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今思っていることを、聖書や童話のように、ふわりとした感じで箇条書きにしました。

・嫌われることは怖くなくなっている。

・しかし相手を傷つけたり、嫌な思いにさせることはしたくなくなっている。

・自分の価値を高めようとする気持ちが少なくなっている。

・周りに自分の価値を認めさせようとする気持ちも少なくなっている。

・自分の顔面をあまり気にしていない。中身が9割。

・しかし生きるためには周りとコミュニケーションをとる必要があり、
投げやりな取り組み方では問題が起きる。ある程度、どう思われるかを気にする気持ちは大切だと思う。

・使用語彙で大体の性格を察したり。例えば横文字を使いたがる人は、承認欲求が強いんだろうと思う。難しい内容を誰でもわかるように説明することが望ましい。

・誰も嫌わず、差別しないそういう人になりたい。保身の気持ちがあれば、恥をかくことは回避したいと思うのだけれど、その殻を破り、マイノリティに継続的な愛を与えられるような人になりたい。

・愛ってなかなか評価されづらいように思う。社会問題を解決したり、物欲などのニーズを満たすアイデア商品でも作れれば、人として注目されるかもしれないけれど。私は苦労してまで、その道で成したい、という気持ちがない。

・私の中では、好き、と言えるものは、苦労してでも成したい、と思えるものなんじゃないかな、と思う。苦労って言っても色々ある。損害が発生する苦労もあれば。損害と利益でプラマイ0でも苦労がある。利益しかなくても苦労はある。しかし、いずれも、苦労してでも成したかった、という自身に対する問いかけに、YESと言えるか、は大切だと思う。

・信頼されるには、自己開示。中身のある人間であればあるほど、自己開示した際の効果が高まる。中身のある人間になるには、見聞を広めたり、未知の分野に挑戦することで効果を見込めるとおもう。

・数年前の自分が実現したかったことを、お茶の子さいさいでできてしまうくらいが、ちょうどいい。自分より大きなものを動かす人のことはわからなくもあるけれど、学ぶことを放棄した人間の成長は止まることは確かだ。今、自分が手にしている教養だけで満足してしまわないことが大切。しかし、学習は自分のペースで行いたい。他者の学習のペースを支配しようとしないのは寛容な心によるもの。例えば自分がそれなりに厳しく育てられたことを原因として、自分よりも甘く育てられてきたように見える人がいたとしても、腹いせをするように他者に厳しくすることはよくない。そういう気持ちが寛容な心だと思う。


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