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挑戦は楽しいということに気が付いた話。

およそ10年前に心身を壊して引きこもる前まで、私は挑戦が嫌いだった。

理由は簡単だ。

失敗すると親に愛されないという思い込みがあり、失敗したくなかったのだ。

だがこの思い込みは無意識が巧妙に隠し、私の求めるものはすべて代替品だというのに気が付けないようにされていた。

だから、表から見える私は俗にいう完璧主義者というヤツだった。

◇◇◇

完璧主義者が全然完璧ではないことを知っている人は多いだろう。

私も例に漏れずまったくもって完璧ではなかった。

完璧を目指して頑張りはするが失敗を過剰に恐れていただけだ。

他人に必要とされたくて、他人の評価が欲しかったのだ。失敗すれば必要とされないと思っていた。

だが私が真に求めていたのは親の愛情だった。代替品の他人の評価などいくらもらっても満たされなかった。

そのうち他人の目を気にしすぎるストレスから仕事がまったくできなくなって心身を壊し、約10年もの間、引きこもることになった。

◇◇◇

しかし思い返してみると、実は私は挑戦が好きで楽しんでいるらしい。

いじめられていた高校時代に、私同様に影の薄い人を集めて高校生クイズ大会に挑戦した。

高校の音楽の授業だったか記憶が曖昧すぎてよくわからないが、4人ぐらいのグループに分かれて軽音楽を行う授業があったように思う。

そこでは私は誰もできる人のいなかったドラムに自分から挑戦した。

社会人時代には以前にも記事に書いたように歌うことに挑戦した。さらに発展して少しだけYAMAHAのピアノレッスンにも挑戦した。

そして先日いとさんへのお手紙にも書いていたように、他人が怖いのにも関わらず、人口密度がすごいNHKホールの第九コンサートや4大ロックフェスのひとつSUMMER SONICにも挑戦した。

別にクイズが好きだとか、音楽が特に好きというわけでもない。

ただ挑戦してみたかった。

それだけでまったく何も前知識のないままに挑戦した。

もちろん、結果が出るものは良い結果が出ていない。失敗ばかりだ。

だけど完璧主義者だったハズの私は、それらの失敗について悪い思い出がない。

失敗を過剰に恐れていたハズなのに。

◇◇◇

人生のリスタートに他人が怖いのを治すのに挑戦する意味も含めてアウトプットに、毎日noteに挑戦を始めた

またまた事前知識など何もない。

そもそも「スキ」や「いいね」すら押さないほどアウトプットが怖かった人間だ。

自分の弱い部分をさらすことになるストレスから、また精神を病んでもおかしくない挑戦だった。

最初の記事は書いてから投稿するまでに、天地が逆転するほどの時間を躊躇逡巡(ちゅうちょしゅんじゅん)していた。

だけど知らないことを知るのが好きな私は、本質的に知らないことへの挑戦が好きだったのだろう。

きっと小さく燃える好奇心が怖気づいていた私の背中を最初に押してくれて無事に投稿できた。

そこからはありがたいことにフォロワーさんや記事を読んでくれている人達のスキやコメントやビュー数にも背中を押されて順調に進んでいる。

しかし一昨日毎日noteを失敗して連続投稿記録が途切れてしまった

これは残念なことだ。

しかし失敗する原因となったリアルの出来事で久々に親族と顔を合わせたおかげで、親族の会社のWEBサイトを作成するお仕事が入ってくるかもしれない。

これもまたまた事前知識などほとんどない挑戦だ。

そして、今日から毎日noteをリスタートする。

新しい挑戦の始まりだ。


ここまで読んで下さってありがとうございました。

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