悪感を感じるくせに、カフェで働いているときは大量の廃棄をなんとも思わなかった。
お仕事だから。
私は仕事なら普段は絶対に触れないような汚い場所のお掃除もできちゃうし、軽度のケガや火傷にも気が付かない。
お仕事だから。
でも、違ったんだろうな。私は自己暗示がうまいんだもん。
実際はほとんど手を付けられていないパンケーキがゴミ箱でドサッと鈍い音を立てるたびに「もったいないね」と話していた。
お店から見えるあの橋の上には毎日「私は今日食べるものがありません」と書かれた段ボールを持ったおじさんがいるのに、って。
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そういうわけで飲食店のバイトはやめにしました。もともと飲食系では働かないのがポリシーみたいなとこあったのになあ。
勘違いが無いようにだけ伝えておくと、とても充実した楽しいお仕事だった。
でも今は過去形。
私は自己暗示は得意なんだけど、なんせ面倒くさい性格なんで。
自分が心からいいと思うものでないと見ず知らずの人にも売れないんだよね。他の仕事もそういう理由で辞めたっけ。
自分の仕事に誇りが持てなくなったら辞める。
都合がいいやつと思われたとしても、そこは曲げずに行こうと思います。
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新まおり Maori Atarashi
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