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「人生終了」と思った私が、それから6年も生きてみた。

大学受験に失敗して「人生終了」と嘆いたけど、今のところ私の人生はまだ終わってない

思い返せば2018年、私のセンター試験は最悪だった。

人生最初の挫折と失敗というものだろうか。

センター試験の後に行われた三者面談では、いかに私が基礎的なことを理解していないか語られた。本番前は「あなたならできる」と激励してくれたものだから、裏切られたよう感覚に陥った。

志望校を下げて2次試験に臨むも、そこでも失敗ししまい、高すぎるくらいのプライドは一瞬にして崩れ落ちてしまったのである。

人生は大学受験で決まると、勘違いしていた。

どういうわけか、私の周りの大人たちは優秀な人ばかりだったので「勉強して良い大学に行くことは絶対条件だ」と当たり前に認識していた。それも「現役」で行くことに異様なこだわりがあり、浪人は人生のロスタイムだと思っていた。

「ああ人生よ、さようなら。」
こう嘆いた受験失敗という挫折から、かれこれ6年。

なんとか挫折から立ち直り、楽しく充実した大学生活を送り、希望した仕事でやりがいを感じながら生きている。



というわけではない。

実を言うと、大学失敗から立ち直れず、入った大学を辞めて再受験しては、また中退したり、パンデミックが始まると自分の進む道を失ったりした。

大学受験に失敗したことが霞んでしまうくらい、多くの失敗と挫折を味わった。

私は、受験失敗でできた傷をえぐるように、また傷を作ったのである。

そうして傷は、大学受験で失敗したときよりも大きくなっていった。しかし興味深いことに、傷の「痛み」というものは、だんだんと感じなくなったのである。

もしかしたら、失敗と挫折を経験しすぎて、慣れてしまったからかもしれない。

それか、失敗と挫折は「悪いことではない」と分かったからかもしれない。

失敗や挫折を繰り返すと、自分自身のことが理解できるようになる。どんなときに失敗し、どんなときに挫折するのか。

そして失敗や挫折をしたからには、人生を巻き返そうと前へ進む力が沸いてくるのだ。

大学受験から今日まで、また数え切れないほどの傷を負い、たくさん泣いたのは間違いない。その傷は心に残り続けるが、何ならそれを糧に生きている今日このごろである。

とにかく、6年前「人生終了」と嘆いた私に言えるのは「よかったね」ということだ。

あのとき順調に進んでいたら、いつか必ず訪れる失敗や挫折に驚いて、受験なんかより大きな場面で心を打ち砕かれていたかもしれない。

今では、あの失敗は「人生終了」ではなくて「人生開始」の合図と思っている。

人生は終わるどころか、始まったばかりだったのだ。


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