「無の時間」をつくる

最近、わたしの感覚器官は忙殺されていたのかもしれない。

四六時中、

見て、聴いて、、、。

のオンパレード。終わることがない。


挙句の果てに、気絶して、眠りにつく。死んだように爆睡する。わたしはブラック企業なのか?わたしの体は、わたしに馬車馬のように働かされて、(心を)感じるということができなくなっていた。


これはいま、「動画配信サービスの無料体験期間だから」という理由が大きい。

時間さえあれば見る。まだ次話も見れそう!

“次、次、、、!”

“もっと!もっと、、、!!”


狂気じみている(苦笑)。オープニングやエンディングも飛ばしたりして。たのしさは、どこかで感じているのに、同時に心が息切れしているみたいな。なんと表現したらいいのかわからない、でも不健全であることは確かな、そんな現象を感じていた。

もちろん、動画配信サービスだけではなく。音楽だったり、ニュースだったり、、、。でも結局は、自分が、刺激を選択している。1日中、刺激にさらされていた。



だから、あえて「無の時間」をつくってみることにした。食器洗いをするときに、刺激をなくしてみた。

最初は退屈に感じる。でもそれは一瞬で、だんだんと無心になってくる。すると、無意識に泡をすすいでいる自分に気づいたり、徐々に意識の方向が「自分」になってくる。そこからはもう、退屈だったことなんて忘れている。いつの間にか、自分と対話している。

ああ!これだ、、、!!!

久しぶりの感覚!やっと、使えてなかったところを使えた感覚。そして、すきな感覚。

だって、わたしは自分との対話がすきだ。


そしていま、こうして記事をかくことができている。すべて、この「無の時間」におもったこと。

やっぱり、無になるって大事だ。

真緒


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