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自分を否定してしまう人へ。世界の見え方はそれぞれ違うという話

昔、道を歩いていたら、靴が落ちていた。片方だけ。ついでにその奥にある階段の先が壁になっていた。

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あなたはこれを見て何を思っただろうか?

現代アートみたいで面白いと思った人もいれば、意味不明って思った人も、怖いと思った人もいるかもしれない。さらには想像の羽が広がって空想の世界へ飛んで行った人までいるかもしれない。

私はびびりーだ。これを見つけて不思議に思って写真を残したのはいいものの、アップしたらSNSアカウントが見知らぬ誰かにバレるんだろうなと今までずっと眠らせていた。

なぜ今頃になってこんな写真を持ち出したのかというと、「見え方は皆それぞれ違う」といういい例になるのではないかと思ったからだ。

◇◇◇

人はみんな自分の経験や知識からできているフィルターをとおして世界を見ている。

今目の前に並んでいるこの私が書いた文章も、あなたというフィルターをとおしてあなたに伝わっている。そう、言葉も表情も気持ちも何もかもがフィルターをとおして他者へ届く。

こんなことを書くと「そんなのわかってる」と思ったのではないだろうか。

そのとおり。誰でも知っているようなことで、大層にわざわざ書くような内容ではない。

だけど本当にわかっているのだろうか?

◇◇◇

私は社会人時代、恐ろしい程に自己評価が低かった。

どんなに頑張っても理想の自分になれない私に価値はないと思いこみ、こんな自分は必ず嫌われると思っていた

他者に言葉を伝えるときには「これを言ったらどう思われるだろう、嫌われないだろうか」と酷く悩み、やっとのことで伝えた言葉にも期待していた反応が返ってこないと「もしかして気分を害してしまった?」と言葉や態度の裏にある考えを勝手に想像して酷く怯えた。

そんな私にも頑張っている姿をみて応援してくれる友達がいた。私が私を信じられていたら今頃親友になっていたかもしれない。そんな友達だ。

彼女は彼女ができることを時間を惜しまず協力してくれたのはもちろん、彼女のトラウマも語ってくれるほどに心を開いて私を受け入れてくれていた。

私もそんな彼女が好きで、彼女の協力に応えたいと結果を出したいと頑張ってはいた。表面上は。

その裏ではやはり自己評価が低すぎたために彼女に嫌われるのが酷く怖くて、彼女とのコミュニケーションに人一倍怯えていた。

そんなことを続けていると決定的な出来事が起きてしまった。

ある日、彼女との待ち合わせて合流したときに、彼女は親愛を示すために駆け寄ってきてハグをしようとした。

当時の私の自己評価はウィルスより小さい。私にとって私のすべては汚物のようなものだった。

「触られると嫌われてしまう」

とっさに脳裏をかすめた思いに彼女のハグを避けてしまった。

その時の彼女の表情は筆舌に尽くしがたい。

きっと彼女には「私はあなたを嫌っている。ハグなんてしたくない」と伝わってしまったのだろう。

◇◇◇

過去の私の話を聞いてあなたは何を思っただろうか?

私を酷いヤツだと思ったかもしれない。それについては何も言えない。

ただ言いたいのは、過去の私にとって私というものが汚物のように汚らわしいものに見えていたとしても、彼女にとってはハグをしてもいいほどの存在に見えていたということだ。

本当に過去の私は、過去の私が思うほど否定して嫌わないといけないものだったのだろうか?

彼女が親愛を伝えてきてくれたように、もっと自分でありのままを受け入れて愛してやってもよかったのではないだろうか?

あなたはどうだろうか?

あなたにあなた自身が否定してしまいたい存在に見えていても、他人からはそう見えていない。違うように見えている。

もちろん嫌っている人もいるだろう。だけどあなたが好きな人もいるだろう。

たまには自分のフィルターで自分を見るのをやめてみるのはどうだろうか?


ここまで読んで下さってありがとうございました。

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